第一楽章 辺境の宝石箱 その12
西方諸国連合本部やスクリニェットの在る
平原西域最大の街、アウクシリウムは
騎士団領の中央北部に位置している。
アウクシリウムから騎士団領の西端、
すなわち荒野の東端までは一日弱。
そこから荒野東域の只中に孤立する
西域守護・中央城砦までさらに一日弱。
これが一般的な補充兵移送の旅程だった。
当代異数の名馬と騎手が単騎或いは少数で
強行したなら一日内の踏破も可能だが、
補充兵は徒歩、かつ数百名単位だ。
それにひとたび荒野へ入ったならば
常に異形の強襲を懸念せねばならない。
そも戦力補充のための人員だ。いかなる
瑕疵もあってはならず、荒野内での行軍は
総力を上げ、死力すら尽くし安全に、となる。
よって後半の旅程は短縮のしようがない。
要は荒野への兵員輸送は確実に一昼夜以上
掛かるというわけだ。
今期入砦者の一員として荒野の城砦へ
赴かんとするシラクサは、自身にとって
まさに禁忌となる日中行軍を経ねばならない。
そのために成した準備こそ
今バーバラの手にする図面だった。
内容はとある箱型構造物の設計基だ。
まずは骨格。素材にはフェルモリア大王国
国立工廠鍛造の超硬度軽量鋼を選択。
鋼性と軽量化の両立を狙う。
そしてこれを覆う外装には完全な遮光性と
防音性、さらには衝撃吸収性を追求して
騎士団第一戦隊精兵隊制式重盾である
メナンキュラスの複合装甲を採用。
荒野東域に跋扈する並の眷属の一撃なら
楽に凌げる程の防護力の獲得を目指す。
底面には適宜の通気通風と搭乗者による
魔術の詠唱効率を高める反応型通気機構を搭載。
回路に魔力を蓄積させての加圧詠唱も適合する。
次に外装各部に設置された玻璃の珠を通じて
外部の情報を逐次精確に収集し内壁へと映す
全周囲投映機構を内臓。指揮車両としての
機能も果たせる格好だ。
運搬の便を最大限に考慮し体積は最小限に。
搭乗者への完璧な採寸に基づく最小最薄。
俯瞰すれば八角形の下部を引き伸ばした如く、
側面からみれば薄い長方形。そんな多面体を
構築しており台車へ無理なく積載し得る。
もっとも内装底部はふかもこなクッションを
敷き詰めたビロード張りとして、居住空間
としての快適性をないがしろにはしない。
緊急時には直接馬に繋いで挙動できるよう
下部には複数の車輪をも備え、独立懸架な上
各々に油圧式緩衝機構をも奢る。
仕上げに極力陽光を反射すべく全体に純白の
特殊塗装を施し、金で連合軍と騎士団の紋章を。
これがシラクサとサクラ両名の叡智の結晶、
らしきモノの正体であった。
本来は自身の移動のための器具だったはずが
いつの間にやら戦術支援兵器へと変貌を遂げて
いるのは天賦の発明の才ゆえか。
とまれこの、最小規模の構造物に軍師を格納し
高い防護性と機動力を以てさながら移動型の
中央管制室として機能せしめるこの構造物を、
シラクサは「コフィン・システム」と命名。
そしてシラクサの搭乗予定な試作1号機には
自身にとり禁忌である陽光すら甘受せしめる
存在としての期待を込め、「メリー・サン」
との名称を与えた。
すなわちメリー・サン・コフィン。
つまりはメリーさんのひつぎであった。
シラクサとしては初の、そして渾身かつ会心
の発明はしかしながら嘆息とともに却下され、
シラクサは現在絶賛ぶんむくれ中だ。
平原4億の頂点20名な大賢者の卵である
シラクサは、少なくとも智謀については
絶大な自信と自尊を有している。
お陰でプライドがズタズタな感じで
シラクサは暫し忘我してしまった。
またバーバラが頭痛を覚えたが如き仕草で
「戦う前から棺に入る者がありますか」
とまるで常識人のような発言をするので
益々もってイラっと感が増し増しに。
人智の外なる領域へと片足を突っ込んでいる、
いや殆ど走り幅跳的に両足で飛び込んでいる
城砦軍師の。それも筆頭だったバーバラに
だけは常識を語られたくないと憤るシラクサ。
蓋しもっともとは言えるものの、お陰で
バーバラの成した「不要だから」との応答を
正しく理解するのに少々手間取ってしまった。
「『不要』とはどういう事ですか?」
ややあって――といっても精々数秒だ――
落ち着いたシラクサは本来の冷静さを取り戻し
「まさかこの期に及んで
入砦を認めないなどとは……」
真紅の瞳でジト見した。
もっともそれが有り得ぬ事は
シラクサとて十分に承知していた。
戦況にそんな余裕などまるでないからだ。
「騎士団の損耗状況は深刻に過ぎ、
最早『猫の手も借りたい』との事です。
……まぁ実際に借りているようですが」
「?」
「いずれ判ります」
「……」
たいそう気にはなるものの、此度の
論点ではないので留保するシラクサ。
「ではどういう意味ですか?」
と改めて問うた。
「貴方が赴くと決めた以上、
これを留める事はありません。
むしろ最大限に支援して
必ず無事に送り届ける。
それが我々に許されたせめてもの、
たった一つのはなむけなのです」
「……」
手塩にかけ、我が子同然に情を尽くして
育てあげた幼い子らを、ひとたび赴けば
ほぼ生きて戻れぬとされる荒野の戦地へと。
人魔の大戦の最前線たる西域守護中央城砦、
通称人智の境界。へと送り出さねばならぬ。
ここスクリニェットの教官らの抱く
真摯な心底の吐露がそこにあり、
シラクサはこれに押し黙る他なかった。
「貴方用に参謀部の保有する
戦闘車両を手配してあります。
他の入砦者とは別行動となり
出立も数日遅れる見通しですが、
入砦に関しては一切心配無用ですよ。
他の入砦者への教導も終了していますし
暫くは体調を整えゆるりとしていなさい。
そして……」
「……?」
「サクラとの時間を大切になさい」
寂しげな瞳のバーバラは
しかし黙してそれ以上語らず。
シラクサは妙な胸騒ぎを覚え、
暗室を去り精一杯急いで回廊へ。
暗がりのさらに奥なる自室を目指した。