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ランツェッタ公爵家では、即座に当主毒殺未遂事件に応酬した。
殺害されかけた本人が毒を仕込んだ者を覚えており、それは現王家の第二王子、カルロだった。毒の殺傷力に自信があったカルロは、愚かにも苦しみもがくレオルに自分の所業を笑いながら伝えていたのだ。
自身の祖父の弟を殺害しようとした王子は幽閉され、数日後に処刑された。
さらに、事件の後、即座に依頼した治癒魔法の司祭が訪問日を延期し、代わりに向かった先が頭痛を訴える王妃の元だったことを問われると、王は自身の関わりを否定し、首謀者を追求することなく王妃を軟禁した後、修道院へと送り飛ばした。
王は家族を切り離すことで自分の保身を図ったが、この行動に多くの者が不信感を募らせた。
王の後ろ盾だった王妃の実家は失脚し、王を支持する者は減っていった。
レオルは家督を息子のアルバーノに譲り、毒による体調不良を盾に王家を揺るがし続けた。実際には体調は毒を含む前よりもすこぶる良好だったが、この機会を逃すことはなかった。
かつて王だった兄に敬意を抱き、王家に従順であったランツェッタ公爵家は、もはや王家に従うつもりはなかった。
◆
フェリシアが眠っている間に祭りは終わっていた。フェリシアは母と共に王都の商家を離れ、元いた町ルミノサへ帰ることになった。
乗合馬車を待っていると、突然三人組が襲いかかってきた。
母ロザリアを含め、その場にいた数人が大怪我を負い、フェリシアはどこかへ連れ去られてしまった。強盗を装いながらも、客の所持金や装飾品は手つかずで、その目的がフェリシアであるのは明らかだった。
その知らせはランツェッタ家にも届き、急ぎフェリシアの行方を追ったが、見つけることはできなかった。
ランツェッタ家の恩人でもあるフェリシアの捜索はその後も続けられたが、足取りはなかなかつかめなかった。
「絶対に探し出す」
普段はおおらかで優しい孫が、強い決意の目をしているのを見て、レオルは自分が動くのをやめることにした。自分が動けば、一月も待たず解決するだろう。しかし、あえてレオルは手を出さず、力は貸すが、動くのはエミリオ自身に任せる、とけしかけた。エミリオは深く頷き、自分にできることを思いつくままに実践していった。
◆
連れ去られてから、国境に近い聖堂に来るまでのことを、フェリシアは覚えていなかった。
目が覚めたら隣に母はおらず、手足を縛られて、鉄格子のはまった部屋に投げ入れられたように倒れていた。
目の前にいたのは司祭のパオロ。祭りの日に大聖堂で治癒魔法を使える司祭のそばにいて、周りの人々を押し飛ばし、エミリオを転倒させた男だ。
それに、知らない男が三人いた。
「どこかに誘拐されそうになっていたのを、お助けしたのですよ」
そう言って笑う姿を、信じられる訳がなかった。むしろ、その男達が自分を誘拐したのではないかと思えた。
「ランツェッタ家の老いぼれを治したのはあなたでしょう。あの家の召使いが教えてくれましたよ」
レオルが秘密を守るよう家の者に言い聞かせていたにもかかわらず、口の軽い者はわずかの金銭で家の騒ぎを他人に語っていた。それがどういう結果を生むかも考えもせず。
「どうやって治したのか、やってごらんなさい」
フェリシアの元に、小さな子供が運ばれてきた。
「この子を治さなければ、死んでしまいますよ」
そして、目の前で子供の腹を剣で刺した。
フェリシアは悲鳴を上げた。
衝撃と緊張で、呼吸がうまくできない。
ただうろたえるだけのフェリシアを見て、パオロはただのデマだったか、と舌打ちをした。
しかし、荒れる息の中、フェリシアのそばにいた子供の流れる血は止まり、少しづつだったが傷は塞がっていった。
しかし、完全に傷が塞がるよりも先に、自らの呼吸を乱しすぎたフェリシアは、呼吸困難を起こし、倒れていた。
若い修道士が呼ばれ、フェリシアと子供を部屋から運び出すと、子供には表面だけになった傷の治療が行われ、盗賊に襲われかけていた所を助けた、という作り話と共に親元へ戻された。
親は聖堂の司祭に感謝を示し、少額ではあったが手持ちの金を聖堂に寄進した。
パオロは微笑んで受け取りながらも、「治癒の力にこんなはした金か」と鼻で笑った。
フェリシアはベッドしかない部屋で寝かされ、部屋は施錠されていた。
目覚めてからは、食事を運ぶ者はいても口をきくことはなかった。冷めたスープと固いパンを口にし、故郷や母を思い、ただ涙するしかなかった。
