第一楽章 辺境の宝石箱 その15
「元々は光の巫女と神鏡を護る
長弓部隊に居たんだよ」
仄灯りの室内に響くサクラの声。
シラクサにとりそれは最早、果て無き
忘却の彼方に霞む母の声そのものだった。
「儀式の側に侍り護るうち、
自分が巫女になっちゃったみたい。
きっと元々素質が有ったんだろうね」
自身の記憶であり、他者の記憶でもある。
サクラはそんな過去を懐かしんでいた。
「15年前の宴を最後に、
当時の光の巫女は力尽きた。
そうして後を継ぐ事になったのよ」
人魔の大戦における決戦存在の一人、
光の巫女。過酷に過ぎる役目を担う彼女らの
心神は、宴の度に確実に蝕まれ、崩壊していく。
ゆえに次善策として、記憶を外部保存する。
そうして生まれたのがサクラだという。
「その後二年間、二度の宴で巫女を務め、
立派に役目を果たしてみせた。でも
すっかりボロボロになっちゃって。
次が最後だろうって覚悟して、せめて
それまでは静養を、ってなったその時に、
新たな命を授かっている事に気付いたのよ」
それが13年前の事だという。
「それを知った騎士団上層部や参謀部は
無期限の静養を命じたの。そうして
この地でシラクサが生まれたんだ」
サクラの声には優しい懐かしさが満ちた。
「それから3年間、
此処で三人で暮らしてたんだ。
でもシラクサはまだ赤ちゃんだったし
その頃のことなんて、覚えてないよね」
サクラの優しい笑い声。
シラクサは涙ながらに頷くも必死に、
必死に忘却の彼方を探っていた。
そして
「微かに、本当に微かにだけれど。
覚えているような気がするわ。
確かに三人、そうだったのかも。
そしてサクラ、その頃の貴方は……」
「……うん、そうね。
その頃はまだ見えてたかな」
はにかむように小さく笑うサクラ。
「……」
かつてはサクラに姿があった。
その事実が示唆する諸々を想い、
シラクサは言葉を継げないでいた。
「遠い昔、ずっと昔。
人と人ならざる者が
手を取り合って生きていた
闇の時代に居たという、花の精。
それをモチーフにしたって言ってたなぁ」
名前が先に決まっていてそこから
容姿を象ったとの事。無論飽くまで
記憶媒体の無生物として、だ。
それが命を宿す事になるとは当人も
予期してはいなかったのだとか。
「此処で3年過ごした後、
再び荒野へ戻る事にしたのよ。
勿論すっごく悩んだ末にだけれど。
荒野の中央城砦ではずっとお父さんが
一人きりで、二人のために戦っていたから。
だからお母さんも役目を果たしに戻ったの」
「……そう」
「シラクサを一人残して荒野へ往くのは
凄く辛かったんだよ、本当に、本当に。
だから私を此処に残していったの。
せめてシラクサがこの暗がりでも
一人で寂しくないようにって。
少しでも笑顔になれるように、って」
「でもそれって」
「……そうだよ。
お母さんは光の巫女だから。
お父さんともども、もう此処へ
戻って来れないのは覚悟してたんだ」
最早記憶の外部保存は不要。
むしろ思い出だけでも子の側に。
そうしてそっと見守ってやりたい。
名を告げられずとも。素性を明かせずとも。
それがサクラが引き継いだ、
シラクサの母の想いだという。
「お母さんは荒野の城砦に戻り、
再び光の巫女になった。そして
10年前…… 役目を全うしたの。
お父さんを護るために、
最後の力を振り絞って、ね……」
荒野へ戻った後の顛末は、此処で
バーバラから聞かされたという。
サクラはバーバラとは未だ自身に
姿ある頃から知り合いであったらしい。
シラクサは母の最期に想いを馳せつつも、
サクラの言の葉をしかと掘り下げた。
「お父さんを、護った……?
それってつまり……」
詳しい事情は類推すらできぬが
「母が護った」との言が精確であるならば。
シラクサは一縷の望みに縋るがごとく、
慎重に、慎重にそうたずねた。
「うん。
その時お父さんは生き残った。
そしてその後も一人で戦い続けた。
もしかしたら、今もまだずっと
一人で戦い続けているのかもしれない。
シラクサのお父さんは大いなる
人の世の守護者にして絶対強者。
城砦騎士だから。
どっちも名前は言えないけどね、
そういう約束してるから!」
推測は正しかったようだ。
人魔の大戦の決戦存在、光の巫女。
人の世の守護者たる絶対強者、城砦騎士。
シラクサがこうした両親の素性について
聞き及んだのは、これがはじめての事だった。
そして。
「でも、もしも、今もなお、
お父さんが戦い続けているのなら。
荒野に行けば会えるかも知れない。
だから私はシラクサが
荒野に行く事には賛成なの。
どんなにちっちゃな可能性でも、
会えるものなら、会いたいもんね?
お父さんに会えるといいね、シラクサ!」