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黒い吐息  作者: 河辺 螢
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 事件から三日後、フェリシアをボスコブルに連れ帰るため、迎えの者が到着した。

 大聖堂の広間に案内され、エミリオは驚いた。

 広間にはフェリシアが立っていた。護衛に挟まれ、手かせをはめられ、服は胸元を引きちぎられ、髪をといた形跡もない。その首には、五年前のあの日のように白いリボンが結ばれていた。

 迎えの者にわざわざその姿を見せるとは。

 あまりの所業に、エミリオは怒りを隠せなかった。

「一体どういうことだ。無礼にもほどがある」

「この女は罪人です。セヴェリーニ侯爵に毒を盛った。そちらの国に連れ帰らせることはできませんな」

 フェリシアの後ろには、担当を外されたはずのパオロがいた。

 この大聖堂は、フェリシアを帰国させようなどという気は全くないのだ。エミリオは歯ぎしりした。

「ちょうど今日が判決の日だ。あなたも見ていくがいい」

 にやりと笑ったパオロに、この状況は全て仕組まれたものなのだろう、と察した。

 大聖堂を裁きに使うのか。

 エミリオは周りを見渡した。

 にやける者。眉をひそめる者。無関心を装う者。司祭達の反応は様々だ。

 司祭マリーノの姿はなかった。フェリシアについていた者として、謹慎を言い渡されているのかも知れない。

 どういうことになろうとも、その結末を見届けない訳にはいかなかった。


 セヴェリーニ侯爵は、身体はむくみ、顔はひどくやつれ、目の下に隈ができていた。呼吸もままならない感じだが、怒りをむき出しにして

「こ、この女が治療と称し…、いきなり色目を、使ってきたのだ。わ、わしが断ると、隠し持っていた毒の入った… び、…瓶を…、な、投げて、…黒い霧が…き、きり…が…」

 言葉を続けようとしても自分の呼吸に吸い込まれ、激しい呼吸困難を起こし、その証言は途中で終わった。

 中央にいた司祭が、

「当日、聖堂の護衛や世話係が部屋にいなかったのは?」

と、侯爵に聞いた。

「知らん。…あの女…、が、何か…」

「あなたの家の使用人が、聖堂の護衛や世話係を騙っていたようですが?」

「し…知らん…」

 侯爵は口を閉ざした。

 全て仕組まれていると思っていたこの審議が、中立な立場の者に仕切られていることにエミリオは少し安心し、黙って成り行きを見守った。

「パオロ」

 名指しされ、パオロがびくりと反応した。

「…はい」

「このたび、侯爵に聖女を向けたのは、何の治療のためですか」

「お体の調子が悪いと伺い、依頼を受けたので…」

 的を射ない答えに、繰り返し、強い口調で、

「何の治療ですか。身体の、どの部位の」

と問われ、パオロもまた口を閉ざした。

「侯爵家から、通常の礼金の三倍の額を支払ったとの証言がありました。しかし、聖堂にはいつも通りの金額しか入っていないようです」

「…っ」

 一旦、目をそらしたパオロが

「っせ、聖女だ。聖女に頼まれて、金は聖女が…」

 聖女に罪を着せようと言葉を発した途端、フェリシアの首のリボンがほどけた。風に飛ばされるように首から離れたリボンにパオロは焦ったが、フェリシアの目はうつろなままだ。

 薬が効いている以上、言葉は発せないはず。パオロは安堵し、言葉を続けた。

「侯爵に取り入ると…、国に帰りたくないから、有力な貴族を紹介しろと…」


  最後ノ 稼ギダ


 地を這うような低い音が、響き渡った。

 フェリシアの目は、うつろなままパオロに向けられていた。

 口は全く動いていない。なのに、吐き出す呼吸が音になって、聖堂の広間に広がった。


  聖女ノ 息デ 長生キデキル

  聖女ノ体デ 若返ル

  礼金ハ 三倍ダ


「な、何を」


  他国ニ 聖女ヲ 与エテナルモノカ

  セッカク コノ国マデ 連レテキタモノヲ

  金ニナル 聖女ヲ 逃スナ


「嘘だ! そんなこと…、私をはめようと…」

 フェリシアの視線が動いた。まだ息の整わない侯爵に。


  女ノ 一人ヤ二人デ 大騒ギ スルトハ

  少シ 男ヲ 知ッタクライデ 何ダトイウノダ 小娘ガ

  アンナ女ヨリ コノ体ヲ 何トカシロ

  変ナ 毒ヲ 使イヤガッテ

  高イ 金ヲ 払ッテイルノダ

  治癒魔法使イヲ 呼ンデ 来イ


 今まさに心で思っていることを、そのまま言葉にして聞かされたことに、侯爵は驚愕した。


  息デ 長生キ デキルナラ

  肺ヲ 食エバ 不老不死ニナレルンジャナイカ?

