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黒い吐息  作者: 河辺 螢
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 大聖堂に移動した後もパオロは「お勤め」と称してフェリシアを連れ出していた。お勤めの後、フェリシアが復帰に必要な時間は不安定だった。数日で終わることもあれば、二週間以上かかることもある。しかし聖堂のお勤めの一つ、と言われると、誰も反対できなかった。大聖堂の資金源になっていたからだ。


 マリーノは、パオロが資金集めに長けているのは知っていたが、時々不穏な動きをすることも把握していた。

 二年前、隣国ボスコブルの公爵家から急ぎの依頼を受けながら、急にキャンセルになり、王城へ向かわされたことがあった。どうやら王家から結構な額を受け取り、優先させたようだったが、頼まれた治癒の内容は、大したことのない軽い頭痛だった。

 翌日、公爵家の者が抗議に来ていたようだが、大勢の治癒を求める者に囲まれ、話をすることもできなかった。

 その二日後、再び公爵家を訪問する段取りがなされたが、またしてもキャンセルになった。急ぎと言われたり、キャンセルになったり、公爵という地位にありながらおかしな事をする、そう思っていたが、その公爵は劇的な回復を見せたらしい。一部の司祭達の間で噂になっていた。

 その事件とフェリシアが誘拐され、この国の聖堂に来た時期が重なる事は、気になっていた。

 マリーノは、フェリシアを迎えに来ていたランツェッタ公爵家のエミリオとつながりを持ち、時々フェリシアの様子を聞かせた。


 パオロがフェリシアの担当を外されてからも、月に一度は上層部の司祭から呼び出しがあった。そして以前と同じように「お勤め」に連れ出され、戻るたびにフェリシアは長い休息を必要とした。

 しかし、大聖堂では聖女として扱われたことで衣食住は満たされ、毎日の祈りに週に一度の女神賛美の歌、時々ある上層部からの呼び出しの他、フェリシアに無理を強いることはなくなった。聖堂の教義だけでなく、希望すれば一般的な学校の教科を学ぶこともできた。

 歌声に秘められた力を感じる者達からは敬意を持って扱われ、ヒューメグランデに来た当初に比べると希望ある生活を送ることができた。

 それでも、今は遠い故郷に帰ることを待ち望まない日はなかった。



 間もなく五年。十六才になったフェリシアが故郷ボスコブルに戻る日が近づいてきた。

 この国で最後の呼び出しになる、と言われ、連れて行かれたのは、いつものような大きなお屋敷だった。

 いつも同行する聖堂の護衛と、聖女付きの世話係が都合がつかず、見慣れない者が同行していた。それだけで少し動悸がして、うまく呼吸できなくなりそうだったが、最後の「お勤め」を果たすため、フェリシアは落ち着いて、と自分に何度も言い聞かせた。


 暗い部屋だった。

 病や傷を持つ者の部屋は、大抵そうだった。

 依頼者が横たわるベッドに近づくと、いつもは部屋の中に控える護衛と世話係が部屋から出た。

 ベッドの人を見て、フェリシアはおかしい、と思った。

 不健康そうではあったが、それは怠惰な生活によるもので、急ぎ治すべき所などないようだ。

 嫌な気分になり、フェリシアが部屋を出ようとすると、鍵がかかっていた。

 恐怖で息が乱れた。

「出して、ここから出して」

 ドアをノックしても、外にいるはずの護衛が来ない。

「おまえが聖女か」

 ベッドで寝ていた小太りの男が近寄ってきた。

「おまえの息で十年長生きできるらしいな」

 フェリシアはドアを何度も叩くが、誰も来ない。

「誰か、開けて、誰か」

「騒いだところで、誰も来るものか」

 腕を掴まれ、その場に引き倒されると、その唇に無理矢理口を押しつけられ、搾り取るようにフェリシアの呼吸を吸い尽くそうとした。

 乱れる呼吸と恐怖、ねばりつく口の気持ち悪さで、暴れた足が向こうずねに当たり、何とか離れると、ドアを諦め、窓に駆け付けたが、すぐに追いついた男に足を払われた。倒れたフェリシアに男は馬乗りになると、

「おまえは金で買われたんだ。卑賎な女が聖女呼ばわりなど…」

 服の胸元をちぎられ、足を這う男の手にフェリシアが悲鳴を上げると、その声はいつもの澄んだ穏やかな響きを持たず、低く、地面が揺れるかのようなうなり声に変わった。とてもフェリシアの口から出たとは思えなかった。

 どんなに息が荒れてもその声は途切れることなく、やがて口から息と共に黒い霧が吐き出された。

 その霧を吸ったとたん、男は

「ぐおおっ」

と短い悲鳴を上げて喉を抑え、のたうち回った。

 そのすきに窓の近くまで這うように逃れたフェリシアは、足りない酸素に意識を失った。

「だ、…誰か……、殺され…」

 男が苦しみながら倒した花瓶の音にも、暴れる様子にも、護衛はお楽しみ中だろうと駆け付けなかったが、急に静かになり、扉の向こうから響く低く震える音に、確認のため部屋の扉を開けた。

 そこには口から泡を吐き、床に爪を立てて苦しむ男と、窓辺で倒れている聖女がいた。男を救おうと部屋に入った護衛は、黒い霧を吸ったとたん、男と同じように苦しみだした。

 黒い霧はますます濃く、広がっていった。

 屋敷にいるものが次々に来ては倒れ、ようやく七人目が直接部屋に入ることをあきらめ、隣室の窓から窓伝いに近づき、窓を割った。部屋に漂う黒い霧が風に飛ばされるのを待ち、自分の主人と倒れている見知らぬ少女、家の使用人たちを部屋の外へと運び出したが、どの者もかなり状態が悪かった。


 大聖堂に戻されたフェリシアは、セヴェリーニ侯爵に害をなしたとして大聖堂の牢に入れられたが、意識は戻っていなかった。

 マリーノが治療を施そうとしたが、罪人に治癒魔法を使うなどもってのほか、と止められ、近寄ることも許されなかった。


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