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牙ある羊・4

 結局、何が悪かったのだろう。

 ざあざあと降る雨の下、シラノは考えていた。

 雨というやつは、シラノは大嫌いだ。

 雨粒一つ一つが、耳に痛い。

 ざあざあと地面に落ちる雨粒も、止んだ後のぽたぽたと垂れる音もずっと続いて嫌になる。

 そんな大嫌いな雨も気にならないくらい、シラノは考えていた。


「どうして上手く行かないんだろう」


 何が悪かったのか、シラノは齢四歳にして人生について悩んでいる。

 自分がどうやら凄い、というのはわかっていた。

 相手が防ごうとすれば、それを避ければ斬れる。誰にも見えないくらい早く斬れる。

 何故、それが他人には出来ないのかはさっぱりわからないが、とにかくシラノは自分が凄いらしい、というのはわかった。

 なのに、どうも剣を振るたびに何かが悪くなっている気がする。

 絵本の中の世界では、剣を振れば全てが片付いたはずなのに、シラノは何一つ片付かない。

 家に帰るどころか剣を振れば振るほど、家がどんどん遠ざかっている気がした。


「どうすれば」


 その言葉の後に続く言葉すら、シラノの中にはなかった。

 シラノが凄い人間になれば、迎えに来てくれるのだろうか。

 悪い奴を倒せば、めでたしめでたしで終わるはずだった。

 足元に転がる死体は、九人。

 結局、ヨベェは斬れなかった。

 斬ったら、何かが終わるような気がしたのだ。


「なら」


 始めに色々と話してくれた大人は、斬ってよかったのか。

 次に斬った偽冒険者達は、自由騎士は。ヨベェは斬るべきだったのか。

 誰を斬って、誰を斬ってはいけなかったのか。

 斬る、とはなんなのか。

 シラノには、何一つわからない。


「…………行こう」


 シラノに残されているのは、たった一つだ。

 遠くの山にいるドラゴン、そいつを斬れば何かが変わるかもしれない。

 そう信じたかった。










 数日歩けば、雨はいつの間にか雪に変わっていた。

 びゅうびゅうと吹き荒ぶ雪は、そこまで積もる事のない村に住んでいたシラノにとって、まったくの未知だ。

 半袖のシラノの肌を叩く雪の粒は、冷たいというよりも痛い。


「ここで、ぼくは死ぬ」


 いくら幼いシラノとて、普通に少しばかり考えれば死ぬかもしれないと理解出来る。

 どんな馬鹿だって半袖で雪の降る山に入れば、当たり前のように死ぬのだとわかるだろう。

 それどころか、偽冒険者達を倒してから何も食べていない。

 必死の訴えを繰り返していた胃は黙りこくり、それが逆に不味いのだとわかった。

 シラノの賢い部分は一度、山を降りて準備を整えてから、もう一度やり直せばいいと理解している。


「……だけど」


 ここで諦めてしまえば何もかも嘘だったような気がして、シラノは踏ん張った。

 ここで諦めてしまえば見るだけで嫌になるくらいに大きな山を登ってきた事が無意味になり、斬ってよかったのか未だにわからない人達も、何の意味もなかった事になってしまう。

 それはどうしようもなく嫌だった。

 食べる物もなく、飲む物もない。

 だから、どうしたというのだ。

 ここで諦めてしまえば、これまで踏みつけてきた物に何の意味もなくなってしまう。

 それどころか、この帰りたいという気持ちすら嘘になってしまうのだ。

 そうと思えば、シラノの下腹がかっと熱くなり、雪の冷たさすら感じなくなっていた。

 空腹と渇きの辛さは、これっぽっちも消えていない。


「ぼくは……ぼくは、ここで死ね」


 シラノは冷たい吹雪の中、大きく息を吸い込んだ。


「わがはいは、本物にならなきゃいけない」


 睫毛が凍り付くような吹雪の中、シラノの蒼い瞳は炎のように燃え上がり始めていた。

 シラノがこれからもシラノであるためには、証明しなければならない。

 あの冒険者達は、偽物だった。

 偽物だから、シラノに斬られたのだ。

 だから、シラノは本物でなければならない。

 吹雪は止む気配を見せず、もうどうしようもなく吹き荒び続けるだろう。

 だが、それがどうしたというのだ。

 シラノが本物なら、こんな所で死ぬはずがない。


「わがはいが本物なら」


 斬った。

 自分でもどう抜いたのか、何を斬ったのかすらわからない。

 だが、確かにシラノは何かを斬っていた。

 誰もいない雪山で突然、剣を抜くなどどんな気狂いか、と思わなくもないが、斬った後に考えてみれば、確かに斬るべきだったのだ、とシラノはどういうわけかはっきりと確信している。

 その証拠に寒さに負け、ふらついていたシラノの足取りは、たらふくご馳走を食べて気持ちよく眠った朝のように溌剌としていた。


「わがはいはこんなもんじゃない」


 シラノは証拠しなければならない、自分が本物である、と。

 たった独りで、世界に向けて。

 それは幼いシラノでもはっきりとわかるくらいに、怖い道だった。

 母親の暖かさもなく、何をどうすればいいか道標すらない暗闇に向かう道だ。

 幼さすら言い訳にならず、だがシラノは確かにその道を選んでいた。

 

「わがはいは、すごい!」


 大人だってシラノが剣を抜けば、たちまち倒れ伏す。

 何一つ持たず、雪山で生き延びられるなんてシラノ以外に出来るはずがない。

 万を数えても足りなさそうな雪の粒一つ一つの動きを捉えるなんて、シラノ以外に誰が出来る?

 そう、シラノがシラノを認めなければならないのだ。

 この万天下に、シラノがいるのだと、世界全ての人間に知らしめねばならない。

 シラノという人間は、大した奴だとわからせねばならない。

 その時こそ、きっと、シラノは帰れるのだ。

 帰れるはずなのだ。


「だから、わがはいはドラゴンを斬るんだ」


 シラノがそんな風に決意を決めた時である。


「……なんでこんな所に子供が?」


 ジャン・ジャックとその一味と、シラノが初めて出会ったのは、ドラゴンが住む雪深い山の中だった。

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