血染めの出会い
鎖国の時代に唯一開かれた「異国」への港、長崎港。
その歴史から長崎は旧くより「招く土地」だった……善いものも、悪いものも。
人の世に紛れ込む異者から長崎を守るのが、「天艦」の一族に課せられた使命だ。
彼らが率いる「天艦隊」は、今日も『港』にて平和のため戦っている。
「保壱隊長ッ!」
「島原か」
異者が姿を表している時の『港』は、すこぶる天候が荒い。8月のまっただなかに雹が降り、局所的な雷鳴が轟いている。雹もただの氷の塊ではなく、血のような強い赤みを帯びている。
海は大時化、天艦の軍艦でなければとっくに転覆している。それでも揺れがひどく、鍛えてなければ船酔いで立つことも難しい。
だが、この不安定な足場で戦わねばならないのだ。『港』に他に足場はなく、異者は宙を泳いでやってくる。あるいは水上に立ち、あるいは海の底に足をつけるほどの巨体で。
人の身で奴らに対抗するには、まず強固な足場が要る。天艦の軍艦は乱闘を想定して甲板が広く作られている。異者は常に多数で攻めてくるからだ。
だが、真に想定されているのは──多対多ではない。
「そろそろ衝突です……ご準備を」
「ありがとう」
『港』から目線は離さぬまま、保壱は島原二等兵から赤鞘の剣を受け取る。それを腰に収めると、自然と立ち姿が整う。戦う準備ができる。
『港』が開く。
「…………」
保壱は顔色ひとつ変えず、視線も微動だにさせない。
ばきばきと、空間を割ってこちらの世界に侵略してくる異者。異形、大柄、そして醜怪。
奴らの目に映るのは煌びやかな長崎の町。
そしてそこまでの道のりを、剣呑な表情で阻むように立つ保壱の姿だ。
両者に言葉は通じない。だから、いらない。
互いが互いを「障害」だと認識した。それで十分だった。
天艦の軍艦は大きい。常に多数でいる異者に、海の上で立ち向かうために甲板を広く設計してあるからだ。
しかし彼らが想定しているのは、兵士たちと異者どもの乱戦ではない。
異者軍団対精鋭の一。
すなわち天艦家当代切り込み隊長、天艦保壱が大暴れするために──巨きい。
最初に仕掛けたのは、枯れ木のような見た目の異者だった。濁った体液をばら撒きながら前進し、体液の当たったところはたちどころに腐って溶けた。
だが、保壱の表情は変わらない。
手を伸ばした異者が保壱に触れるより前に、居合い。その豪胆すぎる太刀筋は、毒の異者を真っ二つにするだけにはとどまらず、後ろの異者集団にまで斬撃を届かせた。
百の異者に対して、『港』は一つ。現世に出るにはそこを通るしかなくて、つまり大勢の異者がそこでつっかえる。
だから剣を大きく振りかぶり、風圧で猛毒の体液を吹き散らせば、大漁旗を掲げてもいいくらいの釣果が得られる。大勢の異者が溶けて海へと落ちる。
仲間の毒を喰らって崩れ落ちる先鋒の異者の、死体を掻き分けて次の集団。人間大の小さな異者が素早く海の上に降り、軍艦へと乗り込んでくる。その速度は車にも匹敵し、その数はゆうに五十を超えていた。
まともに目で追うのも至難の技。だが、保壱には関係のないことだった。
横薙ぎ、一閃。
爆風のような剣圧を発生させ、保壱の乗る軍艦が波の中心になるほどの斬撃。
ここでようやく異者は気づく。目の前のちっぽけな生命体が、ただものではないことに。
異者は警戒のレベルを高め、一瞬の油断もなく保壱を睨む。保壱もその視線に応じ、刀を持つ手に力を込める。
「……!」
間一髪。咄嗟に上体を逸らしてかわした攻撃に、保壱の頬が薄く裂かれる。
全方位警戒はしていた。それでも見逃した理由は──今しがた攻撃をしてきたのは、先ほど斬り飛ばしたはずの小さな異者だったから。
(再生の……)
「異者」は、「異国」からやってくる、人とは存在を「異」とするモノ。
体格、容貌、生態、なにもかもが現世の全生物とかけ離れており、中でももっとも特徴的なのがーー。
