触手勇者は逃亡中
第一回書き出し祭りに参加しようとしたけど、気付いた時には参加締め切ってたので、お蔵入り。
……って言うのも勿体ないので、ここに掲載。
きっかり4000文字です!
気がつくと、八島宅は荘厳な建物の中にいた。
天井は恐ろしく高く、全体的に白金色、そして二十人ほどのフードを目深に被ったローブ姿の集団が俺を取り囲んでいる。
いや、唯一、正面に立つ金髪の少女は顔をさらしている。
西洋人形のように可愛らしい顔だが、小さな唇が呆気にとられたように開いて、妙に愛嬌がある。
高級そうなドレスに、頭にはティアラ。
まるでお姫様だ。
そして彼女は呆けたような表情から一点、険しい顔で宅を指差した。
「こ、殺しなさい! 失敗です! 勇者召喚は失敗しました!」
「姫様はお下がりください! この悪魔め、成敗してくれる! 皆、やるぞ!」
「おおっ!!」
いきなりすぎて、宅は訳が分からない。
そもそも人の顔を見て、悪魔とかあんまりすぎるだろう。
人並み程度の容姿は……って、ツルツルの床に宅の今の姿が映っていた。
一言でいえば、タコ。
茹でる前の、肌色のあれだ。
ソッと手を見ると、吸盤の揃った足である。
宅は「あ、なるほど」と納得した。
西洋だと普通に悪魔扱いだったらしいしねー……って、それどころではない。
ここまで思考、大体コンマ一秒ぐらい。
ローブの連中が何やら唱え、そうこうしている間にも室温が高まっていく。
彼らの手には火の玉が生じ、それをぶつける対象は現実逃避してもしょうがない。
話し合いの余地は、一切なさそうだ。
しかし、黙ってやられる訳にもいかない。
ぶっ! と大量の墨を吐き出す。
己の姿を認めた瞬間、宅は自分に何ができるか、ある程度把握できた。
墨、吸盤、粘液、そういったタコの性質を、今の宅は使うことができる。
さながら煙幕のように、黒い墨が広がり、ローブの連中は後ずさった。
「ぐっ、毒かもしれん! 皆息を止めろ!!」
宅は足の一本をピンと立て、残り七本の足での旋風脚を放った。
「ぐあっ!?」「ぎゃっ!」「うぐっ!?」
黒い煙幕の中に宅は触手を伸ばしていく。
全部で七人のローブの下に、触手を這わせることに成功し、ひっくり返そうとした所で何やら複数の意識が宅の中に流れ込んできた。
それはこの世界の情報や、触手の触れている相手の個人情報、また使える魔術なども含まれていた。
その中に、雷撃魔術があったので、使ってみた。
「あばばばば」「が……ぐが……!」「しびびびれれ……!」
いや、そもそも触手を絡ませなくても、粘液が電気を広げるんじゃないか?
そう考え、宅は大量の粘液を触手から分泌させ、部屋にばらまいた。
そして、もう一度雷撃――黒い靄の中で、青白いスパークと声にならない悲鳴が幾つも響き渡った。
……煙幕が晴れる頃には、ローブ姿の連中は全員、倒れ伏していた。
残っているのは、姫様と呼ばれた少女だけだ。
「絶対に許しません……こんな事態になってしまったのも、すべて私達王族の力不足。この命に代えてでも、あなたを成敗します!!」
「いや、成敗って言っても……あ、あー、よし声が出た」
「あなた、言葉が……」
「そりゃ喋れるよ。人間なんだから」
「人間……? その姿で……?」
「こんな姿になった原因は多分アンタ達だ。召喚? その時に、俺がたまたま持っていたタコがおそらく融合したんだ。勝手に召喚しておいて勝手に殺すとはずいぶんと勝手な連中だな」
それまで険しかった姫の表情が、急に気弱なモノに変わった。
「ま、待ってください。そういうことなら謝ります。ですから、どうかお話を……」
「問答無用で攻撃してくる連中を、信用できる訳ないだろ。逆の立場で降参したら許すか、君は?」
「そ、それは……」
宅は後ろから気配を感じ、とっさに今覚えたばかりの魔術障壁を展開した。
金色の魔力の盾に、火の玉が直撃した……が、もちろん宅は無傷だ。
「……これだよ」
どうやらローブの連中は全員気絶したと思っていたが、一人だけまだ起きていた者がいたらしい。
振り返りもせず、触手を伸ばして首筋に当て身を食らわせた。
そして、姫は慌てていた。
それはそうだろう。
話を、と言いながら後ろからの不意打ちである。
当たり前だが、宅は怒っていた。
「ち、違います! 今のは命令を止めなかったからで……」
「つまり、事故だから許せと。無理だ。……そもそも話を聞く義理もない」
「わ、私を殺せば、元の世界に戻る方法が分からなくなりますよ!」
その言葉で、部屋に静寂が満ちた。
「……ここにきて、そういう取引を出してくるか」
「決してあなたを悪いようには扱いません。ですから、どうか落ち着いて……」
「多分、アンタのいう事を聞いた方が賢明なんだろう」
少しずつ、宅の肌が朱に染まっていく。
