第二楽章 彼方へと その9
その後入手したばかりの地図を参照しつつ
進行ルートや昼間の退避に利用可能な遺構の
座標の確認が成され、シラクサ及び戦略兵器
移送のための軍議は終了した。
「では我らは一足お先に」
城砦騎士ミツルギとルメールは
騎士団関係の宿泊施設へと、一旦
荷物や装備を取りに戻る事となった。
「すぐに戻って参ります」
合流はスクリニェット正門前広場。
現在地である地下の小会議室からは
シラクサの足で10分程掛かる。
賓客2名が退出し室内が当院幹部のみと
なると、ふと、僅かに空気が重くなった。
興じおちゃらけた風を装ってはいたが、
此度のシラクサの出立に対し皆相応に
思うところはあったからだ。
「さぁ、では移動しましょうか」
努めて明るくバーバラがシラクサへ。
(はい)
短く応じてシラクサは先刻授与された
騎士団員の証3点を包んでいた、
不相応に大振りな布地を羽織った。
生地はビロードの二枚合わせ。
表は夜空の深い青、
裏はワインの暗い赤。
金糸の細やかな装飾で縁取った
フード付きの一枚仕立てなその布地は
城砦騎士団中央塔付属参謀部員制式外套。
さらりと頭から被るように羽織ると自然に
胸元で布地が合わさり、そこでは留め具が
待っている。留め具は認識票と同様に、
城砦騎士団の紋章をモチーフとしていた。
城砦軍師や祈祷士らは、薄手の貫頭衣な
ローブをはじめ各々好みの装束を纏い、
その上でこの制式外套を羽織るのだ。
参謀部の正規構成員は高い魔力を有する影響で
容姿に変容を来しているものも少なくないため、
その身に直接纏う装束は多種多様だ。
だがこの制式外套に限っては色以外
総員揃いであり、例外は参謀長のみ、だとか。
「うむ……」
ジュレス以下幹部衆の大半は
かつての自身を思い出してか、
シラクサの外套姿に目を細めていた。
シラクサ自身としては羽織りものを
二重に羽織る恰好となっていたが、
元々痩躯ゆえ着膨れもなく。
また外套からは外見相応の重みが全く
感じられぬどころかむしろフワフワ軽い。
後にこれは重量が虚数――すなわち浮力を
有している――のだと認知するところとなる。
とまれ外套を含めても
なお明確に外観は華奢。
繊細で儚い有様ではあった。
シラクサ含む幹部衆は、揃ってまずは階上へ。
のち図書館の地上出入口から屋外へと進む。
そうして施設壁面の遠巻きな灯りと
天上の星月が照らす小道を南東へ。
早朝入砦する子らを見送った
本館前の広場を越えて
そこからは南西へ。
城砦の子の学び舎、辺境の宝石箱たる
スクリニェットの正門前広場を目指した。
華奢で儚いシラクサの歩みは
人一倍、いや人の数倍重く遅い。
単に歩くだけでも容易に息が上がる。
並みの子なら数分と掛からぬ行程を、
10分も掛け、慎重に懸命に進んでいく。
傍らに付き添う老バーバラをはじめ
当院幹部の教官らは、シラクサの歩みを
邪魔せぬよう、そっと背後に付き従った。
城砦軍師は非戦闘職だ。
人魔の大戦の最前線、激戦の荒野の只中に
に赴いても、自ら剣を取り盾を構えて
強大な異形らへ立ち向かう事を要求されない。
要するに、生産支援等で城砦に赴任している
他の非戦闘員同様、即時の命の危険は、ない。
今朝方皆で送り出した、場合によっては
道中ですら捕食され得る12名の子らに
比べれば、入砦による危険は少ないのだ。
だが、この子に関してはそれ以前の問題だ。
何時、いや今この瞬間にも尽き兼ねない
風前の灯、それがシラクサの命なのだ。
周囲の不安や焦燥はむしろ強かった。
だがシラクサも城砦の子だ。
止める事なぞ、できはしない。
気高き意志を汚さぬよう、
ただその背中を見守るのみ。
そうして幹部衆は皆無言。
無言で共に、正門を目指した。