(「異能」か)
それは、生物として真っ当な進化とは言い難い能力。
生きるためではなく、繁栄するためではなく……侵略するための力。
異者は、「違う」。
何もかもが生物と違う。
奴らは、侵略者なのだ。
切断したはずの下半身を何事もなかったかのように引き連れ、小型の異者は保壱に襲いかかる。さらに頭上では他の異者も虎視眈々と目を光らせており、一方に対処すればその隙にもう一方が仕掛けてくるだろう。
不可避。
侵略者である異者は、敵を仕留めるためならば策略さえ立てる。どこまでも賢しく、強かな存在だ。
だが、策とは。「弱者」が「強者」との差を埋めるものであって。
「圧倒的な強者」の前では、意味すら瓦解する。
「天艦流」
ぐ、っと保壱は力を溜めるように身をかがめ、異者の魔の手を前に無防備を晒す。恐怖で身を縮めたと勘違いしたか、さらに異者は勢いづいて吶喊する。
その過ちに、もはや奴らは気づかない。
「焼断」
天の、降る雹が溶けた。
波飛沫が蒸発した。
日輪がそこにあった。
天艦流、「焼断」。
保壱の全身を焔が覆い、その焔が刀に集まり、そして放たれた。
日夜激化する異者との戦いに、天艦一族は保壱にある試作品を託した。
それがこの刀、「焼き断ち」である。
材料は異者。異者を斬るために異能の力を組み込んだ、目を以って目を断つ業物。
ただし託された保壱本人は、「異者に命を預けるなど」と少し不満げである。
(総代の命令であれば、従うが)
先の一撃によって、保壱を狙っていた異者はおろか、『港』から様子を伺っていただけの異者ですら焼かれた。
もはや海はすさまじい熱気だ。軍服を脱いでしまいたいくらいだが、任務中なので実行には移さない。なんなら甲板も少し溶けていて、あまり乱用しないようにしよう、と保壱は肝に銘じる。
じりじりとした熱気の中、保壱は一心に『港』を睨む。
まだ『港』は閉じていない。異者は再び来る。保壱の経験則がそう警鐘を鳴らしている。
ヒリつく殺意を感じる。強い奴が、向こうにいる。
(来い)
ばぎり。空間の裂ける音。
保壱の心の声と同時くらいに、『港』から巨大な影が顔を覗かせた。
(デカいな)
目測、全長二十メートル。おどろおどろしい鬼のような顔面は、ちっぽけな人間を嘲笑うかのように醜く歪んでいる。長く伸びた鋭い爪から漂う白煙は、触れるだけで血が凍る絶対零度の証だ。
氷鬼。保壱は頭の中でそう目の前の大鬼を名付け、臨戦態勢を取る。幸い奴はまだ様子見をしているようで、戦いのポーズすら取っていない。
まともにやっては消耗するだけだ。決めるなら数手の内。保壱は歴戦の勘からそう定め、焔の力を身に宿す。
しかし、様子がおかしい。
「……?」
氷鬼がいつまで経っても動かない。いや、動いてはいる。徐々に『港』を開いて、現世に落ちてこようとしている。
そう、落下だ。あれは動いているのではなく、動かされている。倒れ込んでいる。
まるで、すでに誰かに仕留められたかのような。
氷鬼の顔面が歪んでいるのは、誰かに滅多打ちにされたから……そんな想像さえしてしまう。
(いや、)
だが、保壱はそこで無駄な想像をやめた。どうせもうすぐ分かる。「気配」が近づいてくる。
ばきばきばき!!
ついに空間を引き裂きながら、氷鬼の巨体が海へと沈んだ。その死体から漏れる冷気が波を凍らせ、『港』の真下に氷の島を作る。
冷気の煙の中に、小さくはあるが動く影。
「…………」
保壱は強敵の予感に目を細める。刀の柄から手を離さない。離せない。
鬼が出るか蛇が出るか。鬼はもう出た。であればあれは蛇か。
蛇の影が、ゆらりと蠢く。
「アーー……」
「っ!?」
人の声!?
保壱は予想だにしない事態にたじろぐ。誰か異者に攫われていたのか? それとも一人で『港』に突っ込んでいった、血の気の多い阿呆がいたのか?
