馬車は王室御用達
「しくった」
バーホンは悪態をつきながら二人の女の子と一冊の本を抱えて走っていました。
城の中庭を大勢の兵士に追いかけられながら。
迂闊にも、見回りの兵士に見つかってしまった自分を罵りながら。
「もう少しの辛抱だ」
走りながら、二人の女の子にバーホンは優しく語りかけます。
女の子の一人が息も絶え絶えだということに気がつきました。
「ヒナがね。背中が痛いって」
元気な方の女の子が、バーホンのホッペをペシペシと叩きました。
「すまない。気を付けて走る……が、馬車が欲しいな」
「ばしゃ?」
「中庭をぬけて、バラ園の側にある倉庫で……」
そこまで言った時です、バーホンの顔が歪みました。
足に強い痛みが走ったためです。
サッと目をやると、足に大きな犬が噛みついていました。
大きさはバーホンとほぼ同じ。
それがグッと体勢を低くして、滑り込むように近づいてきていたのです。
まるで疾風のように。
城を守るレッサーフェンリルによる攻撃でした。
いつもであればこんな攻撃を受けるバーホンではありません。
ですが今は二人の女の子を抱えているのです。
それが理由で後れをとってしまいました。
「わぁぅ」
女の子が悲鳴をあげました。
バーホンの足がもつれて彼は倒れてしまったのです。
なんとか女の子を守るため、背中を向けて倒れることができました。
なんとかバーホンの分厚い胸で二人を受け止めました。
ですが、二人の女の子は勢い余って彼の手からスルリと抜けてしまいます。
「どけ!」
怒号を上げてバーホンはレッサーフェンリルを殴りつけました。
魔力を帯びた拳は、青い光の衝撃をまき散らし敵を気絶させます。
それからバーホンは、すぐさま立ち上がりました。
ですが、ほんのわずかのロスが、取り返しのつかない状況をもたらしました。
倒れて起き上がるまでのわずかの間に、バーホン等は兵士に囲まれてしまったのです。
「せめて彼女に手当てを」
冷たい視線を投げかける兵士にバーホンは懇願します。
しかし誰もバーホン達を助けようとも、笑顔を向けることもありませんでした。
彼らにとって、バーホンは錯乱した元将軍で、二人の女の子は得体の知れない何かだったのです。
「今度も助けられなかったか」
バーホンの目に涙が浮かびました。悲しいでも怒りでもなく、無念の涙でした。
息子の亡骸を抱えた時のことを思い出しました。
自分はどうなってもいい。
二人を抱えあげて、行けるところまで……。
「ヒヒーン」
突如としてバーホンの背後で馬のいななきが聞こえました。
兵士たちがザッと距離を取ります。
「馬車が!」
振り返ったバーホンは驚きました。
見たこともない立派な2頭立ての馬車がそこにあったのです。
真っ白い二匹の馬は毛並みもよく、黄金に縁取られた車体は、車輪すら黄金に飾られていました。
細やかな彫り物で装飾されています。
車輪も車軸も、とても良い品です。
取り囲む兵士達も、あまりにも見事な馬車に唖然としていました。
「これにかけるしかない」
バーホンは心の中で叫びました。
すぐさま女の子を抱きかかえます。
そして二人を馬車に乗せると自分は御者台へと上がりました。
馬に鞭を入れます。
「あー」
あっけにとられた兵士たちが声をあげました。
見事な馬と、豪華な馬車。
ただの馬車とは思えない威厳のある様子に、兵士たちは思わず道を空けてしまったのです。
「王室御用達? これほど見事な馬車に乗ったことがない!」
バーホン思わず感嘆の声をあげました。
よく躾けられた馬は疾風のように進みます。
その車輪は石の路面をしっかりとつかみ、リズミカルに回りました。
勢いのある馬車に兵士たちは逃げ惑うばかり。
遠くから放たれる矢も、頑丈な車体に傷をつけることができません。
あっという間にバーホン等は、城の裏口から街道へ出ることができました。
「二人とも無事か」
御者台の後にある小さな窓をカラリと開けて、バーホンは女の子達に声をかけました。
一人はやはりぐったりとしたまま。
だけどもう一人は本を見つめながらコクンと頷きました。
二人は椅子に座ることがなく、床に寝そべっていました。
「ヒナがね、喉が渇いたって」
「そうか。もう少し進んだら森に隠れるから、そこで水を用意しよう」
二人の女の子が怪我なく城を脱出できたことに、バーホンは安堵しました。
馬車を引く馬はまだまだ疲れた様子はありません。
「このまま街まで行けるかもしれない」
バーホンは笑みを浮かべます。
ところが突然出現した場所は、突然消えてしまいました。
それは何の前触れもなく、パッと消えてしまったのです。
もちろん走っている状態で消えたわけですから、バーホンたちが空中へと投げ出される形になりました。
バーホンは、なんとか体をひねって二人の女の子を受け止めました。
地面へとしこたま体をぶつけました。
ですが、今度はしっかりと女の子を受け止めました。
「大丈夫か!」
ビリリとした背中の痛みを耐えながらバーホンが笑いかけます。
すると、一人の女の子が小さな手にほとんど透明な筒を持って答えました。
「ぺとぼとる!」と。