『ダンジョンキッド』顛末記
”昔ある北国に「嘆きの城」と呼ばれる吸血鬼の城がありました。夜がふけると魔物たちが旅人や村の娘たちをさらって塔に住む魔王のいけにえにするのです。犠牲者たちの嘆きと恨みに満ちた魔の城に挑んだ者は誰も戻りませんでした。
これを聞いた流浪の王女は人々のために、仲間の闘士と魔術師をつれて魔の城に乗り込んでゆきました”
ファミコンで遊ぶようになって数年たった頃「ダンジョンキッド」というソフトに出会いました。
それまでゲームソフトを買うときはシューティングなどの短時間で遊べるゲームを選ぶようにしていたにもかかわらず。RPGを自作できる、つまり好きなストーリーを持つゲームを作れるという説明文につられて手を出したのが運のツキ。半年以上もこのソフトをひねくりまわしていたばかりか他のファミコンRPGソフトにも次々と手を出して、れっきとしたファミコンRPGオタクになってしまいました。
物語への欲求はよほど大きかったのでしょう。
「ダンジョンキッド」はユーザーが迷路のマップを自由に作り、3D表示されるその迷路の中を3人のプレーヤーキャラクターに探索させ、特定の場所にたどり着いたりある種の敵キャラクターに出会ったときに短い文章メッセージを表示できるソフトです。他にも様々な機能はありますが、ゲーム上のストーリーの流れを司るのはこの機能です。よく話の筋道といいますが、ゲームにおいては文字どおり、物語はスタート地点から迷路の出口めざして進む道筋のままに進行するわけです。
その意味ではRPG作りは物語の箱庭作りのようなものだということを、このソフトに触れていると実感します(そういえば心理学の領域に箱庭療法なるものがあります。それは被験者に砂箱といくつかの人形やオモチャを与え、被験者が形作る箱庭の様子からその心象世界の姿を探る手がかりを得ようとするものであるといいます。ならば僕が作った物語の箱庭にも、見る人が見れば思いがけぬ何かがあるいは見て取れるのかもしれません)
「ダンジョンキッド」では8枚までの迷路を立体的に組みあわせることができるので、僕は前庭のある地下2階、地上4階の城を作りました。ただし迷路のグラフィックは茶色い石壁だけで違いが出せないので、迷路の形や出現する敵の種類の工夫で極力その場の雰囲気を出そうとしました。たとえば前庭は空間を大きくしておいて大蜘蛛や巨大ヒルなどの虫類や妖怪樹を配し、地下2階の地下墓地は小部屋の扉が並ぶ同心円状の回廊を作って骸骨やゾンビ、死神の巣窟にするというふうに。ちなみに地上1階と前庭は同じマップにするとモンスターの種類も同じになってしまうので、城の出入り口をワープポイントとして2枚のマップを並べることで、1階にはオークやコボルトなどの亜人やゴーレムなどが出現できるようにしました。
「嘆きの城」と名付けたシナリオでは女剣士、闘士、魔術士からなる3人パーティーで化け物だらけの前庭を渡って城内に乗り込むのですが、入り口のそばの2階への扉には鍵がかかっており、その鍵は地下墓地の回廊の中心部に潜む地霊を倒さなければ入手できません。そして地下墓地への階段は1階の奥に設けました。つまりシナリオ前半では下にしか進めず後半になって初めて上に進めるようにしておいて、登れるようになれば逆に1階や地下に行かなくてもすむように設計したのです。
そして2階に進んだとき、そこには吸血鬼と化した犠牲者たちが群れていて、口々に渇きの苦しみを訴えながら襲ってくるようにしました。このソフトは戦闘システムやかなり高い遭遇率自体を変更することはできず、ゲーム全体を通すとどうしても戦闘が単純作業めいてくるので、せめて敵にある種の感情や人格を持たせることで変化と(あわよくば)戦闘そのものの意味づけの深化をはかりたかったのです。ただし前触れとして、1階各所に配置されたオークの頭は王のいけにえにしてやるといいますが、それ以外のザコキャラには前半では一切しゃべらせませんでした。
後半戦も敵の顔ぶれはフロアごとに変えました。2階は村娘や侍女などで攻撃も魔法主体。3階は武力戦を主とする兵士や騎士に名剣や鎧を守る龍。そしておとりである呪いの剣と鎧。そして塔にたどりつくと王妃と王との戦いになります。王妃は最強の呪文を唱える上にこちらの呪文を受け付けず、王はとてつもない攻撃力を持っている難敵ですが、彼らを倒して屋上に出ると無数の声が天に昇るのが聞こえたというメッセージが流れて終了というわけです。
このシナリオでは王も含めた全ての吸血鬼たちがかつて人間であったことがセリフからうかがえるだけで、なぜ吸血鬼になってしまったかは一切語られません。「ダンジョンキッド」の機能の制約を考えるとあえて過去のできごとの説明を入れるよりも、今ここにこんなものたちがいるという雰囲気作りに徹したほうがいいように思ったからです。とはいえなにしろファミコンソフト。グラフィックやキャラデザインはお世辞にも迫力あるとはいえませんし、迷宮内の音楽が2種類しかないなど物足りないところも多々ありましたが、それでもこれは絶対よそでは手に入らない、明らかにここにしかない自分だけのゲームでした。
(それに自由度が低いゆえに強いられた工夫や苦労もかえって思い入れにつながったようです。たとえば2種しかない迷宮内の音楽はフロアごとに固定されていて、偶数フロアでは力強く男性的な曲調、奇数フロアでは優美かつ哀切な曲調でしたが、この奇数フロアの曲を後半にとっておくために地下1階は地下2階の鍵を入れた宝箱だけがある躍り場にすることでわざと単なる通過点になるようにしたのでした)
夢に形を与える喜びは意外に深いところに根差したものなのかもしれません。このソフトですっかり箱庭作りに取り憑かれてしまった僕はRPG自作ツールがあるという理由でパソコン(ただし予算が5万円どまりではNECなんか手も出せるはずがなく、時代遅れのMSXになってしまいましたが)に手を出してしまい「Dante」というフィールドタイプRPG自作ソフトを試しているところです。いつかまた、このソフトを使った物語を作ることにもなるのでしょう。
けれどそんな経験ゆえにソフトの機能を超えたところで自分にとっての理想のゲームのアイデアもふくらんだりするのです。次の章では今の僕にとっての夢のRPGについても書いてみたいと思います。
同人誌への執筆は92年末でしたが、ゲーム向きのシナリオとお話としてのシナリオは同時進行させていました。ゲームにはゲームに向いたシナリオ、お話にはお話に向いたシナリオであるべきだという意識が強かったからで、状況設定を似せておくことで互いの特性の違いを確認しながら作業を進めていたのでした。それはゲームにできないことはお話で、お話にできないことはゲームで表現しようと自分なりに考えた結果でした。