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シラクサの賦  作者: Iz
第一楽章 辺境の宝石箱
18/86

第一楽章 辺境の宝石箱 その18

いつもの回廊、いつもの暗がりを

独りシラクサは渡り、戻った。


出立の準備や覚悟は済んでいる。

この数日、サクラと二人で色々な事を

十二分に、存分に語り合って過ごした。


でも、それでもやはり

別れは辛いものだ。


たとえ姿なく声なくとも、

確かにサクラはそこにいて、

この暗がりでずっと共にあった。


十数年共に暮らした自身の半身。

残された唯一の肉親なのだ、サクラは。


暗がりをゆるゆると渡るシラクサの

足取りは、普段に増して重いものだった。



「おかえりー!

 うん、気分はともかく体調は

 良いみたいね。明るさにも慣れた?」



荒野の城砦内での暮らしを見越して

ここ数日は庵の照明の光度を上げていた。


陽光が禁忌なため照明自体を苦手としていた

シラクサには当初は多分に刺激的だったが、

確かにもう、慣れてきた。



「えぇ、そうね」


「中央塔は本城の大黒柱を兼ねてるから

 陽光は全く来ないけれど、その分

 ランプや松明がわんさかあって

 ライトアップが凄いから」



中央塔の立つ本城内中枢の広場などは

さながら観光名所のようなのだ、と

サクラは楽しげに笑っていた。



庵に満ちる声は涼やかで朗らか。

この十数年、常に変わらぬ有様だ。


すぐそこに迫る別れなど

あずかり知らぬかのように。


無論そんな訳はない。

シラクサの決意が鈍らぬよう

シラクサの分も気を遣っているだけだ。



「今夜発つ事になったわ。

 第四時間区分から軍議とか」



極力そっけなく念話するシラクサ。

言葉を介さぬ分念話は心情が漏れやすい。



「そっかぁ……

 うん、判った」



鈴の音のごときサクラの声は



「じゃ、ちょっと待ってて!」



そう応じてシラクサの下を遠ざかった。





「お待たせ! じゃぁ、これね」


ふよふよと宙を漂って

二つの品が現れた。


ひとつは拳大の小袋だ。

今一つは布地らしかった。


ふわりと卓上に降り立ったそれらを

シラクサは興味深げに眺めていた。



「まずはこっちね、

 開けてみて?」



言われるままに小袋を手に取る。


蝶や花、草木などの装飾の織られた

艶やかな生地の巾着袋で、結び目を解き

掌へと傾けると、星の滴が鳴ってこぼれた。



「……鈴?」



左手の平では親指の先ほどの大きさの

銀色の鈴が仄かに揺れて、鳴っていた。



「これはお父さんからだよ」



とサクラ。


シラクサは驚き、鈴を見つめた。



「シラクサが生れてすぐの頃にね、

 シラクサが声を出せないって知った

 お父さんが、荒野から送ってきたんだ。


 その時はまだお父さん、シラクサが

 念話を使えるって、知らなかったのよ。

 だからせめて声の代わりにって、これを」


「そう、そうだったの……」



名も知らず、顔も知らぬ。

一度も会った事のない、そんな父が

それでも確かにシラクサを想っていた。


そして遥か彼方の戦地から、

送って寄越したのだという。


もっとも送った鈴と行き違う格好で

実はシラクサには念話が使える事を。


よって周囲との意思疎通にそれほどの

不自由はなく、平たく言って鈴は不要だと

そう知ったシラクサの父は照れ、送った鈴を

隠しておくよう慌てて手紙を寄越したのだとか。


物心付く前の出来事であったため、

シラクサにそうした一連の記憶はない。


だが掌で氷粒のように涼やかに佇む

小さな銀の鈴から今シラクサは、

無上の温かさを感じていた。



「こっちはお父さんとお母さんから。

 シラクサが成人した時のためにって」



一方の布地は広げてみると

一枚の袖なしの羽織、そして

同じ意匠の小振りなコルセットだ。


深みのある艶やかな赤と黒を基調として

花に舞う蝶の蒔絵風の絵柄が装飾された

東方風の瀟洒なそれらを、シラクサは

純白のブラウスの上に身に付けた。


夜そのものの如き艶やかな漆黒の髪。

どこまでも白い雪色の肌と深紅の瞳、唇。


どこか人ならざる存在を彷彿とさせる容姿の

シラクサと、それらは完全に調和していた。



「うんうん、似合う似合う!

 お母さんの若い頃にそっくりよ!」


「そう、なの?」



はしゃぐサクラ、戸惑うシラクサ。



「そうだよ! バーバラとか

 びっくりし過ぎてひっくり返るかも。

 もう歳だから、ちょっと怖いけど……」



御歳70といえど海千山千の元筆頭軍師。

そうそう滅多なことはないだろうけど、

とブツブツサクラはつぶやいて、



「私からも贈り物があるのよ。

 はいこれ、『お薬』のレシピ!


 荒野には魔力が満ちているし、

 平原では採れない薬草も多いから

 参謀部なら作れる人、きっといるはず。

 なんならシラクサが自作してもいいわね」



と書状を一つ差し出した。


平素サクラがシラクサに用意していた

「お薬」の効能を代替再現できそうな、

幾らかの調合法が記されているようだ。



「ありがとう、本当に」



心から、シラクサはそう告げた。



「私からも何か貴方へと

 贈り物が出来たら良かったのに」



シラクサには、何もない。

あるのは覚悟、ただ一つだった。



「今までずっと頑張って

 生きていてくれたじゃない!

 ずっと一緒に過ごせたじゃない!

 それでいい、それだけで私は幸せよ」


「サクラ……」



いつ尽きるとも知れぬ危うく儚い命を

十数年もたせ、紡いできた。自らの境遇を

恨みも嘆きもせず、ただ前を向いて生きてきた。


これまでも、これからも、

やがて力尽きる、その時まで。


それはシラクサの誇りであり、

そしてサクラの誇りでもあった。



「人はね、シラクサ。

 人はみんな、世界に一つの

 自分だけの物語を持っているんだよ。


 シラクサの物語はまだまだ続くわ。

 まだ始まったばかりなんだから。

 素敵な物語をつづってね!」


「判ったわ、約束する」



歪む視線の向こうへと、

シラクサは強く頷いた。

 


「うん、うん!

 ……じゃあ私は少し眠るわ。


 大丈夫。(ここ)の空気と一体化してるから

 いきなり消えてなくなったりはしないわ。


 まぁそのうちに目が覚めたなら

 退屈紛れに悪戯しちゃうかも

 知れないけれどね!」


「まるで魔みたいね」


「あはは、そうかもね!」



世界を統べる大いなる神魔とは

存在の格が余りにも違うが、案外

在り様は似通っているのかも知れない。

そう想いシラクサとサクラは軽く笑った。



「とにかく私は大丈夫だよ。

 何も心配いらないから。

 だから…… いってらっしゃい」


「いってきます。

 忘れないわ、ずっと」


「私もよ、シラクサ」




――おやすみなさい。




かくて儚き煌めきは

自らを優しく包む暗がりを、

愛しき辺境の宝石箱を後にする。


果てなく深き闇の大地へ

遥かな戦地、荒野を目指して。


三千世界に燦然と輝く

自らの物語を綴るために。

第一楽章はこれにて終了いたします。

引き続き第二楽章をお楽しみください。

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