第二楽章 彼方へと その34
城砦騎士団の真骨頂は金城湯池、
難攻不落の城砦に拠っての防衛戦だ。
黒の月、宴の折。現状まるで手に負えぬ
「魔」が顕現した折は亀のように引きこもり、
魔が退く夜明けまで粘り倒す等、珍しくもない。
要は籠城戦、待ち戦では天下無双。
しぶとさの塊で千日手の達人であった。
状況に変化が起きるまで
その気になれば幾らでも待てる。
その点空腹風雲急を告げるげな
木箱の潜伏者とは、対照的だった。
「……」
「……」
(……)
待つだけならば、幾らでも。
ついでに言えば、こちらからは
金輪際飽くまで、手を出したくない。
騎士二名と軍師は無言のうちにこの意思を
共有し、華麗なる全力のスルーを決め込んだ。
くぅううぅぅ、きゅるるるぅぅ……
鳴る腹今や俄かに一天掻き曇り
雷雨を見舞う嵐の如し。
絶賛セルフ兵糧攻め
かつ雪隠詰め、否木箱詰めだ。
ここは一刻も早く大人しく
投降するに如くは無し。
そんな感じのピンチであった。
のだが。
『……力が…… 欲しいか……』
唐突に腹の鳴りが止み、
代わりに場に響くげな声がして
両騎士と軍師は小さく視線を交わした。
『……力が、欲しいか……』
声の主は木箱で間違いないようだ。
『力が欲しいか……』
ものものしい、
それでいて甘く、蠱惑的な、
『……答えよ……』
内容ではあった。がいかんせん、
腹減り故にか、蚊の鳴くような声だ。
こんなアレでは叶うものも叶うまい。
と両騎士と軍師はしめやかに失笑、
生暖かく続きを見守った。
すると
『……せっかくうちが聞いてるんよ?
答えてくれはってもえぇんとちゃうの……』
いきなり恨み節になった。
この木箱、どうやら面倒なタイプらしい。
両騎士と軍師は視線を交わし認識を共有した。
『もっかいだけ聞いたるゎ。
もっかいだけやからな……?』
死にかけの蚊のような声でそう言われると
「もっかい」が何回続くものか試してみたい
衝動に駆られるが、間違いなく際限なく面倒な
事になるので自重。この認識も三名は共有した。
『……力が…… 欲しいか……』
何事もなかったかのように声がして、
仕方ないので三名は応じた。
「力よりも、知性が欲しい」
「私は…… その、容姿など……」
(寿命を)
真摯、余りにも真摯。
そして果てしなく切実に
三者は三様の返答を成した。
『……あー、何か…… 堪忍な?』
と木箱から。こうして暫し
滅茶苦茶気まずい空気になった。
根深い暗がりが広がる広間の中央、
そこだけが茫洋と明るい一帯に流れる
何ともいたたまれない、重い沈黙。
これを破ったのはやはり、腹の虫であった。
先刻一時的に抑えていたらしき腹の虫は、
時間経過にその反動を加え、今や
真夏の蝉の如き喧しさであった。
ぐぅううううぅうう、
ぎゅるぎゅるぎゅるぅ。
聞いてる方がむしろ腹の減るヤバみな鳴りは、
最早一刻の猶予もなさげだと強く訴えている。
そこで、なのかどうか
『ならば…… 捧げよ……』
と再び木箱は厳かに。
なお此度は自身の欲求丸出しなので
蚊から蠅程度にランクアップした声だ。
何が「ならば」なのかは全く判らぬが
何を捧げて貰いたいのかは痛い程判る。
さて、どうしたものか、
と三名が思案していると
『急げ…… 急げぇ……』
鳴る腹はなる早を求め
全力かつ必死で煽ってきた。
きゅるっきゅぅ、きゅるっきゅう!
最早腹の虫は餌場で騒ぐ鳩の群れだ。
ふむ。
きゅるっきゅうと急急如律令は似ている、
などと謎めく感慨を胸中に抱くミツルギは。
ふと。
自身に手頃な持ち合わせがある事を思い出した。
昨夜、アウクシリウムを出立すべく、
スクリニェットの正門へ集う直前に。
旅籠の女将(注:宿泊施設の厨房員)より
旅路の共にと握り飯を貰っていたのだった。
寒風吹きすさぶ真冬の最中だ。
握りたてでほっかほかな握り飯は心遣いも
籠ってか頗る暖かく、当初は与えられた
そのままの包みごと襷に背に掛けた。
すると行軍中も背がぽかぽかと暖かく、
ならばと襷をグルリと回し、モロに風を
受ける腹の前へと持ってきた。
するとこれがまたいい感じに懐を暖め
足運びを励ましてくれるものだから、
飯が冷えて暖が落ちてくるとみるや
最後の暖をと懐に直に取り込んだ。
その後程なくで一つ目の遺構だ。
そこではホプロン飯が振る舞われたので
握り飯には出番なく、すっかり満腹で満悦
するうちに懐に仕込んだ握り飯については
奇麗さっぱり忘れてしまっていたのだった。
そうしてさらに旅路は続き、
遂に今に至るというわけで。
今もミツルギの懐には、
かの握り飯が健在のはずであった。
うむ、と自身の懐をまさぐり、握り飯、
らしき存在感を確認したミツルギは
ルメールとシラクサが訝しげに見守る中
寒風避けの外套と普段着の東方風の着物を
はだけ、その下に着込んだ東方風、薄手の
鎖帷子とさらに下なる肌襦袢を捲り上げた。
するとそこには。
往時は艶やかで湯気香ばしき
握り飯の姿をしていたであろう、
今は壁に叩き付けた雑巾の如き平べったい
何某かが、ぺたりと腹に張り付いていた。
ふむ…… とそれをペリペリ剥がす。
見守る二人はドン引きだ。一方木箱は
何やらガサゴソする気配を察し、期待感
に満ちた腹の虫たちがコンツェルトに夢中だ。
かつては三角形、或いは俵状であったろうか。
今は最大限上品に表現してナンに似たそれを、
硬直しているルメールの松明にかざすミツルギ。
張り付いていた部分にはくっきりと、巌の如く
鍛え上げられた腹筋の跡が付いている。
ルメールは盛大に顔をしかめ、
シラクサは展開を予想してか
そそくさと石板の影に隠れた。
一方ミツルギは何食わぬ顔でその
元握り飯、らしきものを、ぎゅぎゅっと。
何分強烈な膂力の持ち主だ。
剣豪ゆえ握力もまたずば抜けている。
元握り飯はあっと言う間に元の形状へ。
やや濁った感はあるものの、形だけは整った。
そうしてミツルギは、思わずルメールが
顔を背け、石板の影からシラクサが深紅の
瞳でジト見する中、気丈にも? 頓着せずに、
「その、握り飯なら、あるのですが……」
とやや遠慮がちに。
最大限の良心を以て
やや遠慮がちに、告げた。
『捧げよ…… 捧げよ……ッ!!』
声は腹の鳴り交響楽団と共に
必死が必至な狂想曲で協奏曲だった。
うむ、左様であるならば。
ミツルギは一つ頷き、
握り飯を木箱へと。
すると木箱が丸ごと跳ねて、
小さく蓋を開けばくりと喰いついた。
『ぶべぁッ!! ぐえぇぇえ!!』
木箱は泡吹いてひっくり返った。
生真面目に、険しい顔でそしてまるで
悪びれず、木箱の容態を案じるミツルギ。
ルメールは辟易と肩を竦めた。
シラクサは悪夢を振り払うように
首を振ると、戦闘車両へ水を取りに戻った。




