第一楽章 辺境の宝石箱 その10
城砦内郭南西区画を発ったミツルギは
本城を経由し内郭北西区画へと至った。
俯瞰図として真円に内接正方形を嵌めて
区切り取った格好の内郭の4区画は、
当然敷地面積としては均等だ。
だが各々の利用状況や駐屯人口については
まるで異なり、北西区画はほぼ更地だった。
西方諸国の町ほどもある広大な敷地内に
目立った施設は二つきり。一つは騎士団領
アウクシリウムと荒野の中央城砦を往来し
物資や人資の輸送を担う駐留騎士団の施設。
一つは騎士団内で最も新設となる、
兵団第四戦隊の営舎だった。
第四戦隊は8年前の黒の月、闇夜の宴を経て
荒野に在りて世を統べる大いなる荒神たる
魔のうちでも飛びぬけて強大な一柱。
「冷厳公フルーレティ」の討伐を成し遂げて
天下に武神の二つ名を轟かす事と成った
城砦騎士長ライナスと彼の配下を、所属して
いた第二戦隊から独立させる形で新設された。
平原三大国家が一、共和制トリクティアの
古都イニティウムで防衛軍の長を務めていた
ライナスは、平原に在った頃より名将と名高く。
冷厳公フルーレティの再臨が予期される状況下
これを討ち果たすべく、当時の騎士団長より
招聘されたという背景があった。
これまでの顕現において平原4億の人の子の
上澄み1000名である城砦騎士団戦闘員を
1500も屠ったと記録されている冷厳公。
城砦騎士団の有する正規戦闘員数はいちどきに
1000程。つまり冷厳公は延べ人数で言えば
城砦騎士団を一度殲滅し得ている。
すなわち平原の人の世を滅亡させ得る脅威で
あって、いつそれが現実となるやも知れぬ。
よって城砦騎士団でも西方諸国連合としても
是が非でもこれを討伐したいと考えていた。
騎士団と連合軍、さらに祖国トリクティアの
威信を背負い鳴り物入りで入砦したライナスは
その類稀な武量であっさり対異形戦闘に適応。
その後将として戦のより大きな枠組みについて。
すなわち人魔の大戦そのものについて分析した。
その結果、魔軍の平原侵攻を食い止める囮の餌
として常に防衛戦に徹さねばならぬ城砦騎士団の
現況では、件の大魔はけして討てぬと判断した。
そこで自身の属した第二戦隊内に、平時は
もとより魔軍との決戦である宴においてさえ
担うべき確固たる役割を有さぬ一隊を。
本質として宴後撤退する魔の追跡と討伐、ただ
それのみを専攻する、対魔特化の特殊部隊の
設立を提言、騎士団上層部はこれを承認した。
人魔の大戦の最前線にあって常にフリーハンド
を有し、独立して機動し遊撃するこの部隊は
拠点防衛のための戦闘技能のみならず。
馬術をはじめ荒野の只中を異形顔負けで闊歩
し得る多彩な技量の獲得に励み、そして
冷厳公討伐という結果を出してみせた。
特に他隊ではまず顧みられぬ騎兵運用を専らと
して、荒野の大地を縦横無尽に駆け魔を狩る
この部隊の有用性は最大限に評価され、
然る後第四戦隊と相成ったのであった。
設立時点からの特徴として、第四戦隊は
他戦隊と異なり通常任務を有さない。また
多数の軍馬を装備運用するため機動力が高い。
通常任務を持たぬといっても、暇を持て余し
プラプラと無為に過ごしているわけではない。
例えば黒の月、宴の折なら他戦隊が夜戦に
専心するため日中の軍務を肩代わりしたり、
激戦区に急派される輸送部隊の護衛を
引き受けたりとむしろ八面六臂の有様だ。
ただ、戦闘状況が長期化し例年以上の損耗を
蒙った此度の黒の月においては、戦力にも
資源にもまるで余力がないとの理由から、
魔の追跡と討伐は中止の運びとなっていた。
もっとも第四戦隊は、ならば
勝手に動くぞと絶賛暗躍中だ。
少数精鋭を基幹として必要に応じ臨機に
他戦隊へと召集をかける統制上の事由から
第四戦隊は他3戦隊の上位にある。
そのため他戦隊員からはその活動状況が
不透明な事も多く、騎士団長直下の参謀部
同様、怪しい集団だと看做される事も多い。
もっとも構成員の大半は致死率の極めて高い
第二戦隊で歴戦した兵士長級からの抜擢なため、
揃いも揃って滅法強く、修羅離れして剽悍だ。
ゆえにかこぞってお調子者だ。お陰かどうか、
恐ろしく人気の少ないこの北西区画にあって、
四戦隊の営舎付近だけは常にガヤガヤと賑やか。
さながら酒場の人いきれの如き錯覚を覚えつつ
