第八章
「バイト先で店長と喧嘩して帰ってくるなんて、海外ドラマでしか見たことないな」
晶は、未知の生物を見るように呟いた。
「だってさ。金君とリンちゃんのこと、何も分からないと思って利用するんだよ。外国人に苦情の対応させて、客に諦めさせようとかさ。けっこうな事するんだよね。本人達も不当な扱いを受けてることに気づいてて、でも日本語でうまく反論できないから、言いなりになるしかないんだよね。なんかそういう時の屈辱って絶対に許しちゃいけないと思うんだ。慣れない土地で働いてる人の足下見るなんて、鬼だろ?」
「華ちゃん、鬼を悪者の例で出すのやめてんか」
すかさず小鬼が苦言を呈すと、ぷッと笑いが起きた。
「なんで急に関西弁なの?」
「お祖母ちゃんが見てる朝のドラマで覚えたんやで」
覚えたての方言。小鬼の柔軟性と学習力は二人の気持ちを明るくした。
どんぐり(犬)も、やっぱり家族を分かっていて内と外では態度が違うのだ。家族なら腹の隅々まで触ってもいいし、急に口の皮をめくって歯を見ても嫌がられるだけで済む。気まぐれでする時、必要でする時。いつも一緒にいるから、どんぐりは天春家の行動パターンを見分けられる。
一緒に暮らしていると、互いに対する浸透性が出来てきて、近くの者から吸収した知識や経験というものがある。それが小鬼にもある。どんどん家族になっている、二人はそう実感した。
「それで、なんて言って喧嘩になったの?」
小鬼は話の腰を折ってしまったと思ったらしく、華子に続きを話させてやろうとした。
「なんで自分でやらないんですか、この人たちにやらせる事じゃないですよ」
って言ったよ。と、華子はケロッとしている。
「そしたらさ、上司に意見するなんて無礼だ」って店長が言うから、
「こんなやり方してると誰も渡部さんを店長だと思えないですよ」って本当のことを言ったんだ、と華子はまたして当然のような顔をしている。
魔界での生活を聞いているみたいに、晶は恐ろしさに口を歪めた。
「それで、外国人だから分からないと思って責任まで押し付けるのは、店長としてどうなんですか」って言ったら、怒鳴って来たから、こっちも負けないと思って、怒鳴り返したんだ。と華子は続ける。
熱くなり、一歩も引かない態度を取る華子の姿が晶には容易に想像できた。
「そしたらさ、金君とリンちゃんが味方してくれて。店長違うって、二人が言ってくれたんだ。それで、店長、さすがにショック受けちゃって、黙って店の裏へ行っちゃたんだ。たぶん、一服しに行ったんだろうけど。でさ、ついでにいつもお客さんや社長から『皆さんで』って貰うお土産とか差し入れを独り占めしてるから、その間に店長室から全部取ってきたんだ。従業員で分けようと思って」
華子の話を聞いて、晶はさっき食べた焼き菓子のことだとすぐに勘付いた。しかし、同時に姉が素早く店長室に駆け込んだ姿を面白可笑しく思い浮かべていた。ねずみ小僧ばりに痒い所に手が届く仕事をする華子が見える。
盗品のような焼き菓子を食べた疑いはどこかへ放って、晶はただ微笑んだ。