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黒い吐息  作者: 河辺 螢
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 「絶対にこの力のことは他の人に話しちゃ駄目よ」

 フェリシアはずっと母からそう言われていた。

 他の人にはない力。

 例え人の役に立つ力でも、秘密にしなければいけない。

 それをずっと守ってきた。…あの日までは。


 

 ボスコブル国の王都では、年に一回の大きな祭があった。

 いつもの街の店はもちろん、普段は手に入らないような物を売りに出す店も入り交じり、祭目当てで王都に来た人達の財布の紐は緩まっていた。

 フェリシアの母は商家に勤めており、普段は王都から少し離れたルミノサの町で働いているのだが、稼ぎ時であるこの時期は王都に呼び出され、手伝いをしていた。母を含めた数人がこの時期だけ商家の使用人の部屋をあてがわれ、遅くまで働かされることもあったが、その分多めの賃金が支払われた。

 母と一緒にフェリシアも王都に来ていたが、住み慣れた町と違い、一緒に遊んでくれる友達もいない。部屋で大人しくしているように言われたフェリシアは、初めはそれに従っていたが、暇を持て余すとこっそりと部屋を抜け出していた。忙しいこの時期、子供が少しの間いなくなろうと誰も気付かなかった。五年目にもなると王都の地理もわかってきて、少し離れたところまで街を探索することもあった。


 ある日、いつものように近くの広場を抜け、もう一区画先の噴水まで行こうとしていた時、様子のおかしい男の子を見つけた。

 仕立てのいい服を着ているのは大抵貴族の子供だ。祭に乗じてお忍びで散策する者も少なくないが、大抵は護衛をつけている。しかしその子の近くには誰も控えていなかった。

 道に迷ったのかと思い、声をかけると、初めはビクッとしたものの、自分より小さな子供だと知ると緊張を緩め、息をついた。

 聞けば、その男の子も家を抜け出してきたらしい。

「大聖堂に行きたいんだ」

 大聖堂は知っている場所だった。少し距離はあったけれど、フェリシアは快く男の子を案内した。


 祭りの期間、大聖堂は開放され、日が昇っている間は自由に中に入ることができた。

 男の子はまず、聖堂の中の女神の像に祈りを捧げた。

「どうか、おじいさまが良くなりますように」

 その言葉を聞き、男の子のおじいさんが病気なのだろうと察し、フェリシアも一緒に祈った。

 祈りが終わると、男の子は司祭の元へ行き、何かを話していたが、首を横に振られ、がっくりとした様子で戻ってきた。

「誰かに会いたかったの?」

 フェリシアが聞くと、

「お祭りで、隣国から治癒魔法を使える司祭様が来てるって聞いていたんだけど、出かけていていないって…」

 がっくりとした様子で話す男の子は、恐らく治癒魔法が使える司祭におじいさんを治してもらいたかったのだろう。

「おじいさまはご病気なの?」

 男の子は少し考えてからこくりと頷いた。

 この国には、治癒魔法が使えるような力のある魔法使いはいない。呼び寄せるにも、お金だけではなく、コネも、運も必要だ。魔法使いは多忙であり、こんな小さな国に訪れることなど滅多にない。せっかく近くまで来ていても、このように会えるとは限らないのだ。

 それでも男の子はそこを動かなかった。時間が許す限り、待つつもりなのだろう。

 フェリシアも、特にすることもなかったので、一緒に待っていた。

「あなたは王都に住んでるの?」

「うん…。君は?」

「私は、お祭りの時だけ。普段はルミノサの町に住んでるの」

「お祭りを見に来たの?」

「ううん、お母さんがお店のお手伝いに来てて、一緒に来たの。ずっとおうちにいるのが退屈で…」

 そう言うと、ふと笑顔を見せた。

「抜け出したんだ」

「あなたもでしょ?」

「おんなじだ」

 抜け出したのは同じでも、ただ散歩をしていた自分と、おじいさんのために大聖堂まで来た男の子とは全然違うように思えた。それを笑って同じと言われたことが、フェリシアにはちょっと恥ずかしかった。

