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花は散る

 赤ん坊から見る世界は、ひたすらに美しかった。

 世界ははっとするほどに鮮やかで、見る物全てが奇妙なまでに新鮮だ。

 空っぽの脳みそに一気に流れ込む景色は、それこそ映画の中世のヨーロッパと言った様子だろうか。

 石作りの壁に薪の暖炉、そして何かお高そうな天蓋付きベッドとか初めて見た。ちょっとビビる。

 しかし、赤子の身体というのは、ひどく脆い。

 頭蓋骨が変形させてまで狭い産道を無理無理出てくるため、固まるまで頭を触ればひどく柔らかいのである。

 脳だってまだ発達し切っておらず、情報を取り込むだけ取り込んだ後は、ブレーカーが落ちたかのように意識が飛んでしまう。

 フランス映画のように目に映る世界は美しく、それでいてぽんぽんと落ちる意識のせいで場面の脈絡がわからない。

 そのせいか、意識が戻るたびに驚いて、身体は反射的に泣き声を上げる。

 柔らかい筍のような骨は重い頭を支えきれず、誰かに抱き上げられるたびにふらつく自分の身体に恐ろしさすら感じた。

 だが、私を抱き上げる手は、ひどく優しい。

 一人は幼い少女だ。

 カモシカのような足、とは言うが、カモシカのような腕とも言うのだろうか。

 ほっそりとした手足に、肉付きの薄い肢体をしていた。

 短く切り詰めた金髪をさらりとまとめ、粗い麻の服を着た少女には不思議とみすぼらしさは感じられず、また私を扱う手付きはひどく手馴れている。

 極上の抱かれ心地である……うむ、よいぞ。よいぞ。

 どうしてこんなにも手慣れているのか、という疑問はあっさりと解決した。

 耳だ。

 手慣れたファンタジー読みなら、耳の話に触れた瞬間に理解しそうだが、少女は笹穂のような耳をしていた。

 エルフという事は、恐らく見た目を裏切るほどに年を重ねているに違いない。

 この世界は小説の中だと神様は言っていた。

 今にして思えばどうしてあの時、あんなにダウナーだったのかはわからないが、あんなにもはっきりとした異常な事態はなかなか忘れられそうにない。

 そして、剣と魔法のファンタジーのお約束と言えば、エルフである。

 濃いアイオライトの輝きを宿した大きな瞳は、くすぐったくなるような喜びを宿していた。

 もう一人は……もう一人も少女だった。

 今度は(この世界ではエルフという種はどういう扱いになってるのか知らないが)人間の少女だ。

 見るからに上等な絹の寝間着でおっかなびっくり私を抱く手付きは少しばかり……大いに不満が残る。

 しかし、いかにも痩せ衰えた手指を背に感じでいると、出来たら早めに横になってくれ、と思ってしまう。

 そんな細い手指に籠められた力は、強い。

 一日の内、ほんの僅かの時間の間、ぎゅっと私を抱き締める彼女の力は強かった。


「■■■■、■■■■……」


 私の耳はまだろくすっぽ音を掴めず、彼女の言葉は何一つ理解出来ない。

 誰かがいれば優しげな微笑を浮かべ、ころころと笑う姿は自分の母で無ければ恋に落ちてしまいそうなくらいに可憐な少女だ。

 頬にかかる赤毛、散りゆく花びらのような唇、こけた頬。

 彼女は泣いていた。

 部屋に誰もいなくなると私を力一杯、壊れ物を扱うように優しく抱き締めながら。

 窓の外に見える中庭に広がっていた花畑に、いつしか雪が積もりだしていた。

 その頃になると、母は私よりも眠る時間が増えていた。

 

「■めん■、ジ■ッ■……」


 少し腹が空けば泣き喚き、少しおむつを汚せば泣き喚く身体を、私という意思は抑えられず、その度に母は私に言葉をかける、弱々しく。

 母は、死に向かおうとしていた。

 

「ごめんね、ジャック……」


 私の指を掴む母の力は一日、また一日と少しずつ弱々しくなっていくのがわかった。

 エルフの少女はひび割れた笑顔を浮かべ、眠る母の側にいつも侍るようになり、母は一日の内いくらかも目を覚まさなくなった。

 ひどく、静かな部屋になった。


「ごめんね、ジャック……」


 ただそれだけが、私にかけられる言葉だ。

 母が起きると、エルフの少女は見るからに無理をしているとわかる笑顔を浮かべ、額に汗して何やら母に手を当てていた。

 母が再び眠りにつくと、エルフの少女はぐったりと座り込んでしまう。

 私だけが、何も出来ないでいた。

 手足はそれなりに動くようになったとはいえ、私の口から吐き出される言葉はただの音でしかなく、そんな意味のない音で母は弱々しく微笑む。

 だが、きちんと言葉を話せた所で、私には何も出来なかっただろう。

 死に向かおうとする母に、私はなんと言葉をかければいいのか。

 手垢の付いた当たり障りのない言葉なら、それこそ百でも千でも言えるだろう。

 だが、そんな言葉で母は救われるはずがない。

 何が原因なのか、子を残して逝く母の無念か。

 それとも、


「やあ、今戻ったよ、リリィ!まだ見ぬ我が息子ジャック!」


 これまで一度も姿を見せなかった父が原因なのか。

 ドタドタと騒がしい足音を立て、満面の笑みで扉を開けた男を、私は好きになれそうにないと感じた。

 目の前が見えなくなるくらいに薔薇の花束を抱えた男の声は、どこまでも弾んでいる。


「遅くなってすまなかったね、リリィ!少しばかりてこずってしまったよ。ああ、怒っているのかい?本当にすまなかった、だから君の声を聞かせてくれないか、僕の白百合よ!」


「……ジョセフ」


 やかましい男に、エルフの少女が悲しげに声をかけた。


「ただいま、ばぁば。今日も君は……うん、リリィにはいくらでも浮かぶけど、君への言葉を特に浮かばないな」


「……ジョセフ」


 その声に、どれだけの想いが籠っているのか。

 この男は、きっと何一つ理解していないのだ。


「どうしたんだい、そんな悲しげな顔をして。ああ、そうだ。やっぱり帰ってきたら、ばぁばのシチューを食べなきゃ帰ってきた気がしないね。近い内に頼むよ」


 両腕一杯に花束を抱いた父に、どこまでも軽薄な男に私は怒りを覚えた。

 能天気にペラペラと話す言葉は、腹立たしいほどに軽い。


「すまなかった、ジョセフ……」


「何を謝ってるんだい?ああ、ひょっとしてシチューを作ってくれていたけど失敗でもしたのかな?いや、僕だってもう子供じゃないんだから、そんな事くらいでは怒ったりはしないさ」


「なあ、ジョセフ……リリィは頑張ったんだ」


「……やめてくれよ、ばぁば。こういうサプライズは、ちっとも笑えない」


 いやだいやだと駄々をこねるように、薔薇の花束が左右に揺れる。

 開け放たれた扉からは、数人の使用人達が暗い表情を浮かべ、男を心配そうに見守っていた。


「なあ、リリィ……声を聞かせてくれよ」


 薔薇の花束は動くのを止め、男の声だけが聞こえてくる。

 そんな事を、そんな悲しい声を上げるのなら、


「なあ、頼むよ、リリィ……」


 何故、お前はもっと早く帰ってこれなかったんだ。

 母は、ほんの少し前までお前を待っていたのに。





















「僕は、どうしてもあの子を愛せそうにない」

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