汝は人狼なりや?
ドワイトの山を水源とし、緩やかに流れる川は豊かな水量を誇っている。
その周辺に広がる平野は多少の田畑はあるものの、もっと何とでも出来るだろうと思うほどに大して開墾されておらず、遠くには原生林が広がっていた。
転生した身としては、内政チートの一つや二つを嗜むのがお約束に違いない。
「と、いうわけで三圃式農業という物があるんだ」
「初陣です」
駄目だ。この髭、話を聞く気がない。
とりあえず話をしようとランニングに誘ったら、こんな有り様だ。
爺は多少なりとも私の話を聞くべきではないか。
これは多少の営業トークをしなければならないようだ。
「更に肥料で収穫量倍増!うちの税収もドーン!お金、たくさん!お得!」
「初陣です」
「鐙!」
「あります」
どうでもいい話だが、Web小説と言わず色々と乱読していた身としては三圃式農業のやり方だけではなく、火縄銃の図面くらいなら引ける。
みんなそれくらい当然のように出来るよね?
完成形もないのに、言われただけで平然と銃を作ってこれる超有能技術者よりは、覚えるだけの私の方がよほど難易度は低い。
しかし、現在のアフリカの内戦で自作された火縄銃が使われていたらしいが、異世界転生して火縄銃作るのとアフリカで火縄銃作るのはどっちが可能性高いのだろうか。
……それはともかく、この世界が物理法則が厳密に同じなのだろうか。
いざ火薬を作ったが燃焼反応が起きない、という事も有り得るだろうし、あとできちんと調べておこう。
世間の異世界主人公は、よくもまぁいきなり確信を持ってリソースを突っ込めるものである。
作中では最終的に火縄銃くらいは出ていたような気がするので、その辺りはあまり心配していないが。
「マヨネーズという物が」
「初陣です。三日後出発でいいですな」
「早いわ!?まだ年齢一桁だぞ、私!?」
反射的に叫んだ私の顔を、爺は慌てる事なく見返した。
「そう、早すぎるわけです、世間的に見れば」
誰がどう考えても早いに決まってるわい。
「お気付きでしょうが、町中を歩いている平民達に比べれば、若は大きくなりましたね」
「ん?あ、ああ、そうだな」
爺は一体、何の話をしたいのだろう?
ここ数ヵ月、竜の元まで何十往復もしている中で、私達の背がぐんぐん伸びていたのには気付いていた。
町中の大人達に比べて、頭一つ抜け出したのが一人だけならともかく、私達三人がまとめて大きくなったのは何かしら理由があるはずだ。
爺の厳つい髭面はいつもと変わらず、どこか鈍さのあった瞳がまっすぐとこちらを捕らえている。
爺の瞳は茶色がかっているんだな、とどうでもいい事に気付くほど、その視線はひどくまっすぐだった。
「あのク……かの竜の元へも平然と通えるようになり、筋肉も付きました。あの歩いている民より、自分が強そうだと思った事は?」
「それは」
「ありますな」
一+一は二、とあまりに単純な計算を答える学者のように、爺は私の応えを待たずに断言した。
私としても、それは否定の余地のない事だ。
いや、それは誰だってあるだろう?
『もし、こいつに殴りかかられたらヤバい』
デカイ筋肉質の男を見て、そう思った事のない人間はいないはずだ。
それとは逆にすくすくと伸びる身長と、むくむくと膨れあがっていく筋肉を誰かと比べてみたくならないなんて、それこそ嘘だ。
まぁ竜には勝てないが、割とその辺りの人間には勝てそうな気がする、というのが今の自分の評価である。
「確かに竜との訓練は心が折れるでしょう。だからこそ、この訓練をした連中の一部はそこいらの民に喧嘩をふっかけます。まぁ逃避と慢心ですな。それはある意味、当然の結果です」
そんな連中は更にどうしようもない目に会わせてやりますが、と爺は言う。
更にどうしようもない目とは一体、と疑問に思う余裕もないほど、何故だか私は焦りを感じていた。
「さて、何やら私も知らない知識を持ち、ドワイト家の中だけで育ったはずがある程度は世間一般の価値観を知り、慢心せず、あの竜にも心を折られない」
爺の目には、ひたすらに力がある。
まっすぐに、揺るがない力だ。
私の奥の奥まで、しっかりと見通そうとする視線。
「若は、貴方は一体、何者ですか?」
見られたくない、と反射的に顔を覆った。
冷静な部分は何かある、と全力で叫ぶような態度は不味いと思考するが、生存本能にも似た反射は止められない。
私の中に綺麗な物なんて、あるはずがないのだ。
綺麗な物もなく、大きな大きな真っ黒い物すらあるわけでもない。
人の形をしているだけのがらんどうだ。
それは、ひどくつまらない、ちっぽけな存在だと思われるだろう。
正しい評価をされてしまえば、ドワイトの後継なんて望めるはずもないし、それどころか一兵士としても失格だと思われる。
爺に失望されるのは構わない。だって、それは仕方ない事だ。
だけど、また何の意味もなく終わるのは……どうしようもなく嫌だった。
「ふっ」
と、爺が笑ったような気がした。
それは私の都合のいい妄想かもしれない、と思うような小さな笑いだ。
「と、言ってはみましたが、若が何者だろうと私は興味はありません」
「……ええ」
思わず爺の方を見てみれば、なんとも呆れたような苦笑いを浮かべている。
そこに暗い物も失望もなく、初めて見るような妙に気の抜けた笑みだ。
「私が気にするべきは、若が軍に必要かどうかだけです」
「……つまり、私は必要なのか?」
おそるおそる……情けない事に爺を窺うようにして放ってしまった言葉は、
「いえ、まったく必要ないですな」
真っ向から切り捨てられた。
ひどくない?いくらなんでもひどくない?
「ただ将来的に必要と思える日が来るかもしれません。励みなさい、若」
そう言った爺は、私の頭をぽんと一つ叩くと、そのまますたすたと私を置いて歩いていく。
あっという間に消えたその感触は……どうにもむず痒く、どういうわけか消えていかなかった。