「僕はエミリオ。君は?」

「フィー」

 フェリシアは、いつも母に呼ばれている愛称を名乗った。正式な名前は使い慣れていなかったし、そう呼んで欲しい気持ちもあったからだ。

 お忍びのエミリオのことをあまり聞いてもいけないだろうと思いながらも、フェリシアは気になっていたエミリオの祖父のことを聞いてみた。

「おじいさんのお体を治してもらうために、司祭様に会いに来たの?」

「…昨日、うちに来てくれるはずだったんだ。それなのに、急に用事ができたって。次はいつ来るかも言わないんだ。だから、いつ来てくれるのか聞きに来たんだけど…」

 話をしていると、背後で人がざわつく声がした。

 誰かが動くのに合わせて人だかりが出来、

「どうかお恵みを」

「司祭様、なにとぞ我が子の病をお治しください」

とすがる声で、エミリオが探していた司祭が戻ってきたのがわかった。

 エミリオはすぐに立ち上がると、その人混みに走って行った。

「司祭様、昨日お約束したランツェッタ家の者です。お待ちしていたのにどうして」

 司祭はふと視線をエミリオの方に向けたが、司祭の周りを取り囲んでいた者がエミリオやその周りにいた者を乱暴に押し、司祭から遠ざけた。

 子供のエミリオは簡単に転倒し、その間に司祭は大聖堂の、一般人には出入りできない奥へと入っていった。


 司祭がいなくなると、人だかりはほぐれるように消えていった。

 エミリオは立ち上がって服についた土を払った。転倒で怪我をした膝は、血がにじんでいた。

 フェリシアはエミリオの手を引いて、近くにある水飲み場まで行き、流れ出る水で傷口についた土を洗い流した。

 しみるのか、少し顔をしかめたが、声は出さなかった。

 傷の痛みより、必死に訴えているのに誰も聞いてくれず、一押しでたやすく飛ばされた自分が、その存在までも軽い事を実感し、悔しさに涙がにじんだ。

 フェリシアは少し迷ったが、心を決め、ゆっくりと息を吸うと、エミリオの膝の傷に向けて息を吹きかけた。

 ほんの一息。

 初めは、ただ空気が当たっただけだった。それがゆっくりと傷が小さくなっていき、裂けていた皮膚同士が寄り添い合うかのようにつながり、三分もしないうちにまるで何もなかったかのように傷はきれいに消えていた。

 何が起こったのか、訳がわからなかった。自分の身体に起こったこの奇蹟に、エミリオはしばらく自分の傷のあったところを見つめていた。

 フェリシアは、隣で同じように傷を見ていたが、驚いた様子もなく、

「さっきの場所まで送ったら、家はわかる?」

と問いかけた。

「おうちの近くに何かわかる建物があったら、そこまで送ってもいいけど」

 大聖堂から家への道はわかる。家の者に見つからないよう、裏道を抜けているうちに道に迷っただけだ。

 しかしエミリオは少し考えて、

「フィオレ橋の近く、わかる?」

と聞いた。フェリシアはすぐに

「わかるわ」

と返し、エミリオを橋まで案内した。

 

 案内しながら、フェリシアは自分が母と二人暮らしであること、母は商家で働いていて、普段は母が帰ってくるまで町の学校に通っていることを話した。

 フェリシアは今学校で習っていることを得意げに話したが、エミリオにとってはずいぶん簡単な内容だった。エミリオの方が二つ年上なのもあったが、田舎の町の学校で教えている内容より自宅で家庭教師に教わっている内容のほうが遙かに高度だった。それでもいつか母のように商家で働けるよう、算数を頑張っている話を聞くと、自然と「それはすごいね。頑張ってるんだね」と励ましの言葉をかけていた。