そんなわけはない。そんなはずはないのだ。
なぜなら、保壱の経験が告げている。
『あの女は異者だ』
「……よォ」
「!!」
ガァアン!! 異者の女が繰り出した蹴りを、受け止めただけでこの轟音。正面からはとてもじゃないが受け切れない。保壱は咄嗟に衝撃を横に流す。
氷の島から保壱までは、相当な距離があったはずだ。それを一息に詰めてきた。恐るべき脚力。
なるほど、氷鬼を斃せるだけはある。この異者は危険だ。
「なぁ、てめえ」
「っ」
何より、人語を解す。
人型を取る異者ならこれまでにもいた。人間の言葉をオウム返しで使う異者もいた。
だが、こうまで完全な人型で、自分の意思を言葉にできる異者など見たことも聞いたこともない。
それはつまり、平和な市井に潜り込めるということだ。あの長崎の町に、異者が人知れず隠れてしまうということだ。
氷鬼の死体を思い出す。一度侵入を許せば、この異者は壊滅的な被害を長崎にもたらす。
保壱は、静かに決意した
(刺し違えても、倒──)
しようとした。
「教えてくれよ、てめえ」
甲板の上でふらふら歩く異者は、何事か呟く。ボサボサの髪を掻き乱して、少し『寂しそうな』顔をする。
人間みたいな。
「オレァ、何だ……?」
人間みたいな、疑問を口にして。
保壱はただただ困惑していた。華奢な女型の異者。人の言葉を使う異者。自らの在り方を問う異者。
──寂しげな表情を浮かべる異者。
……斬っていいのか? 本当に?
やはり保壱の勘違いで、奴は人間なんじゃないのか。異者との共通点より、人間との共通点を探したほうが早いくらいだ。
だが、氷鬼戦で受けたであろう傷がみるみる回復していく様を見れば、やはりあれは人ではない。異者だ。
異者で、あるのだ。
「な、ァ!!」
(速い!)
急襲。予備動作を感じさせないほどの速度で、突っ込んでくる。
兵士としての判断は防御より攻撃。すれ違いざまの一薙ぎ。
だが人としての判断は、間に合わないとわかっての回避だった。
「ぐ……ッ」
この速度だ。爪先が軍服に引っかかっただけで保壱の体は吹っ飛んでいく。甲板が広くて助かった。天艦の軍艦でなければ今頃海に落ちている。
そうなれば、今艦に乗っている人間で、こいつを止められるものはいない。
なのに。それをわかっていてなお。
(斬れない……ッ)
保壱は自らの判断を悔いていた。同時に、何が正解だったのかわからない。
考えるのはあとでいい、と教わった。自分でもそう思う。保壱の仕事は異者を斬ること。考えるのは、上の人間がやることだ。
(それでも、斬るのは俺なのだ……ッ!)
保壱は悩む。考える。
後悔しない選択は、何だ。
だって、あの異者は泣いている。赤ん坊のように泣いている。
異者がどう生まれ、どう育つのかなど知らない。だけどもし、ある日暗闇の中で目が覚めて、周りの連中はみな姿形もおかしく、誰も話が通じない。
生まれた瞬間から戦うしかなくて。
生まれた瞬間から一人でいるしかなくて。
今ようやく、光を見つけて飛び出してきたのなら。
(俺は、こいつを……)
ああ、無駄な想像だ。杞憂ですらない。ありえないとかの前に、だったらどうしろと言うんだ。
保壱の仕事は異者を斬ること。あの女は、異者だ。
斬るしかないのだ。
「教えろよ、おんなじ形のてめえ……」
「何を……」
「オレは何だ、てめえは何だッ、どうすりゃいい、どうすりゃこのイライラが収まるんだよォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
