第一楽章 辺境の宝石箱 その9
剣聖ローディス以下幹部衆が集う喧騒の下を
一足先に辞したミツルギは、帰境のための
諸事を整えるべくまずは自宅へと赴いた。
平原の東の果てなる東方諸国より遥遥西の
最果てなる荒野の城砦へと来たったミツルギ。
その目的は名高き剣聖に教えを請う事だった。
教えを請うて術理を得たなら、それを試し磨く
べき相手が要る。荒野ならそうした相手には
まるで事欠かぬ上、斬れば斬るほど褒められる。
お陰で心技体ともみるみる上達し、遂には
剣聖剣技の全てを修得。押しも押されもせぬ
一番弟子へ。さらには城砦騎士へと相成った。
城砦騎士となる条件は、「軍師の目」で
査定する戦力指数が10を超える事だ。
モデルケースとしては身的能力が常人の二倍を
超え、かつ5種の免許皆伝級の武芸を有する事。
要は戦闘状況における万能の天才になる事だ。
よって特定の武芸のみに特化した者の場合
なかなか城砦騎士とは成り難いものだ。
だがミツルギはまるで岩を荒削りしたような、
第一戦隊ですら稀なほどの屈強極まる肉体と
剣聖直伝の超人的な剣術。ほぼそれのみを
強みとして絶対強者に至った希代の傑物だった。
同様に一つの武器のみを極めた末に城砦騎士と
成った者には、およそ人智の観測し得る最高値
である技能値10の弓術を有する第三戦隊長、
「城砦の母」たるクラニール・ブーク辺境伯が。
さらには、森羅万象を具に観測する軍師の目を
以てすら観測不能な、ただ彼のためだけに存在
する評価値である剣術技能値11を保有する
剣聖ローディスその人がいた。
とまれ剣聖の一番弟子であり、直弟子集団で
構成される抜刀隊の一番隊組長でもある
城砦騎士ミツルギは、他の多くの直弟子同様
入砦以来剣聖の邸宅に住み込んで、常に剣聖と
起居を共にしその一挙手一投足を学んでいた。
よってミツルギの居宅は他戦隊営舎一つ分に
匹敵するこの広大な剣聖邸の敷地内にあった。
城砦騎士となってからは他の弟子らへの手前も
あって本館の傍らに専用の離れを建てて貰い、
そこを自身の居宅としていたのだった。
剣術を磨く事、あとは茶と書を好む事以外
特段の拘りもないミツルギの居宅は実に無駄の
ない質素な造りで、中も常にがらんとしていた。
だが今日はそんな自宅の客間に座す人影が。
人影はこれまた東方諸国の情緒が豊かな
黒装束に黒頭巾だった。
「……邪魔をしている」
水墨画の掛け軸に描かれた古木の如く
矢鱈と辺りに馴染む隠形の人影は言った。
「これはミカゲ殿。
茶でも如何ですか」
ミツルギは特段驚いた風もなく笑顔。
ただしその笑顔は常人であれば
腰を抜かしそうなほど凶猛な風情だ。
「……有り難い」
もっともこの程度で驚くような者は
そもそもここへは来ぬという事か、
黒ずくめはごく平然と会釈した。
こうして家主が参上しても顔を覆う頭巾の
黒布は垂らしたままで、ミツルギもそれを
平然と受け入れていた。
ミツルギは武神像のような体躯を以て
楚々とした所作で茶を立てて差し出した。
ミカゲは再び会釈して受け取ると、黒布を
垂らしたまま、碗をその内側に仕舞い込む
ようにして茶を喫した。
「……美味いな」
と頷くミカゲ。
「そうですか」
ミツルギは破顔した。
敵地の只中に孤立する城砦に拠って闇中
攻め来る異形の軍勢と対峙する城砦騎士団の
兵団のうちでも、強襲邀撃を旨とする主攻軍。
第二戦隊を預かる剣聖ローディスは、その
軍務において情報の収集と伝達を重視していた。
中央城砦は平原西方諸国の並の都市国家に勝る
敷地面積を有す上、異形の攻め手は夜半の砌だ。
そんな状況下で縦横無尽に活躍してのけるのが
敏捷に特化し走力に秀で、百鬼夜行の跋扈する
夜の荒野をまるで怖じずに駆け抜ける狂気の
度胸の持ち主たち。
すなわち第二戦隊伝令衆であり、
伝令衆の上澄みで構成された、
戦闘能力をも有する隠密衆だ。
ミカゲはその隠密衆の当代の頭だった。
階級は城砦兵士長。
ミツルギ同様東方諸国の出だ。
兎に角人死にの激しい荒野の城砦では旧知の
者など瞬く間にいなくなる。そんな中互いに
数年を越え生きている、貴重な古馴染みだ。
ミカゲは真なる闇夜な黒の月、宴の最中でも
単騎魔軍の本陣へと迫り、確実に情報を入手し
生還してのける、飛びぬけて優秀な隠密だ。
だが何故だか平素の日中でさえ常に潜伏し、
滅多に人前に姿を出さず、出しても常に
顔を隠したまま。
第二戦隊副長ファーレンハイト曰く
「凄まじくシャイ」との事だった。
一服後。主客共に特段語らず周囲の空気と
一体化。自侭に侘び寂びを堪能してさらに
一息付いた頃。
ミカゲは思い出したように
「……書状を預かっていた」
とポツリ呟き、封書を2通ミツルギへ。
「然様ですか」
小さく頷きミツルギが受け取ると
「……馳走になった」
と声のみ残し、忽然と消えた。
客間に一人残されたミツルギは
書状を開封しまずは1通ずつ。
次いで2通を左右に並べて眺めた。
ごつい豪腕で腕組みし、野太き首を盛大に
傾げて、子供も大人も泣き出しそうな
それは厳しい面構えで暫し黙考。
やがて得心がいったものか、
奥へは向かわず再び自宅を発った。
向かうは城砦内郭北西区画。
兵団第四戦隊の営舎であった。






