第一楽章 辺境の宝石箱 その2
ゴッッ!!
短く苛烈な音に続き
ゴォォン……
と鐘の音の如き音が響いてきそうな。
そんな光景が壁面に映し出されていた。
室内に灯りは殆どなく、卓には
小柄なローブ姿が十数、疎らに。
壁面の映像の脇にもやはり、ローブ姿が。
やや離れた位置には燐光を放つ玻璃の宝珠と
宝珠に右手をかざす華奢なローブ姿があった。
室内の誰もがローブ姿であり、フードを目深に
被っていた。卓に着く十数は、わっと沸く歓声
の代わりにか、ひそやかな感嘆を漏らしていた。
感嘆は映像の内容に向けてというよりもむしろ
映像を現出せしめた仕手に対するもののようだ。
騎士団領アウクシリウム北東区画最奥に在る
城砦の子らの施設「スクリニェット」の本館
地下一階、とある暗室での一幕であった。
あらゆる点で広場の様とは対照的だが
ここに集うのもまた、城砦の子らだ。
誰もがローブを纏うのは魔力の影響が身体的
特徴に及んでいるのを隠すためであり、また
彼らの職分を雄弁に語るためでもあった。
広場で模擬戦に興じる子らが陽の存在、
すなわち城砦兵士や騎士の卵だとすれば、
この暗室に集う子らは陰の存在だといえた。
彼らは城砦軍師や祈祷士の卵なのだった。
城砦軍師や祈祷士と成るには、前提となる
「軍師の眼」や「魔術の素養」といった
特殊な技能の習得が必要となる。
これらは専ら魔力の上昇に伴い獲得されるもの。
詰まるところ、荒野で対異形戦闘に勝利し
城砦兵士に至る事が、城砦軍師や祈祷士となる
ための大前提となっていた。
だが城砦の子らは特別だ。なぜなら彼らは生来
両親より受け継いだ、高い魔力を有している。
それゆえ子らのうち特に心的能力に秀でた者は
――現参謀部筆頭軍師ルジヌのように――
平原に居ながらにして、城砦軍師や祈祷士の
見習いの域にまで至るのだった。
「中央城砦本城中央塔の指令室にも
ここと同様の、そしてより大規模な
映像受信機構が備わっています。
中央城砦は広大な敷地面積を有す反面、
そこに詰める城砦騎士団戦闘員の数は微小。
にもかかわらず闇夜の最中にあってさえ
容易に魔軍の侵入を許さぬのは、中央塔と
城砦内外随所を繋ぐこうした連携システムが
あるからです。
もっとも膨大な魔力と気力を必要とするため
常用はできず、黒の月や大規模軍事展開時に
限定した運用となってはいます」
映像の傍らに立つローブ姿は
歳経た女性の声でそう語った。
玻璃の珠を用いた魔術的な機構は長きに渡り
平原や連合軍に対し厳重に秘匿されており、
暗室に集う子らの大半にとり未知だったためだ。
この教官は引退し帰境した元城砦軍師であり、
ここスクリニェットの卒業生でもある。
つまり城砦の子らの大先輩だった。
補充兵として荒野の城砦に送られた城砦騎士団
戦闘員の退役は、入砦後11年目から許される。
もっとも彼らの大半は1年と待たずに戦死する。
そのため退役者の大半は異形が殺せぬ域にまで
己を高めた絶対強者、城砦騎士か、後方支援に
まわった中央塔付属参謀部の構成員だ。
参謀部の主要構成員には軍師と祈祷士が居るが
祈祷士は回復祈祷や魔術の使用で精神を酷使し
心的に痛んで任期以前に後送となる例が多い。
荒野に在りて世を統べる荒神たる魔と真っ向
やりあう城砦騎士もまた往々にして戦死する。
そのため結果的に引退者に占める割合が
最も多いのが城砦軍師ではあった。
とまれその教官がこうして機密を見せたのは、
この暗室に集う子らが将来の軍師や祈祷士
として十二分な才ありと認めた証でもあった。
暗室の壁面では先刻地上の広場で行われていた
戦闘の光景が、二度、三度と繰り返されていた。
三度目の光景が終わりに至ったのを受けて
元城砦軍師たる教官は、玻璃の宝珠へ手を
かざしている自身より遥かに小柄で華奢な
ローブ姿へと、仄かに頷いた。
そうしてそちらへと歩み寄り
宝珠の操作を引き取った。
途端に映像は数字と図形、文字情報の並ぶもの
へと切り替わり、室内の明るさもやや増した。
