いや、私は大人だから
爺から出されたオーダーは、シンプルだった。
山頂まで登って、降りてくる。期限はなし。
すでに用意されていたのは、三人分の防寒具と三つのリュックだ。
今まで着ていた服を脱いで着直した防寒具は、今の生で最も着心地のいい物だった。
きめの細かい木綿のシャツとズボンは軽くて、それだけで割と暖かだ。
「やべーな……」
思わず、といった様子で呟いたアルトくんに、私は全力で同意した。
ただまぁ脱いだオーギュストの肉体美は、我が身と比べると控え目に言ってヤバい。
どれくらいヤバいかと言うと、ちょーヤバ過ぎる。
全盛期のアーノルド・シュワルツェネッガーと、シルヴェスター・スタローンを足して割らないくらいの筋肉だ。
その上、それだけの筋肉を軽々と支える骨と上背があるものだから、ボディビルダーのような重々しさよりも、肉食獣のような躍動感の方がより強く感じる。
もしアメリカにあるストリップ劇場にオーギュストがいたら、パンツにはち切れんばかりのお札が捩じ込まれるだろう。
むしろ、お札がパンツだ。
「へへへ……さすがオーギュストさんっすね、マジやべーっすよ。やっぱリーダーは器が違うっていうか、マジ筋肉やべーっすよ」
アルトくんの語彙がヤバい。
あと揉み手しながら、即座に腹を見せる犬よりも媚びてくるプライドの無さも一周回ってヤバい。
「……触るな」
「おっと、リーダーであるオーギュストさんの手を煩わせるわけにはいきませんよ!俺がズボンはかせてあげますよ。さあ!」
「…………」
さあ!と言われても、普通に嫌だろう。
私はリーダーの切なげな視線を無視して、すでにはいていた木綿のズボンの上から、更にもう一枚ズボンをはいた。
今度のズボンは逆に堅く、ごわごわとしている。
蝋か何かで加工された毛皮で出来たズボンは、ずっしりとする重さでしばらくこれをはいていなければならないと思うと、もうすでにうんざりだ。
「さあ!オーギュストさん!さあ!」
「…………」
足首の所には紐が付いていて、縛れば雪が入りにくくなる……ってこれから私達はどこに行かされるんだろう。
確かに山の上には雪が積もっているが、山肌を薄く染め上げる白い絨毯は麓から見れば大したものではない。
今の状況ではフードの付いた上着と手袋、更にはマフラーまで着てしまえば暑いだろう。
つまり、私の用意は出来たわけだ。
「おい、どこ行く」
「オーギュストさん、あんなのほっといて早く着替えましょう!大丈夫ですって、オークがどんなバカだって着替えくらい出来るようになりますから!」
アルトくんの自然な喧嘩の売りっぷりにはびっくりする。
睨み付けるだけでどう動くべきか迷うオーギュスト、小物らしい媚びた笑みを浮かべるアルトくんを尻目に、私は最初の一歩を踏み出した。
「おい」
「…………」
「そこまでして、勝ちを拾いたいか」
「はあー?勝ちを拾うとか拾わないとかそういう話じゃないんでぇー?私、さっさと山登っちゃいたいだけなんでぇー?」
硬めのブーツは、スキーブーツを思い出すほどに足首が動かず、山道を上手く歩けるかはわからないが、まぁ慣れれば何とかなるだろう。
リュックもずしりと重いが、中身を確認する時間がもったいない。
「……ちっ!」
オーギュストは舌打ち一つすると、アルトくんが張り切って差し出すズボンに足を通した。
「そこまで必死にならんでも」
「必死、違う」
「ははははは……私を先行させたら勝てないだろうしね、わかるよ」
「あ?……ひ弱な人間、口だけは達者」
「は?まぐれで一回勝っただけで、私と君の格付けが済んだとでも?」
「…………」
「…………」
「ちょ!?待ってくださいよ!?」
「…………」
は?ちょっと肩ぶつかったんですけど。どんだけ必死なんですか、オーギュストくん。
「…………」
押し返すように……私は大人だし、あくまで押し返す程度に肩をぶつけてやったら、オーギュストはこっちをぎろりと睨みつけてきた。
いや、私は大人だから我慢してるけど、さすがに歩くのに邪魔っていうかさ。やめて欲しいんだよね、そういうの。
「お、おーい、二人とも仲良くしようぜー……?」
私は仲良くしてあげようっていう大人の広い心を持ってるけど、オーギュストが少しずつ早歩きになってるのがね。
確かに一回負けたけど、それだけで人間の関係は決まったりしないっていうか?
むしろ、勝ちを譲ってやった、みたいな所あったよね。
それなのにこういう態度取られると、ちょっとかちんと来るかなって。いや、私は大人だから怒らないけど。
「やあ、すまないね」
偶然。いや、本当に偶然なんだけどね、足がもつれてオーギュストの足を踏んでしまった。
「悪い」
オーギュストの肩が、がつんとぶつかる。
あー、やだなーこういう子供っぽい反撃ー。
いや、怒ってないよ?
怒るわけないじゃないですか。
ただこういう事する奴と一緒にはいられないっていうか、ちょっと離れておこうかな、とは思うよね。
「…………」
「…………」
「お、おい!なんでまた走るんだよ、二人とも!?」




