特にどうという事もない神様転生
私は、何になれたのだろう。
自分が死んだ、と気付いた時、真っ先にそう思った。
目を覚ましたというよりは、止まっていた意識が再び繋がった、とでも言うような奇妙な感覚がはっきりと生まれる。
まるで倉庫に押し込められていた電池の切れた時計が突然、何かの拍子に動き出したかのようだ。
「やあ、おはよう」
そう言ったのは、一人の青年だった。
この世の物とは思えないくらいに、どう言葉にしていいかわからないほどに美しい青年は、まるで私が最も美しいと思うパーツを、最も美しいと思う配置にしたかのようだ。
しかし、見た目こそただ美しいが、その全てをひっくり返すほどに疲れ切った雰囲気を醸し出している。
そんな疲れ切った美しい青年を視界の中心に収めてみれば、はっとするほどに世界が広がり、どこまでも続く真っ白な空間がそこにはあった。
あまりに異質で、嫌でも私が暮らしていた世界とはまったく違う場所だと理解させられてしまう、そんな場所だ。
そんな世界で青年は、たった一人何かをしていた。
何をしているかはわからない。だが、何かを続けている。
何の意味もない事をし続けて、何者にもなれずに死んだ私から見れば、迷いなく何かである彼はいっそ羨ましいくらいだった。
「君は何にもなれずに死んだ、と思っているね」
心を読まれた。そうとしか思えないタイミングで差し込まれた言葉は、思っていたよりもダメージはない。
もしも、この小さくて醜い内心を読まれるような事があれば、相手を殺して自分も死ぬ、くらいに考えていた事もあったはずなのだが。
とはいえ結局の所、神様……そう、きっと彼は神様なのだろう。
そういう高次元の存在に心を読まれるのであれば、仕方ない話だ。
ところで神様、私は地獄行きなんでしょうか?
「君がそうだと思えばどこだって地獄だろうし、そうでないと思えばどこだって地獄ではないよ」
神様の視線は、こちらを向く事はなかった。
いっそ地獄に堕ちてしまえばいい、と思うと同時に、彼の疲れ切った目で見つめられない事に私はひどく安堵していた。
「もし僕が君は地獄行きだと言うのなら、君はもっと安心出来るのだろうね」
それはそうだろう。
自分の立ち位置がはっきりとするのなら、それは私の足元が安定しているという事だ。
それは死にながら生きるよりも、確かな事のはずだった。
「君は転生する。ある一本の小説の世界に」
私はそこで何をすればいいんでしょうか。
「別に何も求めない。好きに生きて、好きに死ねばいい」
確かに私は善人ではありませんでした。
しかし、そんな風に地獄に投げ出されるほど悪人だった覚えはありません。
「僕は人に幸あれ、とは言っても、神に幸あれとは言わない。僕は君に何も求めない。ただそれが必要だから、そうするだけだ」
神様の言葉は、ほんの少しだけ早くなった。
声音は変わらず、ただ少しだけ早くなった。
「君はきっと何者にもなれない。ただ君として生きて、死ね」
ひどい話だ、と思った。
何者にもなれない私でも、そう在れかしと望まれて、必要な物質が必要なだけあり、そういう機能があればそういう風に作られる事くらいは出来るらしい。
果たして今、こうして認識している私はどこにあるのか。精子が卵子に受精し、細胞が分裂していく。
遺伝子に決められた通りに分裂していく私は生物の進化の過程をなぞりながら、少しずつ少しずつ人に近づいていった。
定まっていない自分という存在が固まっていく感覚は恐ろしいような、うきうきするような、何とも言葉にしようのない物だ。
いや、そもそも人の言葉という物は、生まれてからの言葉しか存在していないのだから、生まれる前の現状を言葉に出来ないのは当然なのだろうか。
甘皮が剥がれ落ちるように手指が分化し、じくじくと滲む瘡蓋のように身体が大きくなっていく感覚は、一ヶ月の長湯治だって勝てはしまい。
十月十日かけて、私は生まれ直そうとしていた。
丁寧に、どこまでも丁寧に、私という存在が形作られていく。
人体の不思議、と一言で言葉にするのは容易いが、それを成しているのは一人の女性だ。
それは、凄い事だった。
腹の中の異物を排除するどころか、細胞の一つ一つから作り上げ、私の排泄物を自分の身体で吸い取り、あらゆる苦痛に堪え忍ぶ。
出産の時には骨盤を構成する骨が外れると知った時、前世の私は鳥肌が立った物だ。
言うなら手足の関節という関節を脱臼させて、変形するようなものである。
変形合体するロボットは好きでも、自分がそうなりたいと思った事はない。
いや、そういう事でないのはわかっているが、気分としてはそういう感じだ。
女性とは、何と偉大なのだろう。
ぎゃあぎゃあとみっともなく喚くおばちゃんの群れも、こんなひどい苦痛に耐えてきたと思えば、それだけで尊敬してしまう。
もしかしたら、私は捨てられるかもしれず、誰にも望まれていない子供かもしれない。
だが、これだけの尊い行いの末に生まれさせてもらうのだ。
どんな事になろうとも、私は彼女を、母親を恨まずにいられる気がした。
ほんの少しでも、何かを返していければいい、とねじくれてひねくれた私だが、それだけは素直に思えて。
そして、出産の際には、すっかりそれらを忘れていた。
まぁ赤ん坊だからね、仕方ないね。