第八章
その言葉でまた高知県の瑞々しい森と澄んだ青緑の川が思い起こされて、皆
ほんわかしていた。しかし、理太郎は急にそわそわし出してリモコンを手にしかと思うと、
「よし、じゃあ、次は皆んなでオペラを観るか」
と、自分の好きな夜の番組を勧め出した。家族は夢から覚めたように立ち上がると、リビングから続々と退出した。テレビから、「今日のオペラ」という台詞が聞こえてくると、歌が始まる前に急げとばかりに犬と猫も身をかがめて退散した。理太郎は音楽を聴く時、狂ったように大音量にする。
部屋に戻ると小鬼は居なくて、隣の部屋から笑い声が聞こえてきた。晶は、華子の部屋へ行きノックをしてドアを開けると、二人は向き合って談笑している。犬と猫も晶の足元からスッと部屋に入り込んで、落ち着ける場所を探し出した。
「そうなのそうなの。四国、特に高知県の陽光は国宝級と言っても過言ではないよね」
そう小鬼はご機嫌で語っている。
晶はそっと脇にある座布団を引き寄せて二人の会話を邪魔しないように座った。
翌日の晴れた日曜日。華子は一人で台所に立ってせかせかと朝食をこしらえていた。ベーコンエッグ、トマトスープ、ホットケーキ、オレンジとリンゴのフルーツ盛り。紅茶は濃口に作って、アイスティーにする。
小鬼と仲良くなって以来、華子は時おり休日の朝はこうして二人でゆっくり過ごせるように張り切っている。
華子は昔から朝の時間をのんびり過ごす為に早起きを厭わない人間で、通勤通学の慌ただしさを眺める優雅を知っている。
高校生の時には一時期、朝の喫茶店でミルクティーを飲みながら、街行く人々の姿をガラス越しに眺めてそれから学校へ行っていた。その為、今でも吉祥寺や三鷹の喫茶店に詳しい。
小鬼は人の起きる時間ではないような早朝から目を覚ましている時があるから、華子が自分の為に少し早めに起き出してくれるのは、可愛らしい姿に写った。一人で過ごす静かな夜明けも好きだけど、朝日が差す食卓で、お喋りをしながら囲む朝食にはいつも心が弾んだ。特に休暇以外の週末は全員遅く起きてくるので、世の習慣に逆らってまでと小鬼の胸は色彩を得た心地だった。
そんな風に二人で過ごしていた為か、小鬼も料理を手伝うようになったと華子から聞いて、晶はビンタを喰らったぐらいショックだった。小鬼が剥いたという林檎ウサギを差し出され、かじってみたけど、味がよう分からない。どうしてこうなったのか気持ちの整理が追いつかない。ただ、皿に可愛く並べられた赤黄色いウサギ達が、楽しかった時間を物語ってくる。
――自主性の強い姉の魅力に小鬼は気づいてしまったのだろうか。一歩先を行くような格好良さに気づいてしまっただろうか。
誰かを愛する時にますます輝く魅力が華子にはある。小鬼に喜んでほしくて、こんがり焼いたであろうホットケーキ。その上には濃紫のブルーベリージャムが美しく掛けてある。姉の手で創られた幸せが、今朝は朝陽よりも眩しい。
日が経つうちに、華子の性格は丸くなり寛容になっていった。
華子は小さな頃から、感情表現が怒りに傾きやすい性格で、ふいに周りを驚かせたり笑わせることがあった。悲しみも痛みも、人前に出る時は怒りとして表れるのが常だった。
友達ができても、その友達の新たな一面を知ると憤ることがあって、人付き合いもままならない子供だった。
「あの子顔が可愛いだけじゃなくて、家がお金持ちだったんだよ。お母さん。私あの子が憎い――」
そう報告して、母を笑わせたのは華子が小学一年生の頃だった。
そして、ある七月十七日の朝。晶が朝食を食べながらボーッとしていると、急に新聞紙で頭を打たれ、
「お姉さまの誕生日だろうが、何ボサッとしてんだてめえ!」
そう言われ、祝辞とプレゼントを要求されたことが三年続けてある。(四年目からは学習して、自分から「おめでとうございます」と朝から言っている)
誰が観ても満足すると思っていた映画、「となりのトトロ」を家族で鑑賞していた時も、末っ子メイちゃんに対する批判が止まらない華子を晶は信じられない気持ちで眺めていた。
小鬼といると、華子のそんな一面が温かい日差しに包み込まれるのか、影も形もないように見える。