機構的には中央塔上層の司令室のものと同一だ。
つまり現役の軍師や祈祷士でなければ
そうは御し得ぬはずのものだとも言えた。
「ではこれより
先の模擬戦闘の分析に移ります。
元城砦騎士であるシェスター卿の
現在の戦力指数は概ね4。ご高齢ながらも
未だ歴戦兵士長に匹敵する実力をお持ちです。
対するのは当スクリニェットの
最年長組から6名1班。
彼らには対異形戦闘の経験がないため
戦力指数を有しませんが、装備群は
城砦騎士団制式のものですので
装備加算値のみで仮算定し概ね3。
昼間かつ広場での演習ですので、天地人を
はじめとする補正要素は無視し、指数値
のみに基づき算定するとしても。
年長組がただ一合で、というより
むしろ鎧袖一触に蹴散らされた、
その理由はどこにあるでしょうか」
教官の問いを受け、これまで闇に紛れるが
ごとくひそかに見聞きに耽っていた十数の
卓に着くローブの群れは俄かに一変。
口々に議論を戦わせはじめた。
「格上相手に『先鋭陣』。
これがそもそもの間違いでは」
幼さは残るもやけにキリっとした少女の声が
そう述べて、目深なフードの内側に手を添えた。
どうやら眼鏡を着用しているようだ。
「でも編成からいって『後鋭陣』は
無理筋だね。前衛が勤まるのは
一人しかいないし」
と別の幼い声がやや鷹揚に響く。
続いて他の子らも口々に。
「まぁ、端から勝てないように
組まれてたってのはあるかも」
「勝てないにしても何であそこまで
あっさりと、というのがお題でしょ?」
「2番の退避が遅かったからでは?」
「それが実は、そうでもない。
2番の膂力と敏捷ではあれが限界」
「じゃあ教官が難癖付けた?」
「いやそれは…… どうだろう?」
一旦議論が始まると後は上も下も関係なく
正解求めひたすら帰納し弁証し合っていた。
「遅い退避しかできない飛び出し方に
問題がある、とみるべきじゃないかな」
「角度だな、猟犬来ちゃったんだ」
「何だよそれ……」
「目標が一つで人間サイズだと
どうやっても鋭角になるねぇ」
「先鋭陣の正面に捉えた単一目標への
飛び出しが前衛の導線を塞ぐのは
ある程度仕方ないでしょう」
「そこを狙われた?」
「飛び出した時点でアウトだったか」
「騎士団の戦闘様式は基本、後攻だしね」
「よく見ると教官は気合いで誤魔化しつつ
こっそり半歩ほど間合いを出入りしてた」
「それに釣られて飛び出したかぁ」
「狡猾だー」
「試合巧者と言うべき」
ややあって、徐々に意見が
纏まってきたところで、
「結論がでましたか」
と自身の過去を懐かしんでか
微笑し子らへと問いかける教官。
最前列に陣取る、恐らくは最年長らしき
ローブ姿がこれに応じて曰く
「有能な指揮官の不在。
これが一番の要因かと」
子らの多くがこれに頷き賛意を示した。
「ふむ。まさに然り。
上出来ですよ、未来の参謀部員たち」
教官は満足げに述べて別の壁際へと
視線を投げた。するとそちらにぼぅと
灯りが灯り、扉の存在を浮き上がらせた。
「今日の午後はここまでとしましょう。
明日は部隊運用の補佐を学びます」
先刻までの熱気とはさながら裏腹に小声で
ありがとうございました、と口々に呟き、
ローブの子らは三々五々暗室を後にした。
後に残ったのは教官と、当初より
玻璃の珠の傍らにいたローブ姿。
「ご苦労様、お見事でした」
見事とは他の子らも感嘆していた、
映像を映し出した手並みの事だろう。
本来なら他の子らと同じく卓に着いていて
然るべき立場だが、尋常ならざる魔力による
天賦がそれを許さなかった。
労う教官にすぅと無言で一礼して
ローブ姿は扉へと。その華奢な背に
さらに教官の声が掛かった。
「本当に往くのですか?」
どこか物悲しげな色を帯び、
再び問いを投げかける教官。
無論、暗室からの退出を問うて
いるのではない事は自明だ。
華奢な背は僅かに動きを止めたものの、
そのまま物言わずに扉へと。ただし
(往きます。荒野へ)
声なき声が暗室に。
教官の脳裏に木霊し、消えた。