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牙ある羊・2

 ひどく、静かな少年だった。

 まるで世界に自分しか不幸な人間がいないとでも言うような、そんな目をして座り込む少年だ。

 くすんだ金髪は薄汚れ、痩せ細った頬が痛々しくある。

 重い手枷が嵌め込まれた手足は今にも折れてしまいそうで、そんな少年がハスハは大好きだった。


 ハスハはケチな冒険者だ。

 今日だってつまらない護衛の仕事にあくせくして、そのちょっとした稼ぎを明日の酒代にするだろう。

 その金で真っ当な武器を整え、ある程度上手くやる、という考えはハスハにもよく理解出来る。

 いくら学が無かろうと、それくらいは理解出来た。

 ちょっと我慢して、短剣だか鉈だかよくわからないような代物ではなく、ちゃんとしたピカピカの剣でも買えば、ゴブリンの十匹や二十匹なんざあっさり倒せるに違いない。

 だが、そんな事をして、一体何になるのだろう、とハスハは心の底から考える。

 ちんけな生活がほんの少しマシになったからと言って、それがなんだと言うのだ。

 明日の酒にチーズの一欠片が増えた所で、それが贅沢と言えるのだろうか。

 ハスハはそんなくだらない贅沢なんかよりも、もっと凄いことを知っていた。


「よう、坊主。隣いいかい?」


 ポイントは笑顔だ。

 誰も喋らない、汗と垢の臭いが籠った馬車に丸一日揺られた所で笑顔を浮かべて話しかけられれば、誰だってほんの少しは心を許す。

 夜の闇を照らしている焚き火から遠く、薄暗い場所でうずくまる少年の横にハスハは返事を待たずに腰かけた。


「坊主、飯は食ったのか?」


 膝と膝の間に顔を埋めて座り込む少年は、ハスハの言葉にぴくりとも反応しない。

 どこまでも、どこにでもいる少年でしかなかった。

 誰だって親に奴隷として売り飛ばされれば、こうして落ち込むだろう。

 豚のように競りにかけられる気分はハスハにはわからないが、想像する事は出来る。

 意味のない言葉を、だが話しているという事実だけは残る言葉をだらだらと少年に投げ付けながら、ハスハはワインを煽った。

 水で薄められ、皮袋に詰められて臭いの移ったワインは、端的に言ってクソ不味いが、自分の分際に合った味だ、とハスハは思う。

 水で薄められてない真っ当なワインと、チーズの一欠片。そいつが大した物だとも思えない。

 ハスハは、もっと楽しい事を知っている。

 一つも答えが返ってこない会話は、それを楽しむスパイスだ。

 少し離れた所には、壮年から青年まで十人ばかりの人々が焚き火を囲んでいる。

 暖かな炎を囲む人々の半分は手足に枷をはめられ、残り半分はハスハと同じ冒険者である。

 だが、ツラを見てみれば、枷をはめられた奴隷連中の方が、よほど小綺麗な、そして人としてまともなツラをしていた。

 山賊に潜り込めば、見分けが付かないような連中が大手を振って自由民。まともな人品をした連中が奴隷に落ちるというのは、どこか面白い。

 そんなどうでもいい事を考えながら、皮袋のワインが三分の一ほどになった頃である。


「……おじさんは」


 どうして僕に話しかけるの?


「どうして僕に話しかけるの?」


 そら来た、とハスハは内心、ガッツポーズをした。

 予想通り過ぎて笑えてすら来る。


「似てる、からかな……」


「僕とおじさんが……?」


「ああ」


 どこか遠い目をするのが、ここでのポイントだ。


「俺も昔は奴隷だったのさ」


 そんな事はない。

 冒険者になる前は城壁の外に出た事がなかった程度には、生粋の自由民である。

 税が払えず奴隷落ちする自由民はそこそこいるらしいが、まぁそこは運がよかったのだろう。

 ただ、ハスハは奴隷落ちした連中を、よく知っていた。

 彼らは僻んでいる。

 この重い枷を、枷の付いていない連中を。

 だから、同じ立場だった、と話してやれば、くだらない共感が生まれる。


「……なあ、坊主はどうして売られたんだ?」


「わかんない……」


 そして、奴隷に落ちた連中は二種類に別れる事を、ハスハは知っていた。

 故郷を憎んでいるか、故郷を愛しているか、だ。

 少年は間違いなく後者だった。


「そうか……辛かったな」


 くしゃくしゃと撫でた少年の髪は薄汚れてはいたが、その奥は柔らかでよく手入れされており、愛されていたのだろうと思う髪質だ。

 おや、と少しばかり不思議に思うが、まぁ全てがハスハの経験通りにはいかないだろう。


「なあ、お前なんて名前なんだ?」


「……シラノ」


「そうか……なあ、シラノ。奴隷として売られたのは、確かに辛いかもしれない。だけどな、お前は運がいいんだぜ?」


 何を言っているかわからない。そんな表情を浮かべるシラノに、ハスハはキスの一つでもしてやりたくなる。

 

