第一楽章 辺境の宝石箱 その5
スクリニェットの本館は地上三階地下二階。
地上部分は中央城砦の第三戦隊営舎を模し、
地下施設は旧時代の遺構を流用している。
アウクシリウムの前身である聖都メディナは
水の文明圏の中心国家であったとされる
メディナ王国の都だ。
闇の王国の特徴を色濃く受け継ぐ同地では、
人と今では神話伝承の中でのみ生きる
人ならざる存在とが手を取り合って
暮らしていたという。
そうした存在の中には陽光の下で生きられぬ
星月の申し子たちも少なくなかったのだという。
そのため旧時代の遺構の多くは地下に広がり、
血の宴を経てなお健在な例も少なからず。
たとえば当地アウクシリウム。たとえば
騎士団領東端のラインドルフ。騎士団領内の
生活圏は、そうした遺構を利する形で
構築されている事が多かった。
老教官バーバラよりも一足先に暗室を出た
一際華奢なローブ姿は、暗室の脇の階段を
下へ。地下二階層の回廊へと至った。
地下二階層は本館を中心として放射状に
広がっており、スクリニェット敷地内の
各施設を連絡している。
地下一階とは大きく異なり採光窓も反射鏡も
なく、通気孔も乏しいこの回廊内は、年中
常にひんやりとしていた。
時折思い出したように灯されている壁面の
ランプが暗がりの深さをいや増していた。
非常時を除けば施設職員らすら寄り付かぬ。
そんな回廊を華奢なローブ姿は独り奥へと。
時折立ち止まり都度呼吸を調えつつ、少し
ずつ北西へと歩いていった。
地上部、本館の東西に建つのは練兵所その他
城砦の子らの教練施設だ。北側に関しては
真北が宿舎、北東に大食堂と大浴場。そして
北西には書庫と資料室や研究室があった。
地に生れ落ちたその時より城砦騎士団員たる
事が運命付けられている城砦の子らは、生後
すぐに元城砦軍師らによりその能力を査定
され、物心付く頃にはそれぞれの才に
見合った専門教練が開始される。
成人年齢が十代半ばの現行文明だ。
教練開始の時期は取り立てて早いとは
言えないが、その分その時分より
対異形戦闘の知識と技術のみを学ぶ。
これは提供義務に基づき諸国より抽選されて
送られる補充兵らと比較して、圧倒的な
アドバンテージとなっていた。
大多数の子らは両親が共に兵団員だ。ゆえに
魔力による変容の発現も、両親をなぞる形で
頗る実戦向きに偏っている。
よって両親同様尋常の城砦兵士となるべく
宿舎で起居し、地上の各施設を行き来し育つ。
荒野での戦は夜間戦闘が主体だ。そこでせめて
平原にあるうちは陽光の下で暮らすべしとの
城砦騎士団側の要請により、入砦目前までは
昼型の生活を営んでいた。
一方城砦兵士と成り得ぬ者。
つまり顕著な魔力の影響に因り陽光の下に。
或いは人前に立てぬ者らについてはどうか。
少なくともここ6年程はそうした子らにも
或いはアウクシリウムに散在する騎士団関係
の施設にて。或いはスクリニェットにて必ず
何某かの職分が与えられるようになっていた。
それがどんなものであれ、子らには必ず
仕事を与え、己が人生に誇りを持たせよ。
それが当代騎士団長チェルニー・フェルモリア
からの厳命であり、誰もがこれに賛同、徹底
されていたのだった。
北西への回廊は本館地下から一旦下方へ。
やがて緩やかに上方へと傾斜していた。
数分進むと前方の薄明かりに階段が見える。
それを上れば本館北西に建つ書庫の地下だ。
この閉架書庫には中央城砦付属参謀部が
所蔵する旧時代の資料の写しが眠っている。
例えば表に出れぬ子らのうち、読み書きが
得意な者ら――大抵は城砦軍師や祈祷士の
子らだ――はここでそれらをさらに書写し
或いは研究して現行文明への還元を目指す。
かの地の参謀部で見習い軍師が書写した資料。
それを手本に子らは書写。それが連合諸国に
開示され、現行文明を磨き上げる。
スクリニェットの書庫もまた、こうして
人智の境界の叡智の一端として、長らく
機能し続けていた。
とまれそんなお陰もあってか、城砦軍師の
子ならば大抵は城砦軍師になる。その
最たる例が院長ジュレスの一門であった。
華奢なローブ姿は回廊の北西端、丁度書庫の
直下付近に至ると上階へは向かわず、傍らの
壁際にひっそりと佇んでいる、方々が
焼け焦げた文様へと向かった。
文様の前に立ち止まり、手を翳す。すると
文様は壁ごと消えうせ奥に通路を生み出した。
回廊自体、旧時代たる水の文明圏の遺構だが、
この先はかつて当院を築くに辺り格別不要
であるとして、封印された一画だった。
奥には住居らしき跡がある。そのうち一室で
彼女は起居していた。そうせねばならなかった。
彼女は陽光を浴びる事が、できなかったからだ。
生誕直後に査定された彼女の魔力は実に9。
これは兵団戦闘員の水準を遥かに超えた、
歴戦の城砦騎士や軍師祈祷士の領域だった。
生誕間もない赤子の心身の能力値はすべて
言うまでもなくまず1以下。その中にあって
ただ魔力のみが、9。これは元来魔力が高く
