命のストックはない
書き溜めてたということもないよ。
シラノは美しい物を見た。
空間を切り裂く余韻すら残る竜の斬撃は、上から下に一直線。
ただそれだけの事が、とても美しかった。
(果たしてこれは、斬っていいものか?)
そう思ってしまうほどに、それはとてもとても美しくある。
返す刃は下から上に。真っ正面からぶち当てたものの、美しさの差なのかシラノの剣は力を失ってふにゃふにゃと弾かれて情けない線を描く。
ならば、とばかりに鋭く円を描くが、ドラゴンの対手は一転してぬるりとした遅さを孕んでいた。
なるほど、と剣を振るっていなければ、シラノは膝を打っていたに違いない。
剣とは速ければ速いほどいい物だ、という思い込みを砕くかのように遅さを孕んでいる。
だが、これを触れずに避けるほどには遅くなく、そしてさらりと受けられるほどに鈍くもない。
シラノの腹の高さをぬるりと薙ぐ一撃は、ひどく厄介な物だった。
これでもか、これでもかと手を変え、品を変え、腕を上げたはずのシラノの上を竜は行く。
まともに受ければ体勢が崩れ、飛び退いて大きく避ければ距離が開いてブレスの一撃がやってくるだろう。
炎のブレスを斬れないシラノではないが、さすがに竜の息吹を片手間に捌けるものではない。
(これ以上はとどかない)
それは認めたくはないものの、ここ数ヶ月きっちり教え込まれた現実だ。
シラノは、ドラゴンに勝てない。
勝てなければ、迎えに来てもらえないのに。
届かないなら、シラノに何の価値があるのか。
そんな時である。
「よっしゃ行くぞオラァ!往生せえや、クソトカゲ!」
「行きたくねえぞボケェ!アホンダラァ!」
「……今日こそ一太刀」
聞こえて来たのは三つの声だ。
嫌いな奴、どうでもいい奴、でかくて怖い奴の声だった。
無駄に威勢のいい、どう聞いてもヤケクソとしか思えない声の群れはシラノの視界の外で動く。
まず動いたのは、でかい奴だ。
力一杯ーーシラノからすれば、無駄に力を籠めすぎてブレにブレて威力も速度も死んだーー投げ込まれた丸太である。
当然のようにドラゴンに撃ち落とされるが、それを成した正体は尾だ。
ドラゴンの巨体の割にはほっそりとした、だがキビキビと動く厄介極まりない尻尾が投げ込まれた丸太を三分割。
「……っ!」
単発で見れば無意味だが、僅かにでもドラゴンが意を外せばシラノの活路が見える。
ドラゴンの爪が、シラノの剣の腹に触れた。
本来であれば竜爪に打ち付ければ一瞬で砕け散るはずの安物の剣が、シラノの手の内で柔らかく動く。
例えるなら、その動きは舞い落ちる葉だ。
いくら強く風が吹こうと、落ちる葉は砕けない。
人の受けられる物ではない竜爪を、シラノはぬるりと受け流していた。
「オンドリャア!ッゾオラー!」
次は赤毛のどうでもいい奴だ。
走り込んできたどうでもいい奴は、どうでもいい感じにやられた。
絶命まであと数瞬だが、心の底からどうでもよかったので、シラノの意識はナチュラルに忘れた。
「はええよ、アルトくん!?」
そして、最後に嫌いな奴だ。
刃の付いていない細い鉄の棒を振りかざした彼は、絶望的な表情を浮かべていて、少しばかりシラノは気分がよくなった。
どうでもいい奴を倒した尻尾の先端は、すでに竜の尻に戻っている。
弦を引いた弓のように、狙いを付けた矢のように、力に満ちた竜の尻尾が嫌いな奴の顔面目掛けて放たれ、
「おや」
「ッシャオラー!?生きてる!?」
竜の意外そうな声と、ひたすらにやかましい嫌いな奴の声のせいで、シラノの視線までついつい背後に向いてしまう。
「初めて避けたぞ、オーギュスト!これでリーダー交た」
情けなく雪原に尻餅をついていた嫌いな奴の真上に、尻尾が落ちた。
嫌いな奴がぷちっ、と潰された所で少しにやにやしていたシラノの視界は何やら青い空を見ている。
雲の流れは早く、どうやら明日は吹雪になりそうで、ぐるぐる回る視界の中ではでかい奴もまとめて吹き飛んでいた。
「くそっ……!」
痛みすら感じる暇もなく、シラノは死んだ。
夢を見ている。
それはシラノの村の夢だ。
「……シラノは優しい子なんです」
「なあ、奥さん。優しかろうが、ひどい子だろうが、わかってるだろう?」
小さな、シラノの家だ。
こんなに小さかっただろうか、と夢を見るたびに思ってしまうほどに小さな家だった。
母が、顔を覆って泣いている。
泣かせているのは、母に話しかけている男ではなかった。
「シラノは悪魔の子だ。あんな小さいのに、大人の騎士崩れを殺せちまうなんてどう考えてもおかしいだろう」
「……でも、村長様。シラノは知らなかっただけなんです」
「知らないであんな真似が出来る方が恐ろしいわ。……儂は見とった。大人顔負けどころか、大人より鋭い動きで騎士崩れを斬りおったんじゃ。あんな子が同じ村に住んでるなんて、皆の衆が耐えられん」
とてもとても、小さな村でしかない。
「もし、シラノが癇癪を起こしてみい。儂らだって、ゴブリンの十匹やそこらなら何とかしてみせる。が、あの子が本気で暴れたらどうにも出来ん。……わかってくれるな?」
竜と戦い続け、腕を上げたシラノでなくとも、騎士崩れを斬ったシラノでなくとも、もっともっと小さく幼かったシラノでも。
村はどうしようもなく小さすぎた。
羊の群れに囲まれた狼が怯える事がないように、生れた瞬間からシラノが怖い物は村にはなかったのだ。
最初から、シラノがいられる場所ではなかった。
シラノが遊びで剣を振るおうとも、誰一人止められない。
二人でも三人でも、村の男全員がその身を投げ捨てようとも!
竜が人の村に住めないように、シラノも人の村には住めなかったのだと、夢見るシラノは見せ付けられる。
「あの子は……優しい子なんです」
そう言う母の口から、それ以上の言葉は出てこなかった。
その日、シラノは遠くへと売られる事が決まった。
シラノは夢を見ている。
じくじくと痛み続ける傷口を抉られる夢を。