起き上がれるようになって数日後、パオロに大きな街にある大聖堂へと連れて行かれ、そこが隣国ヒューメグランデだと知らされた。
知らない間に、自ら進んで聖堂に駆け込んだことになっていた。
反論しようにも、首に何かの魔法が仕込まれた白いリボンを巻かれ、何も話せなくなっていた。聖堂の上層部の人と話をする時は常にそのリボンを巻かれ、自分から話すことはできない。日によっては食べ物に変な混ぜ物をされ、何も考えられなくなることもあったが、ぼんやりと立つ自分を疑問視する人はいなかった。聖堂ではよくあることなのかも知れない。
そうしないうちに修道女見習いとなることが決まり、遠く西にある聖堂に連れて行かれ、毎日のお勤めを行った。そこでは部屋に鍵をかけられることはなかった。
聖堂の仕事とは別に、時々知らない家に連れて行かれ、目の前にいる弱った人を何とかするよう言われた。
フェリシアは、一目見ればわかった。
どんなに息を吹き込んでも、既に死が決まっている人もいる。
怪我や毒のように、一時的に悪くなった者には、対応が早ければフェリシアの力は良く効く。治る見込みのある病もしかり。しかし、持病を持ち、死を間近にしている者には無力だった。誰でも救える力ではないのだ。
フェリシアが
「この方を治すことはできません」
と告げると、パオロはフェリシアの頬を平手でぶち、雇い主は
「約束が違う」
と怒鳴り声を上げた。
それでも、フェリシアが横たわる者のそばに行き、手を握って祈りを捧げた。
息を荒げ、痛みに耐える者は、フェリシアの呼吸に合わせて息づくうちに痛みを忘れ、わずかながら目を開けた。
「旦那様!」
集まっていた家族と短い会話を交わした後、死にゆく者はフェリシアに感謝の言葉を告げ、穏やかな死を迎えた。
それを見た雇い主が返金を求めることはなく、パオロがフェリシアをぶつ回数はさほど多くはならなかった。
むしろ、治せる者がいた時の方が大変だった。
落ち着かなければいけない。そう思うのに、やれと言われるたびに呼吸が乱れ、動悸が激しくなり、自分の息さえ思い通りにならなくなる。
治癒は中途半端で、フェリシアが倒れることで終わった。そしてその後、一週間近く寝込んでしまう。
聖堂の上層部も、フェリシアの力が金になることがわかっていたので、パオロがフェリシアを連れ出し、フェリシアが長く伏せっていても知らぬ振りをしていた。
しかし同じ聖堂で勤める者達からすれば、病弱で、日々のお勤めどころか、自分の世話もろくにできない困った修道女見習いとしか扱われず、身に合った割り当てとして与えられる食事は減らされ、衣服も使い回された果てのものが与えられた。
西の聖堂にいる間は首にリボンをつけられることはなかったが、他の人とはめっきり話をしない習慣がついていた。
ある日、聞いたことのない歌を歌う修道女がいた。
フェリシアがその歌を熱心に聴いているのを見て、
「歌ってみる? 教えてあげようか」
と声をかけてくれた。
他に歌を習う者は無口なフェリシアが加わったことに怪訝な顔をしたが、フェリシアの歌声を聴いて、誰もが驚いた。
高い声は透き通り、清らかによく響き、歌の意味を知ればますます声は広がりを見せた。やがて毎週一回の祈りの日に女神にその歌を捧げるようになると、柔らかな幸福感がその場を包み込んだ。
共に祈る人に小さな不調があれば、気付かぬうちに回復していた。
やがてその祈りの時間は口伝えで評判になり、聖堂に足を向けることのなかった者まで歌を聴きに訪れるようになっていった。
大聖堂の司祭長が西の聖堂の祈りに立ち会い、その情景を見て驚いた。
聖堂の外にあふれるほど人が集まり、それでいて騒動になることもなく、司祭の説教は適度に聞き流しながら、修道女と見習達が女神を賛美する歌を歌う番になると、皆物音も立てずに聴き入っていた。
そして歌が終わると、少しながらも浄財を納め、金がない者は食べる物を、食べる物がない者は花を、皆何かの感謝を捧げていた。
司祭長自身、持病の神経痛が少し治まっているのを感じた。
何度か訪れるうち、修道女見習いの一人がいる時はその効果が高い事がわかった。
時々体調を崩すと言われていた修道女見習いは、聖堂に出られない時も、歌の時間になるとベッドから身体を起こし、同じ歌を小さく口ずさんでいて、それだけでも小さな力を感じることができた。
司祭長はその修道女見習いを大聖堂へと連れて行った。
そして大聖堂に来て半年、この国に来て二年後、フェリシアはその声が奏でる歌の力により「聖女」として扱われることになった。