第二楽章 彼方へと その1
スクリニェットの本館から北西に建つ
分館の地下には大規模な書庫があり、
書庫には資料室が併設されている。
資料室は地下回廊の終端から、つまりは
シラクサの暮らした旧時代の遺構から
最寄の施設でもあった。
資料室は通路と小部屋から成り、
通路の受付には司書官が常駐する。
幼少より足繁く此処に通い詰めていた
シラクサは言わば司書官らのお得意様だ。
彼女の諸々の事情を重々把握してもいる。
シラクサが姿を見せると速やかに寄って
労い励ましつつ目的地へと案内してくれた。
案内されたのは平素用いる書写閲覧用の
一室ではない。小会議室と呼ばれる部屋だ。
此処では第四時間区分始点、午後6時より
簡易の軍議がおこなわれる事となっていた。
今夜半のシラクサの出立に関するもの
らしいが、詳細は未だ不明なままだ。
立場的にはとうに城砦軍師見習いだが
これまではあくまで当院の助手として
講義を補佐するのみだったシラクサ。
そんな彼女にとって西方諸国連合隷下、
城砦騎士団の軍議や軍務に参画するのは
これが初となる。少なからず緊張していた。
他と比べやや重厚な風情のある扉に立つと
声を発せぬシラクサの代わりに司書官が
ノックし口上を述べてくれた。
「入りなさい」
すぐに応えが。どうやら
ジュレス院長の声のようだ。
軍議は6時から。今は5時30分。
十分以上に余裕をもって来たはずが。
と、戸惑う風のシラクサに司書官は微笑み
頑張りなさい、と小声で一言、扉を開けた。
小会議室には10名ほどが集っていた。
向かって最奥に座す院長ジュレス以下
既に見知った当地の職員が殆どだ。
ただし彼らは皆、元城砦騎士団員だ。
騎士や軍師、祈祷士として荒野の死地で
無数の夜を戦い生き抜きそして此処にいる。
平素は揃って穏やかな彼らも、
今は峻厳たる緊張感に満ちている。
そう、此処は。
この部屋は既に荒野なのだ。
シラクサはそう感じ気を引き締めた。
(遅くなりました。シラクサ、入ります)
部屋の広さを一瞥で算定、過不足ない規模に
効果範囲を設定し、シラクサはそう念話した。
「いや、遅れてなどはいないとも。
今は一つ、別件を扱っていてね。
無論君とも無関係ではないし
折角だから参加しなさい」
シラクサの念話とは
要は魔術そのものだ。
成された魔術の範囲、精度、発現の澄明さ。
あらゆる要素に並々ならぬ技量を感じ
ジュレスは口元を綻ばせ、告げた。
背後では扉が音も無く閉じられた。
シラクサはバーバラに促され隣席に座した。
「よく、似合っています」
バーバラはシラクサの姿に目を細めた。
万感の想いが篭もるその一言にシラクサは
複雑な面持ちで、ただ無言で頷くしかなかった。
両親についてこの場の面々に問うても
当の両親から口止めを約束させられている
彼女らをいたずらに哀しませ、困らせるだけだ。
答えは荒野で、この手で掴み取る。
この点においてシラクサの決意は固く、
無言の頷きには強くそれが表れてもいた。
「うむ、ふてぶてしくて強情な
いっぱしの軍師の顔をしておる」
老シェスターはそう苦笑し、
副院長カッシーニは咳払いを。
「さて、まずは紹介しよう」
そして院長ジュレスは何事も
なかったかのようにそう告げて。
自身の右前方に座す屈強極まる
二人の偉丈夫。その内より手前の
一人へとすぅ、と手を差し伸べた。
「まずはこの方、
城砦騎士ミツルギ卿だ。
騎士会首席にして兵団第二戦隊長である
かの剣聖ローディス閣下の一番弟子であり、
第二戦隊抜刀隊一番隊組頭を務めておられる」
未明、建物の影に垣間見たはずのその人物は
灯りの下ではその折の数倍の大きさの鬼神像
の如き押し出しをして、しかしどこまでも
静謐に佇んでいた。
「先だっては名乗りもせず
大変失礼を致しました。
城砦騎士ミツルギにござります。
此度はお師匠様の使いとして
当地へ寄らせていただいた次第です。
シラクサ殿、どうぞお見知りおきを」
ミツルギはすっくと立ちあがり、周囲に
武威を振りまきつつも、やたら滅多に
慇懃無礼な様相で。
げに恐ろしげな強面を、泣く子も最早
泣きじゃくるしかない感じでもって
笑顔、らしき塩梅に変じ、そう言った。
遥かに年下の、見習い軍師な小娘に対し
天下に名だたる城砦騎士がかくも丁寧
過ぎる挨拶を成す。
これにすっかり呆気に取られたシラクサは
自身も続いて挨拶すべく立ち上がろうとした。
「あいやいや!
是非そのままでお健やかに!」
もっともこれは他ならぬ
ミツルギにより大慌てで制された。
シラクサは困り果てて周囲を見渡した。
が、周囲は小さく肩をすくめるのみ。
先だっての邂逅でも感じたがやはり
この方はこういう性分なのだろう、と
シラクサは納得し、着席したまま挨拶した。
「黒の月の激戦が済み次第騎士団は
戦死者の遺族へと見舞金を出している。
騎士団の兵団中、最も戦死者が
多いのは主攻軍たる第二戦隊だ。
そこで第二戦隊長である剣聖閣下は
自身の配下らの遺族のために自らの
勲功を崩してさらに別個に見舞っている。
閣下の配下には当然ながら、
当院の子らの両親も含まれている。
そこでミツルギ殿は閣下から預かった
見舞金を届けに来てくださるのだ。
また閣下は当院出身のよしみから、
当院自体へも定期的にご寄付を
くださっている。
あちらでお会いした際は我らに代わり
くれぐれも御礼を申し上げてください」
とジュレス。
(成程、そういう事でしたか。
了解しました。ミツルギ卿へも
心より御礼を申し上げます)
シラクサは改めて立ち上がり、
ミツルギへと深く一礼した。
「何の、それがしはただの使いにて、
然様な仕儀は無用にございますぞ!」
ミツルギはこれに再び立ち上がり、
大慌てでブンブン盛大に手を振った。
当たれば確実に、人が死ぬ。
鬼神像の如き荒武者過ぎるミツルギの
そうした挙措は控えめにいって超危険。
よって周囲は何とか平に、平にと
冷や汗と共に押し留めたのだった。