第五章
「私のことを尊い存在として、両親にただ純粋に強く思ってもらいたかったです」
父はおもむろに手を伸ばし、肩を抱きしめたいと思ったらしかったが、年頃の女の子だからと思い止まって、景都の椅子の背もたれをガッチリ掴んで気持ちを整理しているようだった。家族の中で景都の事情を一番理解していたのは、父だったのかもしれない。
景都の自宅での態度や、言っていた事が一繋がりになっていると晶にはようやく解って本当の石川景都という人間を見たような気がした。同時に、自分のことを自分の言葉で説明できる景都に、内面と状況を知覚できる賢さ、度量を感じて、改めて目を見張る思いだった。
しかし、今は、景都が安心できるような何かそんなものが必要だと晶は思った。
この空気に漂う負けた時のような気配。年若い人間の心細さ。
景都の瞳は卓上を彷徨って後戻りできない。どこにあるのかも分からない出口を独り探している。
晶は助け出せないものか考えた。手を握ろうかと思いついたが、人と手を繋ぐことが恥ずかしいと最近感じ始めてて、そうなるとなぜか相手にも散漫な空気が伝わってしまう。お互いに空々しさを覚える、場違いな行為になるかもしれない。腕ならいけそうな気もするけど、相応しい言葉が言えたら一番良い気がする。景都の気持ちが報われるような何か。だけど、今思いつくのは、
『私には、話しかけてくれた時からずっと、大事な存在にしか見えない』
――私という友達(子供)からの気持ちで足りるだろうか。求めてるのはもっとしっかりした根本的で揺るがないもの。欲しがっているものが何かを感じられるのに、その先からが全然見通せない。
ただ、この人にあげて欲しいと、胸騒ぎが収まらない。
食卓は静まり返って、皆神妙な面持ちでいる。晶もその雰囲気を重々承知していて、決心がつかない。しかし、これ以上友達を沈黙の中に置いておくことは自分の願いに反している。
強い感情を滞りなく言動に繋げられない時、晶はただ度胸試しのような勢いに任せる以外、やり方が分からない。
『もっと出たとこ勝負で大丈夫』よく母に言われる言葉を胸に、もうかましたれや!と「わ……」と言いかけた時、
「人として当然の心情だよ。言いたいこと、俺にはよく分かる。景ちゃんの考え方は何も間違ってないからな」
父は、沈黙を破った自分の声に顔を赤くして、でも低い声ではっきりと言った。なんとか景都の援護をしてやりたかったらしい父の言葉に、晶は一人の人間としての優しさを見た気がした。
父は、景都の肩を小さな子供を寝かしつけるような優しい手つきでトントンとあやした。嫌に思ってないか晶は心配になったが、景都は少し照れくさそうに、でも嬉しそうに「ふふふ」と笑った。
さっき遠慮した父の判断が正解だと晶は思っていたが、姉も母も景都も和かでいる所を見ると、こういう事で良いらしいと胸を撫で下ろした。しばらくして、
「もういいよ」と、華子が手を払うと、途端に緊張が解けて照れと安心で理太郎は笑顔になった。
また食卓に声が戻ってきて、ザワザワとした自由な動きの気配が広がる。全員が安心できている、そんな雰囲気に結束力も加わっていた。
母は、景都の頭を軽く撫でて、「お茶入れようね」と言って席を立った。
どうなることかと思ったけど、父は結局その場の雰囲気を変えた。何より景都の気持ちを救ってくれた。
翌日の朝、母がこっそりと景都に何か言っているのを見かけたが、晶は何の話をしていたのかどちらにも聞くことはなかった。
それから三ヶ月後、聡美(晶の母)が交通事故で亡くなって、天春家には一日中暗雲が垂れ込め、誰もその暗闇を払い退けることが出来ない日々が始まった。
晶は、中学校で友達と話していても集中できず、以前よりも勉強に身が入らなくなっていた。それでも毎日学校へ通ったし、授業もなるべく聞いていた。
しかしある日、国語の授業で宮沢賢治の「永訣の朝」が読まれて、ずっと普段通りの生活を送ろうと堪えてきた痛みがついに溢れ出てしまった。
人目が気になるのに、どうしようもなく涙が出てきて、晶は机に顔を伏せて、自分の腕の中でオイオイ泣いた。
翌々日、国語の教師は教室にいる晶を手招きすると、廊下で向き合ってわざわざ謝罪をしてくれた。廊下の隅で人に聞かれないよう声を潜めて言ってくれたのだが、晶は、その気遣いに泣きそうになった。心を震わして感謝していた。
学校では晶のような生徒をどう扱えばいいのか誰も分からないから、担任ともクラスメイトともなんとなく距離ができてしまっている。そんな中で、胸にある傷を認め、初めて誰かが心から手を当ててくれたような気がした。




