第三楽章 夜のアリア その11
荒野に巣食う異形らの中でも
北方河川に住まう者どもは、河川内で
完結する、独自の生態系を築いていた。
その生態系にあって最下位は魚人。
そして魚人の捕食者が、この鑷頭だ。
鑷とは古語で毛抜きを意味する。
その名の通り毛抜きの如き巨大な頭部と
頭部に負けぬ長大な尾を有する大型眷属で
俯瞰すれば歪な菱形に足を生やしたような。
体長は最低でも1オッピ。
戦力指数は最低でも7と明確に
魚人を上回り、専ら魚人を捕食する。
上部を堅牢かつ重厚な外皮で鎧っており
重武器以外はほぼ効かない。その上かなり
痛覚が鈍いらしく、重症を負っても怯まない。
装甲車の如き重厚な外観から推測される通り
地上では鈍重な歩みを見せるがそれは欺瞞だ。
人に数倍する強烈な膂力を具えているため
瞬発力が凄まじく、間合いに入るや一気に
加速、突進して巨大な口でかぶり付く。
顎の力も凄まじく、第一戦隊仕様の
重甲冑すら卵の殻扱いだ。突進に掠った
だけでも四肢欠損等の重症となり兼ねない。
ここまで来ると城砦兵士の近接は禁忌。
遠間より火矢の斉射で臨むしかないが、
その火矢も大抵は弾かれる。素直に
逃げるが大正解であった。
兵士長級の猛者ならば小隊を組んで
やっと太刀打ちできる見込みが立つ。
もっとも犠牲は伴うだろう。
そんな鑷頭が実に3体も、
河岸よりヒタヒタと迫っていた。
巨躯をS字に捻り揺らしながら鑷頭は
ヒタヒタと南進を続け、やがて魚人らの
敷いた魚鱗の陣の後方の備えに接近した。
元来鑷頭と魚人とは食うか食われるかの
関係にあるが、鑷頭は魚人に見向きもせず。
魚人らも鑷頭の接近をまるで問題視しない。
本来互いに相食む異種の異形に斯様に
共闘せしめる事こそ魔軍である事の
揺るがぬ証左だ。
もっとも魔にとり鑷頭も魚人も
等しく捨て駒には違いなく。
損耗した個体は適宜食わせて
回復要素に充てかねなくはあった。
(ミツルギ卿、
作戦令と策の伝達のため、
30歩程、ゆるりと南進願います)
と唐突にシラクサより。
彼我の立場や武人の気質等、
随分と考え抜かれた指示だった。
ミツルギ自身は微塵も頓着せぬのだが、
拠点防衛に命を懸ける第一戦隊や
一瞬の隙を狙う第二戦隊の戦闘員の
中には、時に後退を快く思わぬ者も居る。
さらに伝達対象が騎士や上官ともなると
反感を買い円滑な挙動の妨げになる事も。
そこで単に「退け」とは言わず、
もっともな理由を添えるわけだ。
シラクサの気遣いへの申し訳なさと
また同時にシラクサへの懸念から、
御意、と短く応じ即、指示通りにした。
ミツルギのシラクサへの懸念とは
念話を遠距離で使わせる事にあった。
十分目視は効く距離だが、肉声なら
相当大声を張り上げねば届くまい。
にも拘わらず脳裏に鮮明に響いている。
魔術技能と魔力、さらには戦闘車両の
支援あっての事だろうが、履行には
平素以上の負荷を掛けてもいよう。
極力無理はさせたくないため、
近距離かつ短時間の通話を心掛けたい。
よってできれば縮地で一目散、と
いきたい所だがそこはまぁ、戦場だ。
二戦隊強襲部隊ばりの虚を衝く突進を
得意とする鑷頭らに背を向けては
送り狼どころの騒ぎではないし、
そも「ゆるりと」との指示もある。
よって敵に相対し警戒態勢を保ったまま、
ミツルギはそろりそろりと後退していき、
最中に飛んでくる念話を受け取るのだった。
一方、ミツルギの後退開始に合わせ、
本陣からルメールが前進を開始した。
目標地点は本陣北約40歩。
ちょうどミツルギの目標地点だ。
やがて合流した両騎士は
ちらりと互いを一瞥した。
「組んで戦うのは何時以来だろうな」
その場待機な魚人の魚鱗を抜け
徐々に迫る鑷頭を見据えつつ
ルメールはそう語り小さく笑んだ。
互いに部隊指揮官たる城砦騎士であり
別々の戦隊に属してもいる。軍務で
顔を合わせる機会自体多くはなかった。
「4,5年ぶりですなぁ。
丁度『例のトラウマ』の……」
「その話は止せ……」
ミツルギも巌のような顔を笑ませ、
ルメールの笑みは苦いものになった。
鑷頭らは上陸以降の速度を保ち、
時間を掛けひたひたと迫っている。
「まぁまぁ。
遂に心底護り甲斐のある
『姫様』が登場された事ですし」
「まったくだよ……
仕事の遣り甲斐は多い程良く
護る相手は美女である程良い。
……是非とも他言無用で頼むぞ」
より一層迫った鑷頭らをシカトし
ミツルギへ向き直り念を押すルメール。
異形の襲撃以上の危機に怯える風だった。
「姫様が地獄耳ではない事を
お祈りする他ありませんな」
とミツルギ。
(聞こえています)
とシラクサ。
「ッ!!」
両騎士は驚愕のあまりビクンと跳ね、
迫り来る鑷頭らがビクッとして止まった。
(実際にお護り頂いている身ですので
何ら問題なく、他言する気もありません。
その点、どうかご安心下さい)
おぉ、何と物分かりの良い姫様だ……
と感心したのも束の間の事。
(ただし『例のトラウマ』
とやらには大変興味があります。
是非とも後程、お聞かせください)
奇貨居くべし。それが軍師だ。
「……マズい事になった」
「ご愁傷様です。
憤りは是非とも敵へと」
「殲滅してくれる……」
「37564ですからなぁ」
再びヒタヒタと迫り出した鑷頭3体を
見据え、両騎士は戦意を新たにした。
奇貨居くべし:好機は最大限に活用すべき、の意。