「なんたってこれからお前が売られる場所は決闘都市ドゥミナだ」


「……決闘都市?」


「ああ、そうさ。あそこに売られる奴隷は全員が剣闘士として売られるのさ。決闘都市では強い者が正義で、何でも出来る」


 ハスハは故郷が、ドゥミナが心から嫌いだ。

 何が楽しいのか年がら年中殺し合いを続ける街で、トップクラスの剣闘士なら平然と百人斬りをしてくる連中がごろごろしている世界である。

 街の中央にどかんと建てられたコロシアムは、領主の館よりもでかく、役所よりも高く、街一番の豪商よりも豪奢だ。

 飯を食うより殺し合いが好きなんて、我が故郷ながら理解に苦しむ。

 しかし、そんなドゥミナの自由民で冒険者だからこそ、他の街ではそれなりに危険な護衛の仕事が楽に出来る。

 何せちょっとした小遣い稼ぎ感覚で討伐に来るドワイト領より、儲からないのだ。

 ドゥミナに運び入れられる物の中で、最も多いのが奴隷である。

 人間というのは何せ嵩張る上、飯も食う。

 反抗的だからと言って殺してしまえば儲けにならないし、あの手この手で逃げようとする。

 山賊にとってそんな苦労をするより、他所の街を襲った方がよほどマシだろう。

 実際、ハスハが護衛の仕事をするようになって十年、数えるほどしか人間に襲われた事はない。

 そして、わざわざドゥミナで山賊をするようなバカは大した事もなかったし、決闘で成り立っているドゥミナは山賊すら資源として見ている。

 何せタダで奴隷が手に入るのだ。討伐する理由はいくらでもあるが、しない理由はこれっぽっちもない。


「何でもって……何でも?」


「ああ、もちろんだ。腹一杯、飯を食いたいなら一回勝てば簡単さ。お前がこれまで食った事がないようなすげー飯だって、ちょっとばかし勝ち続ければすぐさ」


「……じゃあ」


「奴隷から開放されるのだって、すぐに出来る」


 安い子供の奴隷でも、どんな形でも十度は命の取り合いをしなければ出来る事ではないだろうが。


「強くなってたんまりと稼げるようになれば、親だってすぐにお前を迎えに来るさ」


「……強く」


 奴隷として連れてこられた子供がまずやらされるのが、バトルロイヤルだ。

 十人の子供達がナイフ一本持たされ戦う。

 ガキの腕力でナイフを振り回した所で意外と死人は出ないものだが、その中から生き残った連中を数年鍛え、それから本格的な剣闘士としてデビューする事になる。

 技術のない子供の中で勝ち抜く奴というのは、まぁ結局は覚悟だ。

 時たま異様なまでの才覚を見せる子供がいるが、そういう連中は本当に極一部でしかない。

 ハスハは、その覚悟を見せる連中が大好きだった。

 自分の言葉を本気にしたガキが、必死になって戦うのが最高の楽しみだ。

 薄っぺらいハスハの言葉を本気にして、泣き喚きながらナイフを振り回すのもいい。

 静かに殺意を尖らせるガキを見るのは、女を抱くよりも最高だ。

 数年後、頭角を現す奴もいるが、そいつらだってハスハの言葉で変わったのだ。

 ゴミのように死んでいく奴にも、いっぱしの剣闘士になる奴にも、自分が傷痕を付ける。

 それは何よりも楽しい遊びだった。


「……強くなれば」


 シラノの目に、生気が宿っていく。

 それは焚き火なんかよりも、よっぽど綺麗な炎だ。

 青ざめた炎のような瞳は鮮やかで、この瞳が絶望に歪むのも、希望に輝くのもハスハは大好きだった。


「強くなれば、お母さんは迎えに来てくれるの?」


「ああ、もちろんだ。ドラゴンも倒せるくらいに強くなれば、きっとお前を迎えに来てくれる」


 シラノの親はどっちだろう、とハスハは思う。

 稼げるようになったシラノの前に平然と顔を出して金をたかりに来るのか、それとも恥じ入って出てこれないのか。

 若い頃のハスハが呆然とするくらいに厚顔な連中は、確かにいる。

 ハスハが護衛をした子供の中で頭角を現したのに、ぷっつりと糸が切れたように負ける剣闘士がたくさんいた。

