第四章
犬の切実な願いに押され、仕方なく連れて行くことにした。
ポストまで五十メートルもない距離だ。
「こんなのリードを付けて外すだけだよ」
晶はボソッと呟いて、夜に紛れて行った。
少しの間と思って薄着で来たが、思いの他、春の夜は冷たかった。袖を引っ張って腕を覆いたい所だが、ティシャツはどんなに頑張っても手首までは伸びない。
晶は腕を組んでなるべく肌が空気に触れないようにした。しかし、犬が何かに興味を持つ度、リードを引っ張る弾みで腕と腕の間に大きな隙間が開いて、風がスースー通るのだった。
小鬼にお願いして肩に乗って貰って、暖を取ろうかとも思ったが、手紙の投函を楽しみにしているようで、常に五歩先へ行っている。大きな声を出して呼ぶのは面倒だし、駆け寄るなんて論外だ。
晶は諦めて長い五十メートルもの距離をただジッとやり過ごすことにした。犬が嗅ぎたい場所をうろうろして離れないのも許して……。
ポストの前へ着くと、小鬼は手紙を投函したいと言い出した。そう言うだろうと思っていたから、晶はスッと手紙を差し出して小鬼に渡した。
手紙を投函口に入れると、やる事が呆気なく終わってしまって、小鬼は数秒間止まったままだった。
「後は、景ちゃんに届くのを待つだけだよ」
と、晶が声をかけると、
「いつ届くのかな、明日かな?」
と、小鬼は自分が書いた手紙のように楽しみにしている。
肌寒い夜風に慣れてきて、鼻水をすすりながらも晶は気を取り戻していた。
犬は絶対に家の方へは戻らないと言うような、固い背中で前を向いている。そうくるだろうと晶と小鬼は思っていたから、二人は目を見合わせてもう少し夜の住宅街を散歩する事にした。
歩いていると体が温まってきて、風が気持ちよい。小鬼も同じように感じているらしくて、横で機嫌よく浮かんでいる。鼻歌なんか歌っている。
「葉っぱの影がかわいいね」
不意に、小鬼はミモザの木の下で言った。
塀のない庭から伸びた枝葉が風に揺れていて、新緑の爽やかさが夜の中でも静かに漂っている。
小鬼と見る自然は生き生きとしていて、友人に会えたような親しみを覚える。今までの景色はこうした知り合いで出来てたのかなと晶は思った。星も草も空間も全部、生きていた。