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牙ある羊・3

 水をかき回すような手応えが返る手応えと共に、木の枝がぽきりと折れた。


「い、今だ!?あのガキは素手だぞ!」


 シラノは不満だった。

 お話の中で聞いていた冒険者は、もっと格好いい物だ。

 冒険者とは、どんな危険も恐れない命知らずなタフガイだったはず。

 なのに、シラノを囲む男達ときたらどうだ。

 立派な――鎧!と嬉しくなったけれど、立派というには貧相で、何やら異臭がしてやっぱり頼まれたって着たくない――皮鎧を着込み、長い剣を握って大人五人で子供のシラノ一人を囲んでいるというのに、明らかに腰が引けていた。

 ああ、でも剣は格好いいな。

 そう思ったシラノは、足元に倒れ込んでいた冒険者の腰から、剣を拝借する事にした。

 森を歩いていたら首筋に蜘蛛が落ちてきた、とでもいうようなびっくりした表情で死んでいる冒険者なんて、本物の冒険者ではない。

 足元に倒れているのは三人、ここから少し離れた所に色々と話してくれたおじさん。

 シラノはすっかり彼らを見下していた。

 冒険者はもっと格好いい物だ。

 そう、例えば今のシラノのように!

 初めて持った鉄の剣を掲げてみれば、焚き火の光で刀身がぬらぬらと光っている。

 少しばかり刃が欠けているけれど、シラノは嬉しくなってしまった。


「やあやあ、わがはいこそは奈路のシラノなり!」


 突然の名乗り上げにぽかんと口を開いた偽冒険者の一人に、シラノは近付く。

 本人の主観では風のように、冒険者の主観では子供らしくバタバタと。


「やあ!」


 さすがに子供の細腕に鉄剣は重かったのか、木の枝を振り回していた時に比べれば、その剣速は驚き戦いていた冒険者でも防げる物であった。

 

 焦って損したぜ。なんだ、やられた四人はこいつを子供と侮ってドジを踏んだらしい。俺はそんな間抜けじゃあないさ。


 と、考えたのが彼の最後の思考である。

 どこをどう通ったのか、その場で知るのはシラノのみ。

 防いだはずの鉄剣の切っ先が、するりと冒険者の頸椎と頸椎を断ち切った。

 ぎょろり、とシラノの大きな目が次の獲物を求め、動く。


「ひっ!?」


 睨み付けられ、もはやガキの形をした魔物にしか見えなくなったシラノに、冒険者は力一杯刃を振り下ろしたが、すでにそこには誰もいない。

 それどころか、


「あっ」


 と、びっくりしたシラノの声と共に、握られていたはずの鉄剣が冒険者の喉首にすっ飛んでいくではないか。


「むぅ」


 剣が重くてすっぽ抜けたシラノは不満げに一つ唸ると、足元に倒れた冒険者から剣を奪う。

 あっという間に二人倒され、怯えるだけの偽冒険者達を、シラノは鼻で笑った。

 今のシラノは、本物の冒険者だ。

 偽物なんかに負ける気は、これっぽっちもしなかった。






 偽の、悪い冒険者達は全員倒れ、本物の冒険者であるシラノは華麗に勝利した。

 正義は勝つのである。

 だが、これでは少し物足りない。

 何故なら今のシラノには、鞘がないのだ。

 血でべとべとになった剣を振って血を落とし、最後は格好よく鞘に納める。

 これがないと、どうも締まらないのは常識だろう。

 そういうわけで鞘も頂こう、と倒れた冒険者の腰元をごそごそと漁り始めた時である。


「な、なあ、君!」


「ん?」


 焚き火の届かない森の奥から聞こえてきた声は、大人の声だった。

 シラノがそちらに目を向けてみれば、木の影から覗き込むようにして何やら小汚い大人がいる。

 妙に突きだした前歯と、細い目が印象的な大人だ。

 そんな彼の怯えを含んだ視線は、まるでシラノが自由騎士を殺してからの村の大人達の視線のようで、シラノはむっとした。


「ま、まるで真の冒険者のような格好いい君!」


「わがはいに何かごよう?」


 すっかり気分のよくなったシラノは、ふふんと胸を張って大人に答える。

 よく見てみれば、彼の手足にはまだ枷が付いていて、どうして取らないんだろう、と不思議に思う。


「お、おう……チョロいな、この子……」


「何かいった?」


「いや!?何も言ってないよ!?……そ、そのちょっとお願いがあるんだけど」


「やだ。僕ははやく帰らなくちゃいけないから」


「そこを何とかお願いします、格好いい冒険者様!まるで絵本の奈路の冒険者みたいに格好いいお方!」


「いいよ、なに?僕は冒険者だからね、弱きをくじき、強きを助けるんだ」


 苦い木の実を拾って食べたような顔をした大人は、どういうわけかシラノから顔を背けた。


「今、僕をばかにした?」


「いやいやいやいや!?まさかそんな格好いい冒険者様をバカに出来るわけないじゃないですか!

