君と友達になりたいんだ
「あのババアに教えられて魔法を扱えるようになった者はいません」
永遠に第二回の来ないばぁばの魔法講座の後に言われた爺の言葉を思い出すたびに、「じゃあ、やらせんなよ」という気持ちが沸き上がる。
本当にあの髭は基本的に塩対応のくせに時々、ばぁばにやたら甘くなるから困るのだ。
それはともかく、私は八歳になっていた。
暦は地球と変わらず十二の月と、三百六十五日。
ただ調整するうるう日は一月の末日になる、という微妙な差がある。
誕生日を祝う習慣はなく、数え年だったりと色々と細かい差はあるが、慣れてしまえばどういう事もなかった。
慣れてしまえば、と言えばだが、
「若、右手二時の方角の野生馬の群れは何頭ですかな」
「……三十二頭!」
私と爺の早朝の走り込みが始まっていた。
「三十八頭です。何度も言っていますが、物見に必要なのは正確さと速度です。若は速度はいいですが、少なく見積もる癖がありますな」
「ぬう……」
自分の足を動かしつつ、気持ち良さげに川向こうを走り回っている馬群を、一呼吸の内に数えるのは普通に難しい。
せめて、一定の間隔で走っていてくれるならともかく、ふらふら蛇行している馬もいれば、並んで走っている馬にちょっかい出している馬もいる。
改めてゆっくり数えてみれば、確かに三十八頭で、
「ぐえっ!?」
よそ見しながら走っていた私は、まんまと躓いてしまうのだった。
顔面から地面に突っ込んだ私に、爺は手を貸してくれるような事は一度もない。
ただ軽く足を動かしながら、待っていてくれている。
「おや、若。お疲れですかな?」
「い、いいや、まさか。まだまだこれからに決まっているだろう?」
本当は今すぐ帰って、ばぁばのご飯を食べて、ベッドに潜り込んでしまいたいくらいに膝がガクガクだ。
その上、走っている最中は馬群を数えるだけでなく、色々な話を続けてくる。
それこそ突然、単純計算をさせられたり、昨日やった所の復習だったり、本当になんという事もない雑談だったり。
だが、走っている最中に話す、つまり息を吐き続けなければならないのは、本当にしんどい。
「結構。では、そろそろ立ち上がってください」
そう言って私に背を向ける爺の足取りは、軽やかだ。
彼にとって、ここまでのアップダウンの激しい丘陵は彼にとって軽いランニングでしかないのだろう。
まだ明けきらぬ黎明から、朝の陽ざしで温かくなってくる時間まで、私の講師である爺は毎日走りながら延々と話し続ける。
そろそろ六十歳になったかならないか、という歳のはずなのに、なんという体力なのだろうか。
積み重ねてきた物が違う、と一言で言うのは容易いが、それを維持し続けている克己心は尊敬に値する。
しかし。しかし、だ。
「おや、どうしました?もう限界なら背負って行って差し上げましょうか?」
「くっ……いいや、結構だ!」
生まれたての小鹿のように必死に立ち上がろうとする私を見る爺の表情は、何とも小憎らしいツラをしている。
もし許されるなら、ぶん殴ってやりたいと思う私を誰が責められるだろうか。
立ち上がるのもやっとな私に、こうしてやる気を出させる手腕は本当に嫌になるくらい優秀な教師かもしれないが、それはともかくマジぶん殴ってやりたいんですけど。
この辺りも爺の甘さなのだろうか。
私がどれだけくたくたになろうとも、飯の時間ギリギリにはいつも戻れるようにしてくる。
しかも、食堂が空き始めた頃を狙い、ちょっと手が空いたばぁばと一言二言だけ交わすと、
「どれだけ疲れていても、食事だけは抜かないように」
「へーい」
テーブルに突っ伏した私を置いて、さっさと出て行ってしまった。
「なんじゃ、ギルはもう行ったのか」
「いつもの通りにね」
本格的に手が空いて、私の所にとことことやってくるばぁばからは今日も可愛い。
可愛いが、結構な距離を走ってきた私はもう本格的にグロッキーだ。
飯とか入らない。毎日、吐きそうになりながら食べているが、もう少し休ませて欲しい。
ドワイトの飯はとにかく量が多いのだ。
朝から山盛りのチャーハンに、山盛りのサラダくらいはぽんと出てくる。
そういえば、ふと気づいたが、田んぼや畑をこの辺りで見た事がない。