獣のような咆哮だった。凶悪で、凶暴な。肌がビリビリ痺れるような絶叫。
だけど慟哭にも見えた。暗がりからようやく飛び出して、初めて見た外の世界に戸惑って、鳴いている。
そんな無垢。
「教えろッ!!」
蹴撃。速くて重い蹴りが、息も吐かせぬ速度で連続。
「教えろよッ!!」
銃弾より速くて鋭い。防げばそのぶんダメージが蓄積する。かわせば逃げ場がなくなる。
反撃すれば。
自分を迷う。
「オレは、何だ!!」
『異者だよ』
突然、甲板のスピーカーから鳴り響く断定の一言。力強くも蠱惑的で、体を芯から突き刺すようなこの声は。
「総代!?」
『保壱、命令だ』
天艦一族総代、天艦長壱。
『その異者を、生け捕りにしなさい』
つまりその命は、保壱の意思など凌駕する「絶対」だ。
瞬間、保壱の体から迷いは失せた。問題の答えが出たのではない。先送りでいいと開き直ったわけではない。
保壱が軍人だから。異者が現世を侵略する生き物だとしたら、軍人とは命令を遂行する生き物だ。
総代の意図は知らない。生け捕りにして何をするのか、目的などどうでもいい。
命令を受けた。草木が太陽に葉を向けるのと同じように、軍人の本能は「そう在るのが当然だ」と疑問を捨てた。
普通の異者が言葉を持たないのも、理解できる。
ただ本能のままに生きることに、理由はいらない。
「がぁ…っ」
「……」
保壱は言葉を捨てた。躊躇を捨てた。正確な判断を取り戻した。機械のような冷酷さを取り戻した。
苦し紛れに蹴りを飛ばす異者に対し、極めて冷静に反撃をする。致命ではない。かと言って浅くもない傷を、一、五、十と次々重ねていく。
半殺しのための最適解。保壱は軍人の本能を全うする。生け捕りの命を最速最短最善でこなす。
腹、肩、腱、生命力の高い異者であればすぐに傷自体は塞がるだろうが、失った体力や血自体はどうしようもない。傷を治すのにも体力がいる。保壱はただ、削ればいい。
自らの意思など関係なく、生まれ落ちたばかりの赤子の手さえ切り落とせばいい。
それが命令である限り。
保壱が軍人である限り。
「ッアぁ!!」
脇腹を貫こうとした寸前、ひときわ強い力で異者が後ずさった。すでに失血は大量。人間であればとうに気を失っているところだ。命の危惧すらする流血の量である。
「ア、ア、ア」
だが、様子がおかしい。それにしても、流れ出る血が多すぎる。あの体躯に収めておける量ではない。
「わかんねえ、何だてめえ急にっ、なんで……」
すでにボロボロの異者は、それでも戸惑いを口にした。
その言葉と表情に、少しの失望を織り交ぜて。
「ようやく、同じだと思ったのに……!!」
瞬間、異者は右腕を天に掲げた。細腕がぼこぼこと内側から膨らんで、間を置かず破裂する。噴き出したのはこれまで以上の血だ。赤い滝が空へ登る、そんな雄々しくもどこか悲痛な光景だ。
「雨」
増血、と呼ぶべきか。異者の体から無尽蔵に作り出される血は、やがて空を覆って雨を降らせる。保壱の軍服を赤く染める。
何をするつもりだ。軍人の本能はこれ以上濡れることを厭った。紅暗い海に、漁火のように炎が灯る。血の雨さえ蒸発させるような熱量を伴う。
「手」
「!」
先手を打とうとした保壱の足を、何かが止めた。見れば足元の血溜まりが、夥しい数の手に形を変えて軍靴を縫い止めていた。血の操作。
まさかこの雨、全てがそうか?
