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黒い吐息  作者: 河辺 螢
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 エミリオがフェリシアの居場所がつかめたのは二年後だった。フェリシアが隣国ヒューメグランデの首都にある大聖堂で、聖女としてお披露目されたのだ。

 「聖女を守るため」との名目で、常に二人の護衛を伴う姿は、聖女を逃さないための見張りをつけているようにも見えた。

 フェリシアが誘拐されたことは母親からも届が出ており、エミリオはすぐさま聖堂に照会をかけた。しかし、聖堂側は「聖女自身がどこからか聖堂に逃げてきたので保護した」「聖女としてここで暮らすことを望んでいる」と言うばかりで、フェリシアと会わせようともしなかった。

 しかし、ボスコブルの王家からヒューメグランデの王家へ、誘拐の捜査を正式に申し込むと、ようやく面会が許された。

 王家に申し入れを頼むのも一苦労だった。たかが一市民のために、とずいぶん渋られたが、結局は祖父レオルの一言で段取りはついた。


 聖堂で面会を許されたのは三名。騎士団に所属するミルコとジーノ、それにエミリオも同席した。

 フェリシアは白い聖女用と思われる服を身にまとい、首には白い布でできたリボンのようなものを巻かれていた。元々そんなに大きな方ではなかったが、より弱々しく、より痩せているように見えた。

 後ろには護衛が二人控え、二人の司祭が付き添っていた。

 司祭のうちの一人は、祭りの日、治癒の使える司祭を取り囲む者を無慈悲に突き飛ばし、エミリオに怪我をさせた男だった。男はパオロと名乗った。

 口の軽い召使いからフェリシアの治癒の力のことを聞き出したのが、聖堂の関係者だと言うことはわかっていた。しかし、確たる証拠はない。

 面会が始まっても、フェリシア自身は一言も発することはなく、質問には全てパオロが答えていた。

「いつからこちらにいるのですか」

「二年前に、そちらとの国境に近い小さな聖堂にご自身でやってこられました」

「聖堂で誘拐を示唆したのではないのですか?」

「誘拐など、そんな嫌疑をかけられても…。聖堂は聖女フェリシア様を受け入れ、お守りしているのです。こちらに来るまでに誘拐されていたかも知れませんが、聖堂の者は知らぬ事。今となってはここでの暮らしになじんでいらっしゃる。そちらのお国が嫌になって逃げ出してきたのではないですか?」

 あることないこと、よくしゃべる司祭だ、とエミリオは思った。あの時と同じように高圧的で、人の話を聞く気など、はなからない。

 エミリオはフェリシアを見たが、エミリオとも、他の誰とも視線を合わせることはなく、ぼんやりとした様子だった。口をきけないように何か道具を使われているか、薬を盛られている可能性もあった。

「フェリシアさん、あなたの口からお聞かせください。あなたはどのようにしてこちらの国に来たのですか? ここに残りたいのですか?」

 ミルコの問いかけに、はいともいいえとも答えない。

 それを見て、鼻で笑うパオロ。

「あなた方と話す気はないようですね」

 しかし、フェリシアがピクリと口許を動かしたのを、エミリオは見逃さなかった。

「フィー、帰りたくないのか?」

 エミリオの問いかけにも表情は変わらなかったが、突然、目から涙が流れ、言葉ではない音が伝わってきた。

  カエリタイ

  カエリタイ

 何度も響いてくる思い。

 口は開いていないのに、繰り返される思いが周囲に広がり、司祭二人が顔色を変えた。

 聖堂とボスコブルから来た調査員を仲介していたヒューメグランデの役人さえも、戸惑っていた。

 聖女はこの国に残りたがっている、そう聞いていたのに、何かおかしい。

 聖女がこの国にいることは国益になる。王家からもそう聞いていた。しかし、聖女は痩せて元気がなく、無表情で、どう見ても操られているような不自然さがある。それを認めれば、国のためにならない。そうは思っても、まだ若齢の女の子が帰りたいと願い、涙を流すその姿はあまりに哀れだった。