 そりゃあないだろう、と思うくらいに惨めな死に方をする奴らがたくさんいたのだ。

 そういう事もあるんだろう、とは思う。

 だが、なんというか、そういう時はいつも頑張った報いがあってもいいんじゃないか、と思わなくもない。

 クソのように悪趣味な真似をしている自覚はある。

 だが、それだけに自分のゴミのような言葉にすがり付いて――実際はどうだかわからないが、そうだと思っていた方が楽しい――勝ち抜いてきた奴が、そんなつまらない事で命を落とすのは、本当にやめて欲しかった。

 この素晴らしくもクソッタレな楽しみが汚されたように思ってしまう。


「ねえ、おじさん」


「なんだ?」


「ドラゴンってどこにいるの?」


「は?」


 少しばかり意識を過去に飛ばしていたハスハは、シラノの言葉に遅れた。

 一体、何を言ってるのだろう、と思ってしまう。


「この辺りでドラゴンがいる所って言やあドワイトの山だが」


「どこ?」


「あっちの……夜だと見えねえな。あっちの山を二つ越えて、その先に見える一番でかい山の山頂にいるって話だな」


 なんでまたいきなりそんな話を?

 そう考えた時、ふと目に入ったのはシラノが握っていた木の枝だ。

 細い枯れ枝でしかない木の枝が、ふと気になった。


「ありがとう、おじさん」


 するり、と木の枝が動く。

 その軌跡はシラノの腕の間を、そこにあったはずの鎖を抜けたように、ハスハには見えた。


「ドラゴンを倒せば、母さんが迎えに来てくれる」


「お、おい?」


 いやいやいやいや、そういう話じゃないんだよ。ドラゴンを倒すくらいに強くなれって話で、実際にドラゴンなんて化け物を倒せるはずがないじゃないか。お前はとんでもない馬鹿野郎か。

 と、ハスハの頭の中には言葉が溢れるが、それが口に出される事はなかった。

 立ち上がったシラノは、両の足の間を通すように、再び木の枝を動かす。


「な、なあ、シラノ。そういう話じゃないんだよ、これは。お前はこれから奴隷として決闘都市で」


「それじゃいつになるかわかんないじゃないか」


 拗ねたように言うシラノの顔は、どこにでもいるような幼い子供でしかなかった。

 だからこそ、それが何なのかわからない。

 両腕にぶら下がる鎖の断面は、まるで最初からそうだったとしか思えない切り口だ。

 細い両足にはまっていたはずの枷が、ごとりと落ちる。

 どっかで鍵をスラれたか?いや、そもそも俺は持ってなかった。

 まさか鉄の枷を木の枝で斬ったとでも?

 冗談だろう!?


「ま、待てよ、シラノ!?逃げたらお前!?奴隷だぞ!?」


「ねえ、おじさん」


 シラノの目に、炎が宿った。

 それは莫大な熱量だ。

 ただ純粋な、大人では持てないような炎があった。


「僕の邪魔をしないで」


 着こんでいた皮鎧なんて最初から無かったかのように、木の枝がハスハの鳩尾にするりと入り込む。

 そうとわかりながら、どういう訳か痛み一つないままに、シラノが握る木の枝はハスハの肋骨と肋骨の間を綺麗に通って行った。

 どう、と倒れ込んだハスハに目を向ける事なく、シラノは遠くを睨み付けている。


「僕は帰るんだ、絶対に」


 ああ、失敗した、とハスハは思った。

 こいつが剣闘士になれば、どんな大した奴になったのだろう。

 それが見れないのは、本当に残念だった。

 シラノの刃は、あまりに綺麗にハスハの命を切り裂いていた。


「かは」


 と、吐血をしながら、ハスハは思う。

 いやまぁ、こりゃあ売られるわけだわ。

 羊の中に狼が生まれりゃ、そりゃ怖くてたまらない。

 遠くに遠ざけたくてたまらないに決まっている。

 そして、そんな怖い怖い狼達が、ハスハは大好きだった。

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