南米の別系統のDNA
南米にアボリジニに似たDNAが見つかるというのがかなり前から出されていて、私も以前取り上げたと思う。アメリカ大陸の進出がさかのぼるのか?と言う話だったが、どうも逆で後から来たのじゃないか?と言う話になってきた。何故後からなのか?と言うと考古学的な証拠が見つかってないからになる。
他にもあるのだが、その辺りちょっと分からない。ただ古いものではないというのがここ最近の説になりつつある。ただエスキモーほどは新しくない。遺伝の分布をたどっていくとアマゾンの奥地の少数民族で強く出るが、南米の太平洋岸からもうっすらとかだが痕跡が見つかるらしい。
後はその関係を探ると太平洋岸の方がアマゾン奥地よりも古い系統であることが分かった。そのため今現在は消えてしまったが、北米から南米の太平洋岸を南下してやってきたと見られている。これには根拠があって、北米の太平洋岸でわずかにアボリジニと似たDNAの痕跡が古人骨のDNAから発見されたという話がある。ただし現在は無い。
経路としては太平洋岸から南下ルートが分かるが、その後の時代に北米での痕跡は消えてしまったのだろうとの見解になっている。イースター島のような所から広がったというわけじゃない。時代的には新石器時代ぐらいになる。この時代がとても重要で、2点不可思議な問題が見つかっていて、古いアマゾン奥地の農業大国の存在。
このDNA分析が山東省の集団に近かったという不可解な話がある。ただTV番組だったらしくこの内容が良く分からないので話半分に聞いていた。これだけならフーンで終わってしまうが、中南米のあたりにだけアルコール分解に関わる下戸遺伝子が先住民から見つかるらしい。アメリカ先住民には基本この遺伝子は無い。
後からのパナマ辺りの中国移民の影響か?と見ていたけど、もう1つ引っ掛かることがある。白血病関係の遺伝病が日本の縄文人の血が濃い沖縄アイヌなどの集団から見つかる。これが中南米の付近でも見つかる。これややこしいのだが、カリブのアフリカ移住民の影響からアフリカ経由のものが発見されるのが混ざっている。
だがそうじゃない先住民からも見つかるのと、これ遺伝子の分析で系統が違うのわかっている。中南米のものは日本の系統に近い。これらは不可解とは言えないのは、アメリカ先住民と近いシベリア集団でも見つかるため、元々持っていた可能性が有るため不可解とは言えない。ただ今回の事で、後からシベリア集団にも追加された可能性が出てきた。
中国集団の分析で、過去新石器時代に中国南部集団が北上して日本列島とシベリア集団に遺伝的影響を残したのは分かっている。つい最近この中国南部集団にアボリジニに近い集団も4分の1ほど混じっていることが分かっている。日本の縄文人の割合は半分ほど。この流れから、南米のアボリジニに近いDNAの痕跡を追加した集団は、純粋な集団じゃなくて、この中国南部集団が混じった集団だったのではないか?と予想される。
そう考えると、中国南部か?山東省辺りで生まれたと考えられてる下戸遺伝子が同様にアメリカ大陸に運ばれていった可能性が理解できる。かつ、アマゾンの奥地にあった高度な農業王国の王族の遺伝子が山東省のものと近かったというのも理解できる。
この集団は縄文人なのか?と言うとそう単純じゃない。中国南部と日本列島で同様にオーストラノイドに近い古層集団に、新しい中国南部系の集団が混血したのが分かっていて、その割合が違うという事になる。これらの混血した中国南部系集団が北上した時にアメリカまで行ってしまった可能性は十分に考えられる。
日本から行ったのか?ならこれも否定できないが、それよりも下戸遺伝子を伴って移動したと考えると、日本も通り道の一つだったと見る方が自然だと思う。石器の関係が分からないが、日本の縄文人が多く使っていた石器が北米の痕跡があった付近で発見されている。その点縄文人だったという可能性もあるが、アイヌでは下戸遺伝子はあまりみつからない。
北上のルートが2つあったと考えて、片方が日本に分岐して、片方が中国大陸海岸を北上してシベリアへ向かってアメリカ大陸まで行ったと考える方が無難かと。ただし、日本海側にちらほらと縄文人のDNAの痕跡がある。この点は近代の歴史からもアイヌとシベリア太平洋岸の混血があったことが残されている。
かなりややこしいが、分けて考えた方がいい。ただアメリカで見つかった石器だけは謎として残ってしまう。この点石器に共通性があった可能性もあるので詳しく調べたら太平洋岸と縄文人で共通した石器だった可能性もないとは言えない。この点は現時点で私の情報不足として片づけておきたい。