 フィオレ橋まで来ると、エミリオは案内を終えて去ろうとするフェリシアの手を掴み、戸惑うフェリシアに有無を言わさず、

「一緒に来て」

と強引に家まで引っ張って行った。

 エミリオが家の外にいることに気がついた門番が慌てた様子でエミリオを通し、すぐに家から侍従が出てきた。

「エミリオ坊ちゃま、その方は…」

「友達だ」

「お友達? …しかし」

「少し話があるだけだ。お茶の準備をして」

 侍従に有無を言わせず、フェリシアを連れて屋敷に入ると、まっすぐ二階へとあがり、奥にある扉をノックし、返事を待つことなくその部屋に入った。

 部屋は窓に厚いカーテンがかかり、薄暗かった。左奥にある天蓋のついた大きなベッドに誰かが横になっていて、少し離れたところに侍女と思われる女性が椅子に座っていた。

「坊ちゃま…」

 驚いた様子で立ち上がった侍女を手で制し、フェリシアと共にベッドのそばに寄ると、そこには年配の男性が眠っていた。

 侍女は、急に子供が二人入ってきたのに戸惑い、指示を仰ぐため家の者を呼びに部屋を出た。

 息は苦しげで、顔色も悪い。かなり良くない状態なのはわかったが、フェリシアは何故かただの病気ではないような気がした。

「…もしも、君に治癒の力があるなら、おじいさまを助けて欲しい。…ずっと元気だったんだ。二日前に急に具合が悪くなって」

「…毒?」

 フェリシアの言葉に、エミリオは驚いた。

 自分よりも小さな子が、眠っている人を見ただけで祖父が毒を盛られたことを言い当てるなんて、思ってもみなかったのだ。

 フェリシアは、エミリオの祖父をじっと見ると、手をぎゅっと強く握りしめ、眼を閉じた。ゆっくりと息を整えると、

「…内緒に、…してくれる? お母さんに、人に見せちゃ駄目って」

 そう言って、エミリオを見上げた。

 エミリオが頷くと、エミリオの祖父に一歩近づき、その顔を覗き込むと、ゆるやかに吸い上げた息を一旦肺の中にため込み、ゆっくりと、少しづつその息をエミリオの祖父に吹きかけた。

 エミリオの足の怪我を治した時のような、目に見える変化はなかった。それが、呼吸を四度ほど吹きかけると、苦しさに荒れる息が穏やかになり、八度の呼吸で顔色が健康を取り戻した。そして十二度目の息が届いた時、祖父はゆっくりと目を開いた。

 エミリオは、目の前で起こった奇蹟に驚き、感謝した。しかし、それを口にするよりも先に、フェリシアはその場に崩れ、意識を失っていた。


 エミリオはフェリシアとの内緒の約束を果たそうとしたが、自分一人ではフェリシアを運ぶこともできず、侍女が連れて来た執事と侍従が部屋に入ってくるまで、何をすることもできなかった。

 執事は部屋で倒れている少女に驚き、さらにエミリオの祖父、この家の主人であるレオルが目覚めていることに声を上げて喜んだ。

 フェリシアは客室へと運ばれた。祖父レオルの診察を終えた医師に診てもらうと、命に別状はなく、眠っているように見えるが、体温が低くなっているのが気になると言われた。

 どこの子だと聞かれても、エミリオには答えようがなかった。街で出会った女の子で、母親は商家で働いているが、どこの商家かも聞いていない。道に迷った自分を大聖堂まで案内してくれた、通りすがりの親切な女の子。

 どうしてレオルが目覚めたのか、と言われても、説明できなかった。内緒の約束を守らなければいけないが、エミリオが黙っていたところで目覚めた原因はフェリシアにあるとしか思えない状況だ。

 エミリオの母も問いかけたが、満足のいく答は聞き出せなかった。

 それでも、子供が連れて来た友達が家で倒れたのだ。このまま屋敷で面倒を見るにせよ、親を探し、このことを伝えなければいけない。

 事態が事態だけに、騒ぎにならないよう注意しながら捜索は行われたが、そう時間はかからなかった。エミリオが迷子になっていた近くで子供を探している母親の話を聞き、特徴が似ていたので密かに屋敷へ案内した。


