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分相応、分不相応

作者: アバラバラ

 僕にはようやく気づいた事柄が一つある。

 それは僕が長い間探し求めてきたものだ。けれど、同時に見つからないことを願っていたものだ。

 僕は歩いている途中、家までの帰り道に財布でも落としてしまったかのように、心から何か大事なものをこぼれ落としてしまった。わかっていたのは、その落としてしまったという事実のみで、何を落としたのかバッグもとい自らの心の内を覗いたとしても何を落としてしまったのかわからなかった。

 僕は人生をかけてその落としてしまったものを探し求めていたと言っても過言ではない。

 あまりに見つからないために、なぜ落としてしまったのか。一体どこで落としてしまったのか。ということを延々と考えつづけて短い人生の中でひたすら考えつづけた。

 それが見つかったのだ。あるいは、見つかってしまったのだ。

 分相応という言葉がある。

 ざっくりと言えば、その人間に与えられるものはみなその人間にとって相応しいものであるという意味だ。

 もっと詳しく説明しよう。

 人間は人生の中でたくさんのものを与えられる。それはお金であったり、賞賛や悪口のような言葉であったり、幸せのような形のないものであったり、実に様々だ。

 それらはみな個人個人の人間にとって相応しい分量だけ与えられるという考え方だ。つまり、裕福な人間がたくさんのお金を得られるのはその人が人間として素晴らしいからであり、貧しい人間がほんの少しのお金しかもらえないのはその人が人間として劣っているからだと、この論は言っているのである。同時に賞賛および悪口も、幸せもまたそうであると言っているのである。

 この説に反論するのは実に容易い。

 お金を持っていなくても、素晴らしい人間もいる上に、お金を持っていても下劣としか言いようがないような人間もまた存在する。確かにその通りだ。しかし、この論が語っている焦点は人間性の優劣だけではないのだ。

 たとえば努力。

 一流の大学に入り、そこで一生懸命に努力した人間と特に努力もせず、毎日のほほんと暮らしている人間を比べれば誰でもそこに明確な違いがあることがわかるだろう。

 たとえば環境。

 周囲にそれぞれの業界でトップレベルと評される人間とばかり会う人間と、飲んでくれた親父に育児を放り出し遊びに行くような親を持つ人間を比べれば以下略。

 また、純粋な教育という面もある。

 文字を書くことのできる人間と、文字を書けない人間を比べれば以下略。

 つまり、このような人間性だけではない様々な人間としての要素に見合うだけのものをそれぞれ与えられるということを分相応と言っているのだ。

 僕という人間は自分で言うのもなんだが、いわゆる素晴らしい人間ではなかった。むしろ下劣だとか浅ましいという評価が相応しいだろう。そこでふと考える。何事にも理由はある。リーマンショックや最近の中国の台頭などにも理由は必ずあるのだ。

 ならば、僕がそんな自分に辛口の評価をせざるをえなくしてしまった原因および理由は何だ?

 それだった。それこそ僕が諸手からこぼれ落としてしまった「忘れ物」だった。

 心というバッグから僕は何を失い、自らを下劣と評価するようになった?

 それは自信だった。

 かつて太平洋にも等しいほどに持ち合わせていたはずのそれを僕は忘れてしまっていた。それによって長く苦しんだ。

 そして、僕は自信というものを忘れた分に相応しいものを与えられつづけた。つまり、幸せとは言い難い、それなりの不幸に合ってきた。

 一つ言っておきたいのは、分相応とは決して呪いなどではない。最も不幸なことは、分不相応な目に合うことなのだ。

 独立を夢見て、実際に挑戦してたくさんの人間が失敗するのはなぜか? それは分不相応な夢だからだ。

 もし、もしもだ。失敗するはずの人間が成功してしまったらどうなる?

 自分の店あるいは会社を持ち、たくさんのお金を得て、毎日が幸せ? そんなはずはない。分不相応である人間は必ずこう思うのだ。もっとお金が欲しいと。そして無計画に次の挑戦を画策し、そしていずれ失敗する。

 あったはずの自信がなかった自分は辛く、苦しかった。けれど、もしも適当に買った宝くじが大当たりし、一生働かないでも生きていけるようになれば? きっと一時の平安を求めて、嫌なことから僕は逃げていただろう。けれど心の内からは自信というかつてあったはずのものが抜け落ちたまま、僕はきっと不幸なまま、自分は幸福なのだと言い聞かせて死んでいっただろう。


 分相応とは祝福なのだ。

 人間が幸福になるための。

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