第1章 ウエストランド 「西中の四天王」
黒い靄のような、掠れた墨汁がごとく漂っている。確かにそこにあるのに、認識できない。それが「漆黒の闇」だ。
もともとのそれと余程繋がりが強く、固い意思を持って対象を念じることでどうにか見ることが出来るやも…というほど希薄な、ほとんどの者にとっては透明な存在に落ちてしまう。
一度「漆黒の闇」になれば、どんな人物であろうと立ち所に「無かったこと」になり、ともすれば親族すらもすっぱりと忘れさり、初めから無かったことのように認識を改竄してしまう。
後に残るのは、何事かへの漠然とした不安感だけだった。
しかしイグリンは覚えていた。父を忘れることはなかったのだ。
その想いの強さは、親子の情とは少し違っていたかもしれない。父子は「孤独」を共有している同志だった。
父は婿養子という部外者としての孤独。子は臆病が故の周囲への不信感。奇しくも背景は違えど、それらが陰謀渦巻く権力者一族の只中で、周囲を俯瞰で観察する性質を与えた。
やはり尋常ならざる国。仄暗い空気の払えぬ地。
そんな二人にとってトゥヤンマはどうしても心落ち着かせる地ではなかった。
「親父は焦りすぎた。」
イグリンには黒幕が見えていた。
「親父はきっと変えようとしていたんだろう。この猪の国の粘ついた空気を。」
イグリンから見ても、この国の実権を握っているのはジオ役イグリン・ムスクズだ。圧倒的な武力を統率している現状を見れば、子供でもわかる。しかし、ジオ役は代々あまり積極的に政治には関わってこなかった。そこで政治家連中は調子に乗ったのだろう。何も政治家連中が正義の使徒というわけではない。奴らはただ自由にできる権力が少ないのに不平不満を言っているだけ。父にも大義があったのかもしれない。政治家連中の実態を知れば絶望もする。他に頼れる勢力を探したはずだ。
そこで「西中の四天王」を頼ってしまったのだろう。
「西中の四天王」はトゥヤンマを含む西部中央平野の豪族の中でも特に勢力を持つ4氏族の俗称だ。
小国の間での紛争を仲裁するなど、しばしば秩序を保つための行動を起こす。
国内の現状を憂いた父は、当然の流れとして「西中の四天王」の内、どこかの氏族を頼ったのではないかとイグリンは考えている。
「ただ、奴らは平穏なんて望んじゃいない。」
西部中央平野で巨大豪族が動くのは秩序を維持し、平穏をもたらすためではない。自分達の利益に叶った結果を引き寄せるために動くのだ。
「どこまでいっても業の深い奴らばかりだ。」
父の出身はトゥヤンマの隣国とはいえ、地理的には西部中央平野の勢力圏外の国の生まれだった。
西中の気質を理解していなかったのかもしれない。それが安易な行動をもたらしたのか。
「それがどうした。西中では間抜けな奴は死ぬしかないが、だからといって親父が「漆黒の闇」に堕ちるいわれはない。」
イグリンが国を出ることを決めたきっかけである。
それから、国を出て別の地で力を蓄え「西中の四天王」に復讐するための牙を研ぐ日々が始まった。