 フェリシアの母、ロザリアは娘のことを多く語らなかった。エミリオの祖父レオルが目覚めたことも偶然だろうとだけ述べ、礼金の話も全く受け付けなかった。むしろ、妙な噂を流さないで欲しい、迷惑だと言いきり、すぐさま娘を連れて家に帰りたい、と言った。

 しかし、商家の周りは今、祭りで賑わっており、貴族の家の馬車で送るには目立ちすぎる。昼間働くロザリアが面倒を見るのも難しいだろう。フェリシアが目覚めるまでランツェッタ家で預かり、責任を持って家に送ると言うと、ロザリアは少し迷いながらも、

「よろしく…、お願いします」

と答えた。

 くれぐれも、娘のことで変な噂を立てないように。ロザリアは何度もそれを繰り返したが、それは逆に曰くのある娘であることを示していた。


 すっかり体調の良くなったエミリオの祖父レオルは、このことはこの家だけの秘密にし、決して口外しないよう、屋敷の者に口止めした。

 併せて、レオルが復調したこともしばらく伏せておくことにしたのだが、二日後、隣国から来た治癒魔法を持つ司祭マリーノが訪問できるようになった、と連絡が入った。

 今頃来ても、あのままなら到底間に合っていなかっただろう。

 レオルは体調はよくなってきたのでもう不要だと断り、何故あの時は来られなかったのか尋ねた。聖堂からは、治癒魔法の依頼が多い中、より具合の悪い方を優先した、と答えがあった。いかにも正当な言い訳に、ランツェッタ家はそれ以上問わなかった。

 聖堂側はレオルの状態がかなり悪かったことを知っていたらしく、逆にどうして具合が良くなったのか、別の治癒魔法使いでも呼んだのか、と重ねて問い合わせてきたが、薬が効いたのだろう、とだけ答えた。


 フェリシアは三日後に目覚めたが、起き上がれるようになるにはもう二日かかった。

 フェリシアが目覚めると、エミリオはフェリシアに秘密を守れなかったことを、そして、自分が無理に連れて来たために、フェリシアを寝込ませてしまったことを謝った。

 フェリシアは

「自分がやると決めたことだから」

とだけ言って、エミリオを責めなかった。そして、改めてエミリオが

「おじいさまを助けてくれてありがとう」

と言うと、ただ黙って微笑むだけだった。

 エミリオは時間が許す限りフェリシアのそばにいて、食事を介護し、退屈しのぎに話し相手になったり、家にあった本を持ってきて読んで聞かせたりした。

 エミリオは、あえてフェリシアの力について触れなかったが、フェリシア自身が少しだけ話してくれた。

「不思議な息は、私のお父さんの力とおんなじなの。お父さんは、お金持ちのおうちに連れて行かれて、戻ってきた時には起き上がれなくなっていて、その後すぐに死んでしまったの。お父さんの上着にはいっぱい金貨が入っていたけど、金貨なんかいらないから、お父さんに戻ってきて欲しかった…」

 フェリシアは自分もそうなるかも知れないと知りながら、祖父を治してくれたのだと知ると、とんでもないことをたやすく頼んでしまったと気付き、自分もまたフェリシアの父を死に追いやったお金持ちと変わらないことに、強い嫌悪感と後悔を覚えた。

「ごめんね…」

 そう言ってフェリシアを抱きしめると、フェリシアもまた

「ごめんね、心配かけて」

と言って、エミリオの背中をそっと撫でた。


 レオルの治り方と、フェリシアの倒れ方は、例えるなら自身の生命力を与えたかのようで、それは奇蹟と言うにも危険なものだった。

 レオルはこの幼い者の今後を案じ、家で囲うことも考えたが、母親に打診してもはっきりと断られた。

 今はその母親が言う通り何もなかったことにし、屋敷の侍女の親類で信用できる者を使い、フェリシアをそっと母の元に届けた。


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