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シラクサの賦  作者: Iz
第一楽章 辺境の宝石箱
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第一楽章 辺境の宝石箱 その3

「私が最後でしたか。

 大変お待たせ致しました」


スクリニェット本館3階、院長室では6名が

地下の暗室からやって来た教官を待っていた。

彼女を含め7名が当院の幹部だ。


「あぁお疲れ様です。

 黒の月の件ですよ」


院長ジュレスは手短ながらも丁寧に応答し

彼女の着くべき席を示す。そこには先刻

元騎士シェスターに手渡したものと

同じ書状が置かれていた。



「此度はまた、多いのですね」



記載された数字を一瞥し

元城砦軍師たる教官は嘆息した。


昨夜で終了したばかりの黒の月。

その一朔望月間における戦死後送は

兵団正規員数より700。城砦騎士3。


概ね例年の1割5分増しだ。

ズバ抜けて多いというわけではないが

戦死者名簿には城砦の子らの両親の名も

少なからずある。それだけで十分気は沈んだ。


彼女の名はバーバラ、御歳70、最長老だ。

4代前の参謀部筆頭軍師であり、ジュレスに

院長を継がせた後は、一教官に専念していた。


ジュレス同様、荒野で過ごした時間よりも

スクリニェット勤めが長い。ゆえに城砦軍師

特有の感情の希薄さは随分と鳴りを潜めていた。


魔力の影響、さらには重責から解放された

ゆえか、随分若々しく見える。もっとも

子らからは容赦なくばぁばと呼ばれ、

大層親しまれていた。



「此度は宴が遅めだった上、

 魔の顕現が散発したのだとか。

 17年前にも似た事が在りましたな」



重々しくそう告げるのは元城砦騎士シェスター。

こちらは子らにはじぃじと呼ばれ慕われている。

もっとも直にそう呼ばうと大抵キレて喚いた。



「厄介なことに、ロミュオー曰く

『次の黒の月は早いらしい』との事です。

 見立てはパンテオラトリィのようですが」



副院長カッシーニがそう告げた。


平原東域の名門僧院の出で、

軍師ロミュオーの大先輩にあたる。

書状には一切記載のない内容だった。



荒野の中央城砦に詰める城砦騎士団から

騎士団領アウクシリウムの各施設へと届く

情報は、基本的に連合軍本部を経由している。


此度の書状も連合軍向けに加工された

結果と損耗のみ伝える「余所行き」だ。


もっともこの場の幹部らは皆、昔取った杵柄と

でもいうべきか、荒野の城砦との間で独自の

情報網を有していた。此度はそれを持ち寄り

討議する場でもあったのだ。





黒の月。


地続きであるはずの人の住まう世、平原と

魔が統べ異形が巣食う異邦の地、荒野とを

峻厳に分かつ特異な事象だ。


夜空を照らす月の光が荒野においては変幻する。

1朔望月毎に異なる色で輝くのだが、これが

年に1度ほどの頻度で漆黒となる。


夜空で最大の輝度と光量を誇る月が漆黒色の

輝きを放ち、満天の綺羅星全てを呑み尽くす。

そして夜は無窮の闇に落ちるのだ。


天地の悉くを塗り込める真なる常闇。

轟々と炊かれ煌々と照るはずの篝火すら

蕭々と力なく己が周囲を明かすのみ。


そんな一月が年に一度ほど訪れるのだ。


天文に明るいものならば黒の月の訪れる

頻度が皆既月食に類似する向きを察する。


もっとも皆既月食は30夜も続かぬし

大抵の場合月はほの暗い赤銅色に留まる。

また暗いのは月だけで星月の輝きを妨げる

ものではないし、何より魔の顕現がないのだ。


荒野における黒の月。城砦歴106年分の観測

によれば7ヶ月か11ヶ月、稀に13ヶ月に

一度起こるこの闇夜の最中に、本来は高次の

界隈に存在している大いなる魔が顕現し、

現世に破壊と殺戮の限りを尽くす。


それが宴だ。


魔の顕現には魔を神と崇め盲従する異形らの

存在が重要な役割を果たすと看做されている。

ゆえに魔は異形を集わせ軍勢と成さしめるのだ。


そして200年弱前に起きたとされる、魔と

魔の眷属たる異形の軍勢による、平原侵攻。

億の人を喰らい続く文明崩壊で数億を死に

至らしめた大災厄。それを血の宴と呼ぶ。


人類の存亡を懸けて血の宴の再来を防ぐ。

それが城砦騎士団の使命であり、ゆえに

荒野の只中に孤立し孤軍奮闘している。


魔の軍勢のとり戦略上の要衝となる地で

囮の餌箱を務めつつ可能な限りこれを削り、

百年来、平原侵攻を阻止しているのだった。





「兵団員700名もさることながら、

 騎士3名の損耗は戦局を左右する

 深刻過ぎる痛手といえましょう。


 物資も兵員も既に補充は開始されている。

 今朝第一便として臨時徴兵の補充兵400。

 今後10日に100ずつ増派するのだとか」


「それは、また……」


連合軍側の情報に詳しい別の教官がそう告げて

他の者らが継ぐべき言葉を見いだせずにいた。



平時西方諸国連合加盟国より荒野の中央城砦

へと送られる補充兵は2カ月に1度200名。

それが兵士提供義務における規定値だった。


血の宴からの復興にあえぎ暗黒時代を生きる

西方諸国では、補充兵となり得るような

働き盛りの人資源は宝物そのもの。


これを城砦騎士団戦闘員の正規員数が

1000に届くまで、是が非でも

補充せねばならぬのだった。



城砦騎士団戦闘員は専ら騎士団内の兵団に

属し、兵団は城砦歴106年の時点で

5つの階級を有している。


下から見習い、新兵。城砦兵士。

城砦兵士長。そして四戦隊兵士長。

総じてこの5階級だ。


このうち正規員数とは城砦兵士以上。

要は上位3階級を合わせて1000。

それが求められていた。



ただし西方諸国連合加盟国から提供義務に

則って送られた補充兵のうち、人智の外なる

脅威たる異形と対峙し心底より沸き起こる

自ら未曾有の恐怖を克服できる者は1割前後。


よっていかに歴戦の猛者や戦友が支えた

としても、対異形戦闘に初陣し勝利して

城砦兵士に至れる者は精々4割弱だった。


つまり正規兵員の損耗700を補充するには

最も楽観的に見積もっても2000名以上の

補充兵を追加で送らねばならない。


さらに申さば補充兵を生還さすべき立場に

ある絶対強者、城砦騎士をも3名失っている。

正直なところ、倍は覚悟せねばならぬだろう。


なおさらに申さば兵士の過半数1年と待たず

宴で戦死するのだが、この際それは措くとして。


いくら数を揃えて送りつけても平素の戦闘に

おいてすら次々矢継ぎ早に戦死するため兎にも

角にもきりがない。底抜けの柄杓で沈む船から

水を掻き出す、そんな状況を百年余続けている。


このことは人口が万を超えぬ小国だらけの

西方諸国へと、重く重く圧し掛かっていた。


また、カッシーニ曰く、次の黒の月は早い。

つまりは最短となる7ヶ月後に到来する

と見られているとの事だ。


100年余に渡り繰り返されてきた悲壮に

過ぎる状況が、さらに輪を掛けて再び

繰り返されている。


既に戦地を離れた身とは言え、陸の孤島、

中央城砦とそこに詰めるかつての戦友らを

想えば、自然、彼らのこうべはなお下がるのだった。

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