第七章
華子は隣の自室へ駆けて行き、また走って戻って来た。急いでノートパソコンを開いて、「月の光」を小音量で流すと、「もう一回お願いします」と、正座した。冴え冴えとした月夜を渡る風が無数の葉を騒つかせ、ドビュッシーの優しい音楽と混ざった。
小鬼は先ほど晶に話したことを説明し始めた。
華子は、「わぁ」と小鬼の声に反応した。しかし、すぐに話に集中して一緒に話せる喜びに、口を一文字にして華子はうなずいている。
小鬼の話を聞き終えて、華子は言う。
「本能でお母さんを察知したって事?」
「はっきりしないけど、何かをキャッチしたんだね」
晶は顔を上げて華子に言った。そして、
「沈丁花とか金木犀って、いつの間にか覚えてて、春や秋になるとどこかから香ってきて、月日の巡り合わせを思わせるよね。記憶の中で芳しさだけ残ってるっていうか……」
「いつしか意識しなくても惹かれるものになっててね」
華子が続きを汲んで答えると、晶と小鬼はうなずいた。
寝静まった家々の間をぬって、新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。気づくと時計は深夜を回り、部屋がすっかり冷えていた。
「寒いね」と口々にして、二人は箪笥からジャージを取り出した。
窓を閉めて、カーテンを引くとホッとした。だけど晶は布団に入っても、なかなか寝付けなくてチクタク動く時計の針の音を聞いていた。
「今日は暑くなるよ」
小鬼が言った通り、朝には夏の訪れをを感じさせる陽が燦々と窓に降り注いだ。
昼には、教室にいるほとんどの者がシャツの袖をたくし上げていた。
休み時間、晶は廊下の窓枠に腕を乗せて、晴々と明るい町を眺めた。手前にある大きな川の水面が小判のようにキラりキラりと反射し、紺色の波はのったりと穏やかに漂ってる。
熱そうな空中を眺めていると、母の歩いていた朝靄が彼方へと霞んで行ってしまうようなのに、晶にはどうしても押し留めることが出来なかった。
太陽を隠した大きなはぐれ雲は内側が透けるほど光っていて、上空の青も強烈な光線に照らされていて白色になっている。植物も川も長く伸びて、永遠に生きようとしているような猛烈さで大地を下っている。
空が造る世界の眩しさが、晶の目の前に広がっていた。