その触手が徐々に膨張していく。
「だが、俺はそういう取引は大嫌いだ」
八本の触手から枝分かれするようにさらに細い触手が生え、それより細い触手が大量に……宅の頭は、高い天井に届きそうなほど、大きくなっていた。
「ひっ!?」
何が起こるのか、察したのだろう。
姫は小さな悲鳴を漏らした。
身を翻して、部屋から逃げようとする姫、その後ろから触手が殺到する。
「や、やだ来ないで……いやあああぁぁぁーーー!!」
ズルズルグチャヌルヌチャズチュンジュポジュギュルギュルルル……。
粘液質な音を立てながら、大量の触手が姫を絡め取り、そのまま雪崩のように扉に突進する。
扉をぶち破り、おそらく見張りなのだろう槍を構えた衛兵らしき二人も巻き込み、さらに赤黒い触手は止まらない。
どうやらここは、王宮らしき建物の地下だったようで、伸びた触手は階段を駆け上がり、小綺麗な廊下に出た。きらびやかな礼服や軍服の男達も、ドレスを着た淑女達も、メイド服を着た女中達も巻き込み、触手はどこまでも広がっていく。
王城は粘液にまみれ、窓という窓から触手の先端が顔を出した。
もちろん王も王妃も王子も大臣も大将軍も騎士もコックも庭師も門番も分け隔てなく、触手に取り込まれた。
ヌチュングチュジュルル……。
触手はさらに王城の外、すなわち城下町にも浸食を始め、大人も子どもも老人も男も女も平民も商人も旅芸人も鍛冶師も冒険者ギルド職員も戦士も魔術師も花売りの町娘も犬も猫も魚も娼婦も憲兵も、触手の海から逃れることはかなわなかった。
空を飛べる鳩や烏、それに屋根の上に盗賊や弓士が逃れたが、触手の中から現れた瞳が輝くと、身体を麻痺させて、触手の中に飲み込まれた。邪眼である。
そうして一昼夜が過ぎ……触手は消え、後には粘液に濡れた王都と、やはり粘液にまみれたまま法悦の表情を浮かべた人々が残されたのだった……。
数日後。
王都から離れた港町の酒場で、つば付き帽子を目深に被り、コート姿の男が一心不乱に食事を掻き込んでいた。
シチューもパンも水もパスタもステーキもムニエルもグラタンもピラフも、すさまじい勢いで彼の口の中に消えていく。
「ははっ、そんなに腹が減ってたのかい」
赤銅色の肌を持つ、筋肉質な酒場のマスターが大きく笑う。
先に金は充分にもらっているので、マスターも出し惜しみなしだ。
「調理された料理なんて、すごく久しぶりで……いや、もちろん旨いんだけど……おかわり!」
「へいへい」
「ところでマスター。魔術を学ぶなら、どの辺がいいかな」
「だったら魔術都市だな。聖都もありだが、海を越えなきゃならねえ」
「あ、そこは問題ない。ありがとう」
「そうかい。ほら、おかわりだ」
マスターは、ニンニクの匂いが香ばしい大きなロブスターを、彼の前にデンと置いた。
「うっは、いただきます!」
コートの彼は、手を合わせて言い、食事を再開した。
「その、いただきますってのは、何だい?」
「ウチの母国の神様へのお祈りだよ。太陽神かな。ロブスターを釣ってくれた漁師さんや、飯を作ってくれたマスターへの感謝の意味もある」
「ほほう、興味深いね。神といえば、王都に何か神様が降臨したって話だが、知ってるかい?」
「……いや? 初耳だな」
「海向こうで魔王が復活したとかで、この国は勇者召喚の儀式を執り行ったらしいんだ。だが何の手違いだか、異界の神が召喚されて大パニックが発生したんだと。すげえウネウネした触手が大量に現れて、城から街から全部汚していったって話だ」
「ほー」
ロブスターをへし折り、コートの彼は湯気の立つむき身を頬張った。
「でまあ、当然王族に対して非難囂々だったんだけど、面白いのは一方では、逆に崇められ始めたってトコだ。触手が分泌した粘液で、街中の汚れが浄化され、視力が回復した、肌が若返った、ギックリ腰が治った、火傷の跡が消えた、とかの報告が次から次へと。はた迷惑ではあるけれど、聖なる存在? 新しい宗教ができそうなんだと。ただ、神様の名前は不明らしいけど」
「タク……いや、タック、でいいかな。イントネーション的には」
「何?」
「その神様の名前。神話も少し囓ってるんだよ。広めといてくれないか」
「タック神ね。分かった、それとなく話の種にさせてもらうよ」
「よろしく」
「それで、その神様、何の神様なんだい?」
「そりゃあ……混沌の神様だよ」
八島宅が召喚される直前の話。
いつも捧げモノをしている海辺の小さな祠が光っているのに気付いた宅は、その祠を覗き込み、その直後、宅はこの世界に召喚された。
どうやら宅と融合したのは、捧げモノのタコだけではなく、祠の神様も一緒だったらしい……。
かくして、名もなき神そしてタコと融合した宅は、この世界を適当に放浪することになったのだった。