トマトもある
炎が踊る。
それはまるで情熱的なダンサーのように、激しさの中に垣間見える冷静さがきらりと光る。
米が、踊っていた。
「へい、チャーハン大盛りお待ちぃ!たっぷり食うんじゃぞ!」
さて、今の私の現状であるが、赤ん坊という承認欲求を全力で満たしてくれる人類の黄金時代である。
ただ歩くだけでも、
「あんよが上手!あんよが上手!」
ロリババアのエルフであるばぁばが、満面の笑みを浮かべて手拍子して喜んでくれる。
大人になった事のある身では、どれだけ仕事を頑張った所で純粋に褒められるという事はなかなか無い。
確かに業績をよくした、という事に対して褒められたとしても、生きているだけで全力で褒められるという経験は大人になってから出来る物ではないのだ。
そんな堕落した今の私は、ばぁばの背でうつらうつらとしていた。
踊るように動き回るばぁばの背は、一肌の温かさと食べ物の焼けるいい匂いでやたら落ち着いてしまう。
ばぁばのいる厨房の外は、と言えば何やら筋肉と筋肉と筋肉で武装した若者達が勢いよく飯をかきこんでいる。
何十人もぎっしりと詰まっている食堂の中は、本当に筋肉と筋肉しかいないむさ苦しい空間だ。
「ふっ」
「!?」
思わず目が合った若者に、大人気なく勝ち誇ってしまった。
美人(というには少しばかり幼さが残るが、美形というのは否定出来るはずはない)のばぁばにおぶわれ、ごろごろしているだけの私に勝てる人類がこの世界にいるだろうか?
なにせ仕事をしていないのに全力で、心の底から褒めてもらえるのだ。
王様だって、今の私には勝てはしない。
赤ん坊とは無敵である。
まぁそろそろ三歳の誕生日も近いし、こうしておぶわれる事も少なくなってくるのだろうが。
大人になるって悲しい事である。
大人で思い出したが、この世界が何の作品だかわかった。
次元の狭間に飲み込まれ、現実世界から剣と魔法の異世界へと流れ落ちたソウジ・クラウドはひょんな事から公爵家に拾われ、息子として扱われる。悪政蔓延る中世世界を改革するため、頼りになる仲間達と内政チートでこの世界を変える!
……というような、よくあるファンタジー戦記の一つでタイトルは……タイトルが三十文字超えてるやつはダメだな、きちんと覚えていない。タイトルが三十文字超えてるやつはダメだな。ほんとダメだわ。
チャーハンもあればジャガイモもあるし、本格的なハイファンタジー好きには噴飯物の作品だ。勿論、女物のパンツも存在している。
自分がその中にいる、と思えばチャーハンもジャガイモも大好物の身としては文句一つない。
しかし、何故思い出せたかと言えば、私の名前だ。
ジャン・ジャック・ドワイト。
妙に語呂がいい名前であり、作中最大の強敵である。
内政チートで銃を配備したソウジ軍の前に現れ、腐敗したフィリウム王国を守り続け、一貫してソウジの敵として立ちふさがり続けてきた。
炎の魔法を得意とし、まさに一騎当千という活躍をするのだが、ドワイト軍は五千。
それに対して最終的にソウジ軍は、何十万と膨れ上がるはずである。
全員が銃を装備し、大砲を装備した前近代の軍に、剣と魔法の騎兵隊五千で私にどうにかしろと言われても本当に困るわ。
それよりもソウジの仲間になって、さっさと降伏してしまった方が人死も少ないだろう。
最終的に民主化やら奴隷解放してあれこれする中、貴族の位も返上してしまえば私の人生は尊敬と富貴の中で終われるはずだ。
手放す物か、このぐうたら生活を!
そんなダメな強い誓いが私の心の中を満たしていた。
誰だって楽に、満たされて生き残れるなら、そうしたいに決まっている。ハーレムだって作りたい。石油王になりたい。
当主になるために多少の努力は必要かもしれないが、大人の頭脳を持った私が子供のうちから努力をすれば何とかなるはずだ。
戦争なんて物はやった事もないし、やりたいと思った事はないが、それならそれで逃げ出してしまえばいい。
最低でもここまでお世話になったばぁばをドワイト家から連れ出せるくらいの力があれば、それで十分だ。
楽しそうに飯を食らう若者達が死ぬかもしれない、と思えば多少は辛いが、彼らだって選んだ末にドワイト家に来ているのだから自己責任でしかない。
私の助けたい、という線の内に入っているのは、ばぁばだけだ。
それ以外は好きに生きて、好きに死ねばいい。
私は誰の人生にも責任なんて持ちたくなんてない。
原作主人公達と戦えば、彼ら全てが死ぬのだ。
死なない道があるのなら、そっちを選ぶのは当然の話だろう。
「おい」
「注文は……って、げえっ!」
などとだらだらと考えていると、ばぁばが聞いた事のない、まるで雑巾を引き裂いたような汚い声を上げていた。
いやまぁ私しかいない所では下着だけでごろごろしていたりと、だらしない所が結構あるし、別に理想の女の人という感じではないのだが。
「なんだ、こっちは飯食いに来たんだぞ」
「何でお前が訓練施設の食堂に来とるんじゃい、ギル」
厨房と食堂に続くカウンターから顔を出したのは、白い物が混ざった髭の男だった。
カウンターの上に乗せた腕は太く、傷だらけで如何にも歴戦という様子だ。
皺に埋もれそうな青い目は、ただばぁばを見つめている。
何見てんだ、このおっさん。
「そりゃ飯食いに来たんだろ、そろそろボケたのか」
「残念ながらあと千年はボケんわ。今日はチャーハンじゃぞ」
「おお、そりゃいい。大盛りで頼む」
「ちょっと待っとれ。訓練しないお前は最後じゃ、ギル」
そう言うとばぁばは、溜まっていた注文をさくさくと片付けていく。
厚手のフライパンが振られるたびに米が宙を舞い、若者達の満腹中枢を刺激する炒められたにんにくの香り。トドメとばかりに投入されたたっぷりの厚切りベーコン、軽くささっと振られた塩コショウ。
サラダとスープを手伝いの少女が盛り付けていくが、それと同じくらいの速度でチャーハンが作られていく。
カウンターの周りでは若い兵士見習い達がギルと呼ばれたおっさんを遠巻きにしながらも、腹を空かせた犬のような表情で自分の注文を待っていた。
彼らの表情に書いてあるのは、みんな同じだ。つまりは「これ、絶対に美味いよ」という強い期待感だった。
「はい、チャーハン大盛りお待ちぃ!」
そんな生き生きと働くばぁばを見ながら、ギルと呼ばれた男はむすっと口を一文字に結びながらも、どこか楽し気だった。