第1章 ウエストランド 「相方のフトシ」
「…そりゃあ、気が立つのは分かりますがねぇ…焦ってもしょうがないだろうに…」
先ほどまでとは打って変わって、暗く小さな声で呟くフトシの声は、他の誰にも聞こえていないようだ。
トゥヤンマで「成人の儀」といえば、職業への適正を判断される要素となる「祝福を受ける」ことから、将来が決定づけられる重要な儀式で、まさに人生の転換点として認識されている。
それだけに、儀式に参加する当事者のみならず、親類縁者まで注目する出来事で、より有利な祝福を得ることが望まれている。「猪の力」が当たれば隣近所を招いての祝いの宴が設けられるほどだ。「猪の力」は「ボアマン」というトゥヤンマでも花形の職業の必須条件のため、そうと分かれば国からの手厚い保護と、未来の栄達が約束されるからである。
「あいつにも人並みの心があるとか?…我ながら笑えない冗談だなぁ。」
既に成人の儀が終わったのか、「犬の檻」から離れたところで一喜一憂する親子を目の端に捉え、ハイロアケを見失わない程度の距離でノロノロと歩くフトシ。
成人の儀を受けることは、トゥヤンマに住む人間にとっての義務であり、国中から同年代の人間が集まっているのだ。広大なイグリン家の敷地とはいえ、かなりの混雑のため、多少離れたところで不自然で無いことは分かっている。
少し気の抜けた表情で、しかし憎々しげに口の端を歪めてフトシは低い声で唸る。
「俺には、関係の無い行事なんだけどなぁ。」
カフモー・フトシは物心つく前からイグリン・ハイロアケについて回っていた。いつしか共に行動することが普通になってしまうほどの時が流れ、自他共に認める相棒としての役割。
そう、役割だ。フトシは役割を与えられ、それに従って不自然に見えないようハイロアケの相棒におさまった。
イグリン家は国の騎士を統べる「ジオ役」を代々受け継ぐ要職にあり、それは完全な世襲制ということもあり、ひときわ特別視されていた。その血脈が途絶えれば国防に支障が出るので当然のことである。
しかし、武力を担う役割というのは恐怖の対象ともなり、政治家などからしたらやはり不安は拭えない。イグリン家が代々野望を見せずに領主への忠誠を示していたとしてもだ。なにせボアマンが内部から国取りに動くとなると、それが例え一個中隊程度でもクーデターが成り立ちかねない。それほどの武力をイグリン家は掌握していた。
フトシの役割とは、表向きとしては「大事な御曹司を護衛する」ことであるし、裏側の意図としては「監視」ということになる。今までは過不足なくその役割をこなしてきた自負があったが、最近少し雲行きが怪しくなってきたのだ。
イグリン家が、ではない。どうやらハイロアケは国を離れる意向を固めてしまっているらしいことが、ここ最近顕著になってきた。以前からその兆候はあったが、若者特有の外への憧れと軽んじていた。しかし、どうやら相当な意気込みのようで、こと成人の儀当日の今日にいたっては、それを隠そうという様子も薄れてきている。
フトシが政治家連中から仰せつかっているのは何も「形ばかりの護衛」でも「クーデターの様子があれば報告する」程度のことではなく、もっと踏み込んで「国への忠誠を促す」ということも含まれていた。どうやらこれまでの自分の任務は完全に失敗のようである。
「成人の儀が終わって適当な職業についたら、あとは地元で結婚でもして落ち着く予定だったのによぉ…」
最近のハイロアケの動向、出立に向けた意思や準備の進み具合を政治家どもにも共有済みで、「イグリン家次男は諦める」という結論が出たのにも関わらず、未だ不満を垂らすのは新たな任務が加わってしまったためである。
「いくらイグリン家の者だからって、国外まで追いかけろって言うかぁ?」
フトシの望んだ平穏は、まだしばらく訪れないだろうことが決まった故の愚痴である。
そこで、どうにもならない事に思い悩んでいることを自覚したフトシは、気分転換とばかりに、「成人の儀」という人生で初めての経験に沸き立つ周囲に目を向ける。ある者は希望通りの祝福を得られたのか、両親らしき大人と抱き合って喜んでいるかと思えば、またある者は項垂れて慰められている。
「まぁ…俺の持ってる祝福じゃぁ、頑張っても平穏な生活は面倒だなぁ…。」