第一楽章 辺境の宝石箱 その14
「ずっと前にさぁ?
『一言では言えないなぁ』
って私言ったの、憶えてる?」
かつてシラクサが素性を問い、
サクラは確かにそう答えた。
シラクサはそれを確かに
憶えていたので頷いた。
「あれって言葉通りなのよね。
だから話せば長くなるけど、いい?」
「構わないわ。
此処での務めは全て終えたから。
出立も私は皆より数日遅いそうだし」
シラクサは再び頷いて、
サクラとの時間を大切に、との
バーバラの言葉をもサクラに伝えた。
「数日遅く? そうなんだ。
バーバラってばわざとだなぁ……
昔っから気遣い魔人だったからね!」
「……」
帰路での推察は当たりのようだ。
サクラとバーバラは面識がある。
それも性分を理解し得る程深く。
つまり恐らく邂逅は、当地
スクリニェットではなく
「私は荒野で生まれたんだよ」
そういう事、なのだろう。
シラクサは静かに頷いた。
「今から大体15年前かな。
荒野の只中に孤立する、
西域守護中央城砦。
これからシラクサが向かう場所、
『人智の境界』が私の故郷よ」
「そう……」
脳裏に去来する様々の憶測を殺し、
ただただ静かにシラクサは頷いた。
「荒野特有の『黒の月』。
一月続くの闇夜の最中に
魔軍との決戦『宴』が起きる」
依然涼やかな声音だがしかし
サクラの口調からは平素の明るい調子が
失われ、淡々と無機質なものになっていく。
こういう話し方をする人種を
シラクサはよく知っている。
シラクサ自身とも近しい。
城砦軍師や祈祷士の口調だった。
「人魔の大戦『宴』で城砦騎士団は
戦端を開き趨勢を決する嚆矢とすべく
神鏡より『精神の矢』を抽出し、放つ。
『精神の矢』の抽出には大規模かつ
極めて高次の儀式魔術が必要となる。
荒野で戦う全ての人の心に宿る戦神。
すなわち不撓不屈の『精神』を
吸い上げ束ね抽出し矢に象る。
仕手は城砦騎士団でも随一の、
すなわち人類最強の魔道士が担う。
彼女らは『光の巫女』と敬称される」
超然と語られるその内容は城砦騎士団の
最高機密でもあり、未だ平原に在る
シラクサの与り知らぬものだった。
「精神の矢の抽出とは言わば『神降ろし』。
いかな光の巫女と言えども、履行には
多大な代償を払わねばならない。
具体的には数千点もの気力の消耗を
起点として肩代わりする事となる。
一個の人の子が具える気力は数十点。
祈祷師や巫女であっても精々百前後。
それでも巫女は自らの身を莫大な、
数多無数の気の奔流へと通り道として
差し出して、精密無比に儀式を執り行う。
それも宴の続く限り、
何度でも、何夜でも。
人魔の大戦を人の勝利に導くため
肉体であれば四肢欠損に相当する
精神の損耗を繰り返し、繰り返す。
結果、神にも等しい魔力を有する
光の巫女たちは程なく『壊れる』。
その精神は不可逆的に崩壊し
培った尊い記憶も永久に逸失。
そして心身共に、死へと至る。
城砦歴百年余の大戦の影では数多の
巫女たちがこうして命を散らしていった。
もっともこれは特別な事ではない。
騎士や兵士が身体を張るのと同様に
軍師や祈祷士は心を張る。それだけの事。
そうして今日も人智の境界では
数多の名も無き英雄が戦っている。
彼らの愛すべき誰かを、何かを。
人の世を護る、そのために」
仄暗い室内に響くサクラの声。
シラクサは身じろぎ一つできずにいた。
何ゆえサクラは今この時に
こうした内容を物語るのか。
理由は随分と限られていた。
「余りに過酷、そして唯一無二の
役目を負う歴代の光の巫女たちは、
自身が少しでも長く大任を果たせるよう
平素より様々な形で尽力している。
その一つが記憶の外部保存。
自身にとって身近な物に
正常な状態の精神を複写。
崩壊後自然にそれらと接触する事で
従前に具えていた知識や記憶が再起し
獲得できるよう、手を打っている。
単純に、数値的には知力や精神を
元に近い値にまで復旧させる事は
不可能ではない。
またそこに知識や技術を再度詰め
相応に機能させる事も不可能ではない。
しかしかつて事物を経験した際に
想起し手に入れた感情、追憶は
永久に失われて戻らない。
直し得るのは器だけ。
零れた中身は戻らない。
要は精神崩壊から戻れても着実に
『瓜二つの別人』へと変貌していく。
これを避けるためにも巫女たちは
自身の人生の想い出をも可能な限り
ありありと、生きた形で残すよう努める。
比類なき魔力を有する巫女であれば、
そうして創った記憶の拠り代に
命が宿る事もある」
これまで果てなく凍てついた調子で
語ってきたサクラはここで一呼吸。
そうして平素へと立ち戻って
或いはそれ以上の想いを零した。
「私はね、シラクサ。
貴方のお母さんの記憶なんだよ」
元より口のきけぬシラクサは、
ただ静かに涙を流していた。