第五章
国語の清水先生はいつもすっぴんで、白髪まじりのボブヘアを染めたりせずに自然体なのだが、その飾り気のなさが、文学一筋で時代や世俗的なことに惑わされない人という感じがして好感がもてた。人の作った規則や価値観よりも、個々が感じ取った世界を尊重しつつ、そこから飛び出す言葉を面白がっている所がある。
晶が自分にだけ心を許しているのを知ってか知らずか、その後も度々声をかけてくれて、たわいもない話をしたり先生の個人的なことを教えてくれた。
晶は、清水先生となるべく過ごしたくて国語と古典の勉強をよくするようになった。すると、段々と知りたい事が増え、清水先生以外の教師や講師とも関わることが多くなっていった。
安心できる大人といる時だけ、自分で居られる気がした。
国語、古典、歴史。その中にはいつも人がいて、人生があった。戦って、月を眺めて、恋しがって、家に帰って、子供がいて老人がいる。
晶は、そんな会ったこともない、文章から伝わる人々のことを考えてると、自分の感覚が変わってしまった事を少しだけ忘れていられた。自分と同じ庶民の悲しみ、貴族の儚い生い先、どの階級にもある親子の情、理不尽な習わし。一つ一つ、思い浮かべては、共感したり憤った。
結局、その年が終わるまで同じクラスの生徒とは馴染めないままだった。
晶は高校生になって体育の授業中に、ふと中学時代のあの頃を振り返った。一旦外れた列に戻れなかったのはなぜだったのだろうと考えた。
女の子達が次々と空振りをする中、器用な者が空遠く白球を打ち上げるのを見上げた。
戻りたくなかったわけではなかったけど、どうしても戻れなくて、なのに戻らないといけないような気もしてて、自分の過ごし方も通常も全然分からなくなっていた。
その週末に、晶は景都の家へ行ってルーフバルコニーにあるデッキチェアで寛いだ。
二人は静かに本を読んだり、秋の日の温かさに浸るように目をつぶったり、思い付いついたことをどちらからともなく話し合った。
晶が出した手紙の届け先だと小鬼は興味を持って付いてきて、肩らへんで寝そべったり、広い庭を見て回ったりして過ごしていたが、あまりに自然と一体化していて、たまにいることを忘れるほどだった。
紅葉した木々に、小鬼が手をかざすと、赤く黄色く錦の輝きを放って辺りの葉っぱが透ける。芝生に落とされた葉型の影は微かに揺れてかわいい。木から落ちた銀杏や楓の葉は、風に吹かれて一所に溜まっている。
春には花の舞う空、秋には葉の舞う空がある。飛んでいく葉を見ていると、重力や風に任せて、ただ立っていればいい時期もあるんだと晶は思う。
押し花は嫌いだけど、ここの楓は本に挟んで持ち帰りたいものだと目を細めた。
ふと、晶は景都に中学生の頃のあの時の話をした。どんな風に毎日を過ごしたか。そして最近振り返ってみて思ったことを。
景都はサングラスを頭にズラして、
「晶も、天春家の人達もずいぶん苦しんだよね。私はあの頃、天春家に遊びに行って分かったんだけど。私は自分が思っていた以上に、色んな人の力を求めていたんだよね。優しさが欲しくて、人に求めずにいられなくて、そういう自分を許して欲しかった。おばさんとおじさんが受け止めてくれたから、はっきり分かったんだ。――晶も、そういう感じだったのかな」
「――そうだね、清水先生がいたから、自分の本当の状況を受け入れられたんだと思う。弱っている事も持ち直せなかった事も、全部、私の時間のそのままを必要だと知っててくれた」
晶はそう言うと、温かい秋の日の空気を胸に沢山吸い込んだ。
ザワザワと木々が音を立てて、二人は風の中の落ち葉がどこへ行くのかを一緒に目で追いかけた。