ミツルギは第四戦隊営舎の詰め所へと入った。
「御免仕ります。
第二戦隊のミツルギに御座ります」
岩を鏨で荒削りしたが如き屈強極まる体躯を
折り曲げ、強面過ぎる面構えをこれでもかと
柔和な感じにしようと努めて。
結果夢にうなされそうな按配と相成った
ミツルギを目にして、ぎょっとする者数名。
ぎゃっと喚く者数名。他は何やら詰め所の
一角をやんやと囲み、騒いでいた。
「久しいなミツルギ。よくぞきた」
人だかりの裏側から
矢鱈と通る声がした。
取り立てて大声でないにもかかわらず
そこに喧騒など無いが如くによく通る。
城砦軍師なら声の響きに
魔力を感じたやも知れぬ。
声を受けてか人だかりが割れた。奥では
二人の偉丈夫が卓にて対面しており、
ミツルギの来訪を喜びその目を細めていた。
一方は黒、一方は青。
どちらも見目鮮やかな甲冑を具え、
その上に黒または青の衣を纏っている。
さらにどちらも美髯を蓄え
片手で思案げに撫で付けていた。
色味や背格好こそ異なるものの
どこか合わせ鏡のようなその様に
「武神閣下、ベオルク様もお久しゅう。
ご健勝の段、何よりで御座ります。
それは、一体 ……?」
とミツルギは問うた。
第四戦隊の長である武神ライナスとその副官
であるベオルクの両名に対し、前回ミツルギが
対面したのは二十日ほど前の事だ。
第四戦隊は黒の月、宴の折は専ら他戦隊とは
別働し、撤退した魔の潜伏場所を調査したり
魔軍残党の動向などを探る。
魔の潜伏場所が判明すれば他戦隊に招集をかけ
討伐部隊を編成するのだが、その際第二戦隊
からは剣聖ローディスとその弟子らが出張る。
剣聖の一番弟子たるミツルギなどは探索段階
から毎度の如く呼び出され、その都度此処に
出向していた。
だが今期は探索も討伐も上層部の意向で
中止に。ゆえに久々の顔合わせとなったのだ。
「ベオルクが『腕を上げた、もう負けぬ』
とまぁ、そう言うのでな。ならばと
互いの好物を賭け、碁などを打っていた」
青の衣を纏う美髯の主
武神ライナスは苦笑した。
碁盤を囲む両者の傍らでは茶と両者の好物が。
すなわちライナスの脇には虹鱒の塩焼きの群れ。
そしてベオルクの傍らではイチゴ大福の小山が
安置され、戦局を窺う風だった。
「成程……」
よく見ればイチゴ大福の幾らかは
既に塩焼きの群れへと合流していた。
そして時折ライナスが何食わぬ顔でそれらを
パクリ。都度ベオルクは盛大に顔をしかめた。
「言いたい事があるなら言え」
いきなりヤツ辺り気味のベオルク。
ギャラリーな兵士らの笑いを誘った。
「滅相も御座りませぬ」
とんだとばっちりに首を竦めるミツルギ。
「剣聖閣下は息災かね」
と笑って問うライナスには
「ハッ、慰霊も滞りなく済みまして
今頃は恐らく鎮魂歌なぞを……」
と応じた。
ライナスとベオルク、さらには二戦隊出身な
四戦隊の兵士らは、あの剣聖による鎮魂歌の
リサイタルなる惨状を想像し顔を見合わせた。
曰く、歌えば人が死ぬ。
そんなヤバく厄い代物を、幹部や弟子的には
立場上回避不能な式典においてそれはもぅ
がっつりと熱唱されてしまった日には、
鎮魂対象の増加も不可避やも。
「……それはまた、難儀だな」
「お主ら直弟子の苦行振りには
流石に頭が下がる思いだ」
「ハハッ……」
ライナスやベオルクらにこぞって憐憫の
眼差しを向けられ、ミツルギは益々
恐縮せざるを得なかった。
「それで、何か用でもあったかね?」
順調に増えるイチゴ大福を茶と堪能し
いたく上機嫌らしきライナスが問うた。
「は、デレク殿にお会いしたく
まかり越しまして御座ります」
「デレクか」
ライナスはベオルクをちらりと見やった。
それを「話しても構わぬ」という意に
取ったベオルクは後を引き継ぎ、
「特務だ。ノイアーと出ている。
今は『枯れ谷』を越えた辺りか」
と碁盤と供物のさらに脇の卓上に
置かれた大振りな地図を指差した。
それは城砦兵士らに支給される、平原と
騎士団領そして中央城砦の建つ荒野東域を
主題として製作されたものではなかった。
また宴の折に騎士団幹部に支給され適宜
更新されていく、中央城砦とその近郊を
中心とした戦域図でもなかった。
それは人跡未踏である中央城砦近郊以西。
荒野の奥地の有様を記すべく、左方に
大きな余白が取られた未完の地図だった。