いや、友達作るのとか簡単ですから
敗因は、はっきりとしていた。
一言で言えば、持っている力の差だ。
オークの恵まれた骨格に、恵まれた筋肉が載っている。
それはどうしようもなく当たり前に強い。
センスなど目に見えない才能は私にはわからないが、体格という才能だけは誰だってはっきり見てわかる。
いやね、まだ十歳にもなっていない子供が、大人の男よりも力のありそうなオークに勝てるはずがないじゃないか。
見てみるといい、あの腕を。
獅子の首だって、簡単にへし折れそうな太い腕じゃあないか。
それに比べて、私の腕はどうだろう。
子供らしい、ぷにぷにとしたなまっちょろい腕だ。
オーギュストの足を見てみれば、皮膚の下に筋肉が盛り上がってるのがよくわかるし、私の足はと言えばまぁ普通の子供よりは鍛えられているが、それでも普通の人間の域は超えていない。
負ける理由は、いくらでもあった。
大の大人だって彼には勝てやしない、まぁ負けても仕方ない、本番は今じゃあない。
だから、私は今回負けても、仕方ない。
「…………っ!」
負けた理由は、いくらでも挙げられる。
根本的に、生物としての器が違う。
私はまだ幼いのだから、どうしようもない。
爺がいきなり言い出して、心の準備が出来ていなかった。
だが、逆に考えよう。
オーギュストが勝った理由はなんだ?
私の小賢しい小細工は、確かに彼の体力を奪い去った。
ゴールにたどり着き、爺に自分が勝ったと宣言された彼の姿は、まるで敗者だ。
項垂れるように頭を垂れるオーギュストの背は激しく上下し、膝に置かれた長い腕は己の身を支える事すら億劫そうだった。
緑色の肌を流れていく大粒の汗は止まる気配を見せず、未だに勝利者らしい言葉は一つも漏れてこない。
だが、それでも彼は勝利者だ。
長距離走という、私が有利で、彼には馴染みのないジャンルで勝ってみせた。
走り方もペース配分もまったく知らず、だがそれらを学んでみせたのだ、他ならぬ私から。
力一杯走り、力尽きたはずの彼は、それでも私の背に食らいついてきた。
気合いで何とかしようという根性論ではなく、ただ冷静に勝利のために。
自分に足りない物は何かを見定め、私の技術を盗む。
言葉にすれば簡単だが、肉体的なポテンシャルで圧倒的に勝るオークの身でやってみるのは、相当に難しい事のはずだ。
例えそれが自分の知らない事だったとしても、自分より小さな子供に頭を下げて教えを乞う事が出来るだろうか?
彼は頭を下げて学ぶが如く、私から全てを盗み出してみせた。
力の入っていた走りから、余計な力みは消え失せ、息の吐き方の一つまで完全に私から学び取る。
その結果、私は負けた。
もしも、あと十キロあれば、私は勝っていただろう。
前半の負債を返し切れず、あと少しで沈められたはず。
あと少し私の足が長ければ、スピードでも多少の勝負が出来ただろう。
いやいや、これはもう敗者として、彼を祝福しなければならないね?
「……やるじゃないか、オーギュスト」
私は彼に向かって、拳を突き出した。
「……お前も、やる」
ごつん、とぶち当てられた彼の拳は鉄球のように堅い。
私はこの男に、負けた。
オークのフィジカルの強さに負けたのではない。
オーギュストという男自身に、負けたのだ。
勝てるはずだった。
小細工を練り、自分の思ったように動かし、勝てるはずの土俵に持ち込んで、私は負けたのだ。
ここまで完膚なきまでの敗北は、想像していたよりも苦い。
自分の愚かさに、どうしようもなく腹が立つ。
やれると、思っていた。
私は私の才能を知っている。
小説の中の私は、戦場を所狭しと駆け回っていたはずだ。
ジャン・ジャック・ドワイトという存在は、チート主人公を心胆を寒からしめん存在であると知っている。
つまり、才能という種が埋まっているかどうかを疑いながら努力する必要がない、という事だ。
確定した未来に向けて、ただひたすら歩いて、ほんのちょっぴり進路を変えればいい、というひどく簡単な道程が私には保証されている。
つまり、この敗北は、どこまでも私のせいだ。
それは、ひどく腹立たしい。
オーギュストは、大した奴だ。
それは、どこまでも理解出来た。
私の地力が、足りていなかった。
……………………いや、もうカッコつけてないで、正直に言おう。
「くそっ……!悔しいな、これ!」
「あと少し……いや、俺の勝ち」
「ああ、君の勝ちだ!だけど、次は私が勝つ!」
オーギュストは俯かせていた顔を上げ、にやりと笑った。
その笑顔は、まるで獲物を前にした肉食獣のようでありながら、
「また、勝負する」
誰が見てもわかるくらいに、楽しげだった。
ああもう、こいついい奴じゃないか!
悔しいのは悔しいが、憎もうとかそういう気持ちが、これっぽっちも湧いてこない!
その笑顔を見て、どうやら私は今生で初めて友人を得たらしい、なんてこっ恥ずかしい事を思わず考えてしまうくらいには熱血スポ根物に路線変更してしまった。
「若いですなあ」
などと、したり顔で髭をしごいている爺が腹立つが、私が爺の立ち位置になればそう言うしかあるまい。
目の前で子供に青春されている大人なんて、何を言えと言うのだろう。
朝の駅でラブロマンスしているカップルに声をかけるよりも、気恥ずかしい想いをするわ。
「あー……ところで爺。こうしてリーダー決まった事だし、次は何をすればいいんだ」
声をかけられる側も恥ずかしいのだが。
照れ隠しをしている、という自覚もあり、私の言葉はどこか浮わついていた。
そして、その浮わつきが嫌ではない、と思っている辺り、本当に重症だ。
「……若いですなあ」
うるせえよ、早く話進めろよ。
「そうですな。せっかくここまで来たのですから」
と、爺は指差した。
空を指すような角度で指し示された指先は、私達が目指していた山の頂上に向けられている。
「この山を登ってもらいましょうか、山頂まで」
……改めて見ると、めっちゃ高いんですけど。
前世で富士山を麓から見上げた事はあるが、それより余裕で高い気がする。
勿論、身長の差はあるにしても、それを抜きにしても余裕で大きい。
え、十歳にも満たない子供に、ひどくないかな、これ。
「……行こう」
「ちょっと待ってくれ。さすがに手ぶらで登れと言われても、確実に死んでしまう。せめて、防寒着と水と食料は用意するべきだ」
山の寒さは、意外と馬鹿にならない。
標高千メートル程度の小さな山でも、木陰に入るとぞくりとするほどに冷える。
富士山よりも大きな山に登る、となれば、きちんとした準備は必要だろう。
いや、きちんとした準備がどの程度か、という知識すらないのだが。
「確かに……ジャック、色々言う。俺、聞く」
「ああ、必要だと思う事は遠慮なく言おう」
きちんとした知識はないが、リーダーになったオーギュストは、学ぶ事に貪欲だ。
へへっ、私達は意外といいチームになれるかもしれないな。
私達は登り始めたばかりだからな、この果てしないチーム坂を。
「……ところで二人とも。そろそろ目を背けてないで、何とかしてください」
「こういうのってリーダーの仕事だと思う」
「俺、無理」
「おろろろろろろろろ……」
ゴールに辿り着いた途端、延々と口から色々と垂れ流しているアルトくんを見て見ぬふりをする情けが、私達にも存在していた。
いや、ただ単に触りたくないな、という気持ちしかないんですが。