 そこへ、一人の司祭が入ってきた。

 二年前にボスコブルを訪れていた、治癒魔法を持つ司祭マリーノだ。

 マリーノはフェリシアに目をやると、首に巻かれたリボンを取り、その背にそっと手を当てた。

 すると、フェリシアの目が光を取り戻し、さっきよりさらに大粒の涙を流しながら

「帰りたい…」

 その口ではっきりと、そう語った。

 マリーノは、目を伏せ、

「申し訳ないことをしました…」

と謝罪した。初めて耳にしたマリーノの声は穏やかだった。

「どういう事情でここに連れて来られたかはわかりませんが、聖女様が帰ることを望んでいるのは確かなようです」

「マリーノ様、なりません、そのような」

 もう一人の司祭が口を挟んだが、

「あなた方は、女神様に仕えながら、かくも年若い者を無理にこの国に縛り付けようとするのですか?」

 マリーノの言葉に、司祭二人は口を閉ざした。

 しかし、続くマリーノの言葉は、楽観的なものではなかった。

「…大変申し訳ありませんが、今、聖女様は聖堂で教義に基づいた修業をされています。お国に戻すには、その修業を終えた後になりますことをお許しいただきたい」

 ようやく話ができる者が出てきたかと思えば、次は修業を名目にすぐには戻してもらえない。エミリオは落胆を隠せなかった。

「その修業はいつまでですか」

 ミルコが尋ねると、

「十六才まで。あと五年です」

「五年…」

 それを聞き、今までより倍以上長い月日にフェリシアも落胆していた。

「今、お返しするとなると、聖堂から破門されることになります。それは、この国はもちろん、そちらの国で過ごすにも、あまりに不利になりましょう。修業を終えてからお戻りになれば、そちらの国の聖堂で職を得ることもできます。私の名の下、必ず、お戻しするとお約束します」

 後ろにいた二人の司祭は不満気な態度を隠さなかったが、それでもあと五年もあれば何とかなるとでも思ったのか、反対することはなかった。

「今のように言葉を塞ぎ、逃がさないように見張りをつけて五年も暮らすのですか?」

 エミリオの言葉にパオロが言葉を荒げた。

「護衛を見張りとは失敬な。言葉を塞ぐも何も、」

「パオロ。あなたは口を閉ざしなさい」

 マリーノはパオロを一喝し、ボスコブルからの来客に深々と頭を下げた。

「…こちらの者が失礼しました。今後は、私が責任を持って聖女様をお守りします。修業の間お預かりしている、大事な客人として」

 それは、自分たちの不手際を、フェリシアに対する聖堂の対応の悪さをマリーノ自身が認めたものだった。


 五年という月日は、決して短くない。この二年だって、フェリシアがどのような待遇を受けてきたか。こんなわずかな時間の対面でさえ、幸せではなかったとわかるのに。

 破門だろうと構わない。今すぐ連れて帰りたい。そう願うエミリオに対し、フェリシアは

「…わかりました」

と答えた。

「五年間、お勤めを果たして、きっと帰ります。だから…」

  カエリタイ

 フェリシアの声にならない声が聞こえてきた。

 唇を震わせながら、エミリオを見つめ、

「…お母さんに、元気にしていると、きっと帰ると、そう伝えてください」

 フェリシアの決断に、勝ち誇ったかのように司祭パオロは笑い、

「では、そういうことで。…連れて行け」

と護衛に命じた。

 フェリシアの両腕を二人の護衛が掴み、立ち上がらせるその姿はまるで罪人を扱うかのようで、エミリオは怒りを覚え、フェリシアの元へと行こうと身を乗り出したが、ミルコに止められた。

 その場を去ろうとするフェリシア達を、マリーノが止めた。

「このような護衛は不要です。あなた方も聖女の担当から外します。…聖女様、共にこちらへ」

 マリーノに導かれ、誰にも押さえつけられることなく部屋を出て行くフェリシアを、エミリオは見送るしかなかった。

 扉が閉まり、面会の終了を告げられた。

 エミリオは自分の力のなさを、ひしひしと感じた。


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