牛や豚を放牧しているのは見た事があるが、穀物はどこで作っているのだろう。
結構、大きな川もあるし、まったく作っていないという事はないはずなんだが。
まぁいい、あとで爺に聞こう。
ばぁばは結構、とんちきな事を言い出すから、あまり質問はする気になれない。
「今、失礼な事を考えんかったか?」
「ははは、まさか。私がばぁばにおかしな事を考えるはずないじゃないか」
「最近、妙な所がギルに似てきたのう……まぁいいわい。一昨日まで下働きをしていてくれたアンヌおるじゃろ?その後任を紹介しておきたくてな」
寿退社、と言うのかはわからないが、アンヌさんは私が生まれた時から厨房で下働きをしていた人だ。
十四歳で結婚したらしいが、厨房の奥で仕事をしていたアンヌさんとはあまり話す機会がなかった。
派手さはないが、いかにも純朴そうな銀毛のお姉さんで、もう少し話してみたかった、という気はある。
すっかり忘れていたが、ハーレム生活を目指す身としては抑えておきたいキャラクターをしていた。
ハーレムどころか、私の交友関係は食堂で一緒に飯を食う男ばかりが増えていくんですけどね。
「しかし、ジャックよ。おなごと話すのだから、もう少ししゃきっとせんか。髪が乱れておるぞ」
「いいよ、ばぁば。自分でやるから」
「かーっ!昔はあんなにばぁばばぁばと言っていたのに、もうばぁば離れか!寂しいのう寂しいのう!」
「待って、まったく離す気ないよね!?」
口では色々と言いながら跳ね除けようとした私の手を、ばぁばは的確に更に払いのけてくる。
それどころか、力一杯押しのけようとしても、まったくびくともしないんですけど。
背丈では見下ろせるくらいの小さな身体なのに、どこにこんな力が!
「ほれ、これでハンサムになったぞう。アンリ、ちょっと来ておくれ!」
「はーい!」
厨房から近付いてくるぱたぱたという足音は、ばぁばよりも更に軽い。
というか、
「幼女だ……」
「そりゃ六歳じゃからのう。アンリ、挨拶は出来るな。こやつが……その、多分次期当主のジャックじゃ」
どうして爺もばぁばも断言してくれないんですかね、そこ。
いやまぁ未だに父親とは一言も話した事がないし、わからんでもないけど。
「は、はい……今日からちゅうぼうでおせわになるアンリです。よ、よろしくお願いします」
「よーしよーし、よく挨拶出来たのう!アンリはいい子じゃ!」
「え、えへへ」
硬さは残るものの、ばぁばに撫でられて笑顔を浮かべるアンリは可愛らしい幼女だった。
手足は伸びきってはいないが、ふんわりとしたスカートを身に着けたアンリはそれこそ十年後が楽しみになる逸材だ。
少し暗めの赤毛をばぁばと同じようにポニーテールで結んでいて、二人が並んでいると髪色が違う姉妹にすら見えてくる。
「よろしくね、アンリ。私はジャン・ジャック・ドワイト。そ、その……多分、次の当主……になれるんだろうか」
私も自己紹介する時、断言しにくくてしょうがない。
「はい、よろしくお願いします、多分次のお館様!」
「多分次のお館様はやめてくれ……ジャックでいいよ」
「はい、わかりました、ジャック様!」
「様もいいから。ただのジャックでいいよ」
「おやおや、いっちょ前に女を口説き出すとは。やるじゃないか、ジャック」
「失礼な」
ただ少し唾を付けておきたい、という前向きな気持ちなだけで。
「どうだろう、アンヌ。私と友達になってくれないかな?」
さすがに唾をつけておきたい、というのは冗談にしても、私はふと気づいたんだ。
私には、友達がいない。
周りは大人ばかりだし、社交界なんてお目にかかった事もないわけで。
このままではぼっちのまま、大人になってしまう。
それはあまりにも寂しい話だ。さすがに勘弁願いたい未来予想図である。
ばぁばも爺も平民がどうこう言わないし、歳の近いアンリと友達になっておくのも悪くないだろう。
そういう打算を抜きにしても、一応……多分、きっと偉いはずの私と仲良くしている、という意識があれば、彼女もかなり働きやすくなるはずだ。
その辺りはばぁばが上手くやってくれると信じているが、私だって少しくらい役には立てるだろう。
私の言葉にアンヌは満面の笑みを浮かべると、
「はい、いやです!」
!?