第三話 記憶と優しさ
床に撒き散らされて湯気を立てる粥。それに目もくれない金髪のエルフは目を見開いて私をジッと見つめていた。
二人の沈黙が5秒ほど続いた時、私は自ら挨拶した方がいいのかと内心迷っていたが、その考えは『お、』と開かれたエルフの口に止められる。
「お?」
「おばあちゃーーーーーん!!!」
「!?」
金髪のエルフは眩しい髪を揺らしながらそう叫び、階段を下りていく音を豪快に響かせていった。
開かれた扉から微かに聞こえるあのエルフの声から少し焦りを感じた。恐らく私が目覚めた事に対する報告をその『おばあちゃん』という、存在にしているのだろう。
エルフとは最も人族と似た存在であり、その違いと言うのは耳の形と寿命の長さだけだ。
しかし、人の中にはその姿を『神』または『神の使い』と認識し奉る者も少ないと聞く。
『ドタドタドタドタ!』
下りる時より大きな音をたてて上がって来た時は床が抜けた落ちるのではないかと思えた。
そして、再び金髪のエルフは姿を現して勢いそのままに粥を飛び越えて私の体にダイブした。
「もう!1ヶ月以上も眠り続けとったからめっちゃ心配したんやでぇ!?」
私を抱く腕が脇腹を締め付ける。
「ぐ、苦じい...。」
金髪のエルフの腕にタップをしても興奮しているせいで気が付くどころかどんどん強くなっていく。
今にも落ちるかと思ったその時。
「これこれ、フレア。今起きたばかりなんじゃろ?無理をさせるでない。」
「あ、おばあちゃん。」
「プハァッ!ハァ、ハァ。」
やっと苦しみから解放された私は、せっかく整った息をまた荒らし、フレアと呼ばれたエルフの影に隠れている、私を助けた小さな影が姿を現した。
「目を覚まされてようございました。」
真っ白な髪にオットリとした垂れた目、歩く度にコッコッと鳴るのは杖と床が当たる音。
身長がフレアさんの半分程小さいおばあちゃんのエルフだった。
「どれ、ちょっと失礼しますよ。」
おばあちゃんエルフはそう言うと私の顔を触ったり、包帯を取って傷を見たりし、小さく頷いた。
「うむ。火傷の方は大丈夫じゃな。傷は少し残ってしまうが、あれだけの重症でここまで完治したんじゃから上等じゃろう。」
最後に頭を撫でてくれたおばあちゃんエルフから敵意は感じられず、純粋に私を助けてくれたようだ。
「あ、あの貴方たちは...。」
「おっとすまんかった。自己紹介がまだじゃったな。」
ハハハと笑ったおばあちゃんエルフは少し下がってフレアさんの隣に並ぶ。
「ワシの名前はビルズ▪ハールン。見ての通りヨボヨボのおばあちゃんではあるが、この森の長をさせてもらっている。」
「私の名前はフレア。気軽にフレアって呼ばれた方が気ぃ使わんで済むからそう呼んで。おばあちゃんとは血は繋がってないけど、小さい頃から育てられているから実質、親子みたいな関係やね。」
血の繋がりがないと聞いてから意識してみると確かに似ていると思える部分が見つからなかった。
なら本当の親はどこにいるのだろうかと疑問に感じたがあえて、そこには触れないでおこうと直感的に思えた。
「それで、貴方は?」
「へ?」
「ん?いや、名前だよ。名前。」
人の名前を聞いて、質問し返されるのは当たり前なことなのに私はその質問に対してすっとんきょうな声で返してしまい、フレアは繰り返す。
「私の名前は...。」
反射的に開いた口が次の言葉を出す事がなかった。
真っ白になった。
と言うよりも何も無かった。
それはまるで真っ白なキャンパスがはじめから完成かのように何も写らない。
「私の...名前は...。」
確かにあったはずの名を私はどうしても思い出せず、ジットリとした汗が手のひら一杯に溢れる。
(この子、もしや...。)
ビルズは彼女の異変に気が付き、優しくオットリとした目を少し開いた。
「どうしたの?ほら教えー。」
「フレア。ちょっとお茶を沸かしてきてくれんかの?」
「え?でもおばあちゃん。」
「この子も起きたばかりで混乱しとるようだし、そうじゃの陽光のハーブで煎じた茶を作ってくるのじゃ。」
「...?わ、分かった。」
フレアは微妙な顔で首をかしげ、階段を下りていった。
ビルズさんは下っていく音を確認し、ゆっくりと近付いて布団の上に腰かけた。
「さて、何から話そうかね。まぁ、まずは落ち着きなさい。ゆっくりでいいから。」
ビルズさんは私の頬を触って、不安定な私の心臓を穏やかにする。
ビルズさんから語られたのは私がなぜ、ここで眠っていたのかの顛末。
「最初フレアがお主を見つけた時、酷い有り様じゃった。無数の火傷と傷が炎症をおこし、川の水と流血のせいで体温が下がりきっておっての。少し息があったのが奇跡じゃった。」
川から流れてくる私を見つけたフレアはすぐにビルズさんの下へ連れていき、治療を行ってくれたそうだ。
エルフが使ってる薬草は人が調合した物よりもかなり質がよく、短時間で傷が塞がっていたようだ。
それでも、流石に意識が戻るかどうか分からず、路頭に迷いながらも私を1ヶ月以上も看護してくれたおかげで、私は目を覚ます事が出来た。
「ごめんなさい。迷惑をかけたようで。」
「いいんじゃよ。わしも含めて、村の皆が心配した中で目を覚ましてくれてんじゃ。助けられんかったらそっちの方が悲しい。」
「で、でも、私は何もー」
「何も見返りを求めてやった人助けではないからプレッシャーを感じるな。それでももし、お主が納得がいかないと言うのなら、元気になってからお返しをしてくれたらよい。だから今は体を直す事だけを考えなさい。よいな?」
心が落ち着くのは太陽の暖かさや部屋を包む植物の香りだけではなかった。
見ず知らずの私をここまで介抱してくれたエルフ達の優しさがこの森には広がっている。
ビルズさんの優しい顔を見て、優しい声を聞いて、私はエルフを神だと奉る者達の気持ちが何だか分かるような気がした。
そして、私はビルズさんと話していく内に気が付いてしまった。
自分に記憶がない事を。
だけど、不思議ともう、不安と焦りがなくなっている。
きっと、それもこのおばあちゃんの力なのだろうと内心でそう思った。
話が終わるのと同時に開かれた扉から匂ってきたのはハーブの香り。
階段を上がってくる音から察するにお茶を作ってきたのだろう。
「さてと、わしは行くかの。」
そう言って立ち上がったビルズさんは、フレアすれ違うように部屋を出ようとする。
「あれ?おばあちゃんお茶は?」
「ふむ。後でいいかの。」
「おばあちゃんが作れって言ったから作ったのに!?」
「別にわしが飲みたいから作れと言ったわけじゃなかろう?二人で飲んでいなさい。」
パタンと閉じられた扉によって出来た二人の空間で私達はお茶を啜りながら、記憶がないことも含めて語ったのであった。