 いやね、冒険者様に頼みたい事と言えば、みんなの頼みを聞くのがお仕事の格好いい冒険者様にお願いしたい事はと言えばですね、ちょっと俺の枷も切ってもらえないかな、なんて……?やっべ、俺も他の奴みたいにさっさと逃げればよかった」


「ふーん」


 すたすたとシラノが近付くと、男はどういうわけか怯えたように後ずさる。

 

「逃げないで。斬れないから」


「へ、へい」


 シラノは真の冒険者だ。

 だから、少しばかり嫌な事があるとしても、我慢した。

 この男のぼうぼうに生えた草むらみたいな髭が何か臭くても、我慢する。

 臭い髭の臭いが、少し目に染みても我慢した。


「はい」


「はい、て。え、何が」


 と、もうとっくに切れているというのに、シラノをじろじろと眺めるこの大人は、ひょっとして頭が悪いのではないだろうか?

 斬れば切れるのに、だらだらと時間をかけるなんて、イライラしてしまう。


「もう斬ったよ。これでいいでしょ?」


「お、おお……いつの間に……?」


「それより何かないの?」


 どさりと落ちた手枷をバカみたいに眺めるこの人は、やはりバカなんだろう、とシラノは理解した。


「へ?」


「ないの?」


「えーっと、あっしは今、無一文でして。財布の中身があったら、奴隷落ちなんてしてなかったなって」


「そうじゃないでしょ?」


「ああ。はいはい、わかりました!あれですね、死んだ連中から剥ぎ取るのを手伝えとか」


「違うでしょ?」


「えーっと……っていうと?」


 どうやらこの大人は、本気でわかっていないらしい、と気付いた賢いシラノは深ーく溜め息を吐く。

 こんな事もわからないなんて、きっとよっぽどのおバカさんなんだろう。

 このおバカさんな大人に、賢いシラノが教えてあげなくてはいけないらしい。


「人に何かをしてもらったら?」


「あ、ありがとうございます?」


「正解!」


 よく出来ました、とにっこりと笑って拍手するが、どうやらこのおバカさんは嬉しくないらしく、微妙に困った表情を浮かべた。

 シラノが褒められれば、嬉しくなるというのにどういう事なんだろうか?


「は、はは、ありがとうございます、冒険者様。へ、へへへ、助かりましたぜ」


 じり、と男はほんの少し下がった。

 男の額からは滝のように汗が流れ、ひどく緊張した臭いが漂う。


「おじさん、大丈夫?そんなにおバカさんでお家に帰れるの?送って行ってあげようか?」


「も、もちろん大丈夫ですわ。お、俺もいや、あっしもバカはバカですが、これでも子鼠のヨベェと呼ばれた男でしてね、ドジ踏んじまいやしたが、普段は結構な顔でひぃ!?」


 じりじりと下がって行くヨベェに、シラノが一歩踏み出した時である。

 ヨベェはまるでびっくりした猫のように飛び上がった。


「おじさん、僕が怖い?」


「そんなわけ、そんなわけないじゃないですかあはははははは」


 そう言いながら、ヨベェの足はじりじりと下がっていく。


「本当に?」


「本当です、本当ですってば。信じてくださいよ、格好いい冒険者様」


 格好いい冒険者と言われても、シラノはちっとも嬉しくならない。


「本当に?」


「へ、へへへ……いやね、あっしも子鼠なんてケチな名前で呼ばれてますからね。夜の森はおっかねーなってひぃぃいぃ!?」


 一歩、近付いた。


「勘弁してくれよ、俺があんたに何したって言うんだよ!?」


 シラノの眼下には、股を濡らして腰を抜かしたヨベェの姿。


「何が気に触ったのかわかんねーけど、悪かったよ。許してくれよ!?俺は死にたくねえよ!?」


 その瞬間、何かがどろりと溶け出した。


 シラノは何も悪い事はしていない。どうしてこんなに怖がられなきゃいけない。シラノを閉じ込めようとしていた悪い冒険者を斬っただけじゃないか。助けてやったのに。おバカなあんたに物を教えてやったのに、送って行ってあげるって言ったのに!こんなに気分が悪いのは、この男のせいだ。ただ遊んでいただけなのに、弱かったあの騎士のせいでシラノは売られてしまった!あの村の奴らだって悪いんだ。本当はお母さんだってシラノに会いたかったはずなのに、あいつらが止めたから最後に会えなかった。僕は捨てられたんじゃない。あいつらがあいつらが、あいつらが、あいつらが、あいつらが!


――いっそ斬って、しまおうか。


 気分の悪い物を全て斬ってしまえば、残るのは優しい物だけだ。

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