「蹴る」
異者の傷だらけの足が、変異した。血の鎧を纏い、その大きさと姿を変える。
より大きく、より鋭く、より堅く、より強く。
「どけ、てめえ……」
異者は睨む。
今にも倒れそうなほど斬りつけられたのに。その心は死んでない。これまでの孤独の運命は、彼女に悲壮な決意をさせた。
「オレは、知りたいだけだ……」
前に進むことを、決意させた。
「……」
ここで諦められれば、どれだけ楽だったか。投げ出して、他の異者と同じように暴れるだけなら、どれだけよかったことか。
本能だけで生きられるなら。
悩むことなんてなかったのに。
「天艦流」
だけど、今の保壱は軍人だ。命令に従うだけの道具だ。道具は悩まない。考えない。主の命令に従うだけ。
軍人ならば、彼女の決意も意に介さない。辛い道を進もうとするあの異者の、その志を踏み躙ってへし折れる。
軍人ならば、今まさに飛び上がって保壱を蹴り砕かんとするあの赤脚を、一切の逡巡なく切り落とせる。足くらい失っても異者は死なない。命令は完遂できる。
だから自分の意思で、前に進もうとする彼女を斬れ。
自らが世界に生まれ落ちた理由。人間なら誰もが追い求めるそれを、違わず追おうとするその足を。
斬れ。
でも。
「焼打」
「ああああああああああああッ!!!!」
保壱が選択したのは、柄での突き。帯びた炎が血の鎧を吹き散らし、ついに異者は艦の外、氷鬼の死体が作った氷塊まで転がっていく。
それが決定打となった。血の雨はやみ、『港』も閉じる。天候は少しづつ穏やかに戻り、異者もこれ以上は動けない。今回の襲撃も、何事もなく終了した。長崎の町に被害はなく、軍艦も多少傷ついただけで大事ない。
かつ、こつ、と踵を鳴らして保壱は異者に歩み寄る。氷鬼の死体を背に、浅く息を続ける異者は、それでもこちらを睨んでいた。
『生け捕りにしなさい』。総代の命令が頭の中で響く。
「異者」
保壱は、問う。
「二者択一だ」
異者は、黙っている。
「選べ」
「がッ!」
その首を掴んで頭を持ち上げ、強制的に視線を合わせる。答えろ。無言の圧を掛ける。
選べ。
選べ!!
「ここで死ぬか」
「俺と来るか」
しかして、異者は。
「憂」
「なァんだよ、上官殿」
「訓練の時間だ、来い」
天艦総本家、練兵場。
猿みたいに木の上でサボって遠くを見ている憂……例の、生け捕りにした異者を保壱は呼ぶ。
結局、憂は保壱と共に来ることを選んだ。あそこで断れば、保壱がやらなくとも憂は殺された。あるいはそのほうが楽だったのかもしれないと、保壱は無意識にそちらを選んでくれと祈っていた。
あの瞬間、保壱は軍人ではなかった。忠実で、疑問を抱かない兵士ではなかった。
戦場において、人であってしまった。
保壱は今でも悩んでいる。どうすればよかったのか、答えは出ないままだ。
総代の意図はいまだに掴めない。あの後一月ほど憂は監禁され、本人曰く「色々地獄みてえなこと」をされたようだが……今はなぜか保壱の部下として隊に参加している。その時されたことについても、大して気にしてないようだ。
「ザコどもと訓練なんかしても意味ねぇよ、なんにもなりゃしねえ」
憂の戦闘力は、一般兵士とは比べ物にならなかった。異能を抜きにしても、単独で大型異者を倒すほどの実力者はそうそういない。
加えて、憂は戦闘のイロハをちっとも知らなかった。これまで力任せに暴れて、あの異者が蔓延る異界を生き延びてきたのだから……他の部下には悪いが、磨けばどれだけ輝くのか想像もつかない。
あるいは、そこまで力をつけさせていいものか。
(わからない……)
総代も、それに並ぶ本家の方々の考えは理解できない。これまで殲滅を主としてきた異者を生け捕りにした理由も、あの一月に何をしていたのかも。
憂が今保壱の部下であるわけも。
なぜ保壱に名付けさせたのかも。
(俺は何も知らない)
『港』から出てきたばかりの時の憂のように、保壱は見失っていた。自分がここにいる理由。戦う理由。
これまで通り「軍人」であるだけでは、いけないのかもしれない。
(俺も、見つけるぞ)
海の向こう。『港』。
異者とは、何だ。
自らを変える時が来た。もしくは。
保壱は木の上の憂を見上げる。彼女はこちらに目線を合わせようとせず、遠くを見ている。海を見ている。
(こいつと、変わる)
「なら、俺とやればいい」
「あ!?」
憂が嬉しそうに振り返る。ここ数週間共にしてわかったが、何より米と暴れるのが好きらしい。この女は。
「話がわかるじゃねえの、上官殿! さっそくやろうぜ増血ゥ!!」
「待て馬鹿、ここで仕掛けてくるなッ!!!」
昼時の練兵場に、轟く破壊音。
軍人たちの思惑はともかく、長崎の市井は今日も平和である。