生まれつく城砦の子らの中でも特異な部類だ。
魔力とは荒野に在りて世を統べる
大いなる荒神「魔」への親和性を指す。
魔は黒の月、闇夜の最中に束の間顕現する
高次の界隈に座す存在だ。その能力は陽光の
下では大いに減衰。それゆえ人の子によって
弑された例もある。
また魔の眷属たる異形らも
魔に倣ってかこぞって夜行性だ。
そんな魔との親和性が生まれながらに
かくも高い。 ……と、いうことは。
彼女の査定者かつ産婆が当時の当院長、元
参謀部筆頭軍師バーバラだった事が幸いした。
当地の誰より魔なる存在を知るバーバラは
危急を察して血相を変え、端からは乱心した
としか見えぬ有様で、取り上げたての赤子を
引ったくった。
そして往く手を阻む全てを派手に禁呪で
ブッ飛ばしつつ――壁が焼け焦げているのは
その時の名残だ――全速力にてその子を此処へ。
お陰で赤子が日差しで火傷し
致命傷を負う事は避けられた。
以降数年は母と二人、此処で暮らして
いたそうだ。物心付く頃にはその母も
おらず、やがて戦死したのだと聞かされた。
悲報に泣き叫ぶ事はなかった。
そもそも彼女は口がきけぬから。
高い魔力の影響で、彼女は声を発さずとも
自身の意志を他者の脳裏へと直接伝える、
そんな事ができた。
ゆえに不要であるとして、発声機能が
具わらず。そのように見立てられていた。
また彼女の身的能力は
生来まるで成長しなかった。
取り分けて体格。たったの3だ。
体格は体躯骨格の豊かさを指すのみならず
命の器の格調を。要は生命力をも示す。
生命力としての体格は、浜辺に打ち寄せる
波のように絶えず上下に変動する。査定値は
その中央値であり、これを基準に波打つのだ。
つまり彼女はその基準値が3。
或いは病で或いは怪我で。そして或いは寿命に
よって。波打つ生命力としての体格が0以下に
変動した場合、生命は尽きる。要は死ぬのだ。
元来高次の界隈に座し、現世に顕現して仮初の
生を得る魔であれば、体格が尋常の推移で
0へと至るならそれは死ではなく昇華。
つまり高次の界隈へ戻るだけだろう。
だがいかに魔力が高いとはいえ
人の子では0への推移は死を成すのみ。
病一つ、気を抜けばすぐそこに死が迫る。
10年来ずっとそんな有様だった。
身的能力はかくも破滅的だが心的能力は
ずば抜けて高い。10歳を超えた辺りで
知力15に観測技能5。
また恒常的に念話というある種の魔術を
使用するゆえ魔術技能もまた5に至る。
要は既にして城砦軍師と祈祷士の見習いたる
素養を有しており、ゆえに当院では既にして
助手として教練する側に回っていた。
御歳13。他の子らが入砦する14の春には
正式な辞令を以て当院の最年少の教官と成る。
彼女にはそういう進路が宛がわれていたのだが。
回廊よりもなお少ない、数基のランプが
ぼんやりと灯る中、足元すらおぼつかぬ
通路を少しずつ、彼女は進む。
10数年過ごしてきた暗がりは彼女の
空間認識能力をも極限にまで高めており、
真なる闇夜でもない限りは眩い陽光の下と
変わりなく歩める。もっともその足取りは
多分に不確か。肩で息する風だった。
やがて彼女は自室に辿り付き扉を開けた。
すると中からは眩い声がした。
「おかえり! 大丈夫? 辛いの?
もぉ、無理しちゃって……
ちゃんとお薬飲まないからよ!」
気持ち的には目一杯怒っている風な、
その実そよ風に鳴る風鈴程度の声だ。
(ただいま。
……ギリギリまで薬には頼らないわ。
この先常に手に入るとは限らないもの)
声の主を探す事もなく彼女はそう応じた。
平素他者との会話ではまず見せぬ感情が
そこはかとなく滲んでもいた。
「この先って、荒野のこと?」
不安げに問い返す涼やかな声。
(えぇ。春のつもりでいたけれど、
遠からず発つ。私、行くわ)
返事には確固たる意志が在った。
「そっかぁ……
でもそんなんじゃ出発前に倒れちゃうわよ!
ほら、用意してあるからさっさと飲む飲む!」
声は彼女の間近から鳴っている。
だが暗がりのせいか声の主は見えず。
それでも彼女はその事について
気にする素振りを見せる事なく
(要らない。 ……苦いし)
とそっぽを向きボソリ。
「こらぁ! しぃらぁくぅさぁー!」
彼女の華奢なフードの周囲を
小さな玻璃の器がぐるぐると回る。
一つ肩を竦めて中空に手を伸ばす。すると
器はひょいと手の内へ。さながら誰かに
手渡されたかの如く、収まった。
すっかり観念したものか、淡い燐光を
放つ透明な、薬とやらを大人しく飲む。
「よろしぃ!
お利口さんね、シラクサ!」
(はぃはぃ……)
呆れるように、それでもどこか
嬉しそうに返事をした。
彼女の名はシラクサ。
闇の最中に生まれ育ち、星月の灯りを供に
暗黒の世を歩む者。儚く生きたその先に
黄金の世をもたらす者。
そして歴史の只中、陽光の下に
その名を燦然と輝かす者だ。
彼女の旅立ちは遠からず。
すぐそこにまで、迫っていた。