  庶民ノ一人クライ 死ンダトコロデ…


 あの夜、一人ほくそえみながら考えていたこと。まるでそれを聞いていたかのように、低くうねる音が伝えてくる。


 どこを見るとも定まらない視線が、知らぬ振りをしていた副司祭長を捕らえた


  アア 金ヅルヲ… 次ノ司祭長ノ座ガ カカッテイル 逃シテナルモノカ


 聖杯を握る司祭を


  エロ侯爵カラ ボッタクッタ金ヲ 独リ占メ スルトハ

  分ケ前ハ 三割ノハズダ 


 聖堂の護衛を


  聖女ヲ 手込メニスルノニ アンナハシタ金カヨ

  モット セビレバヨカッタ


 聖女の世話係を


  聖女ナンテ イツモ サボッテルクセニ チヤホヤサレテ

  スコシハ 痛イ目ヲ 見レバ イインダワ イマイマシイ


 フェリシアの視線の先、目に映る者達の心の声が、低く、聖堂中に響き渡る。

 次は自分の心を見透かされているのではないか。

 その場にいた誰もが戦々恐々とする中、

「そ、そいつを、黙らせろ!」

 口を開いてもいないフェリシアを黙らせようと、侯爵がフェリシアの元へ近寄ろうとした途端、怯えたフェリシアが悲鳴を上げ、その叫び声と共に口から黒い霧が湧き上がった。

 黒い霧はその場に拡散しながらも、まるで意思を持って狙い澄ましたかのように、侯爵と司祭パオロのもとに引き寄せられた。それを吸うまいと二人は懸命に息を止めたが、とうとう呼吸に取り込み、身体を巡る苦しみにのたうち回った。

「あ、悪魔…だ、…聖女…じゃ…、な…、あく…」

 二人の他にも黒い霧を吸い込み、体調を悪くした者がいた。そしてそれはフェリシア自身も同じで、自分から湧き出る黒い霧にむせ、自身の呼吸を取り戻すことができなかった。


 混乱に満ちた広間を一瞥し、エミリオはフェリシアの手かせを外させると、充分に息をつけずに苦しむフェリシアを抱きかかえた。

「人を治す力は聖女? 自分を守る力は悪魔? どちらも変わらぬ力だ。…処分は、国外追放で。私がこの国の外に連れ出します」

 中央の司祭が、

「聖女フェリシアは、国外追放とする」

と言い渡すと、エミリオは二人の供を連れて、その場を離れた。

 待たせていた馬車の前には、司祭マリーノがいた。

 フェリシアの背中に触れると、あの時のように薬による言葉の封印はなくなり、息が穏やかさを取り戻していった。

 エミリオは小さく礼をした。

「約束通り、連れて帰ります」

「道中、気をつけて」

 ただ一人に見送られ、フェリシアはようやく七年越しに故郷へと戻ることができた。

 ようやく…。長い長い年月だった。



 聖女の呪いのような言葉がそのまま証拠になることはなかったが、その言葉を裏付けるように、ある者は金を貯め込み、ある者は聖女の奇蹟を利用し、ある者は守るべき聖女を蔑ろにし、ある者は聖女の力を削ごうとしたことが明らかになり、軽い者は謹慎と降格、重罪とみなされた者は破門を言い渡された。


 黒い霧を吸った者は、治癒魔法を受けても回復しなかった。

 特に濃い霧を吸い込んだ二人は、黒い心を持つたびに肺に取り込んだ黒い霧が湧き上がり、その息苦しさと苦痛は生涯にわたって消えることはなかったが、その苦しみからはほんの二、三年ほどで解き放たれた。

 その死こそ、女神の慈愛なのかもしれない。


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