パスタなんていいから、俺の話を聞けよ
「お待たせしましたー」
アンリが小さな身体と共に運んできたのは、辺りを覆いつくすようにして漂う香りだ。
その香りは炒められたにんにくと鷹の爪、そして微かな白ワインとバターの香り、何より大粒のあさりが私を食べてパスタの上でごろごろとしている。
「…………ごくり」
そんな擬音を口で言った少年と、
「ほう……」
何かわかったような言葉を発するオークの人。
彼らの視線は、まっすぐに皿へと向かっている。
それこそ邪魔する誰かがいるなら、殴り倒してでも食いつきそうだ。
「じゃあ、リーダーを決めようか」
「えっ」
いや、だからこそ今、言うんだけど。
熱々のパスタからは湯気が立ち上り、その湯気が鼻に入ると「もうこれは絶対に美味いぞ」と脳に伝えくる。
だが、時間が経てば経つほど物悲しくなっていくわけだ。
「い、いや、これ食べてからでもいいんじゃないかな……?俺、こういうの食べた事なくて」
「ええー?君、マジでやる気あるの……?就職したいんですよね、このドワイトに……?なのに、ご飯の方が大事なんですかぁ……?私ならそういう人、取らないと思うんだけど、君はどう……?」
「ぐっ……腹立つな、お前!」
「だが、道理。俺、わかった」
オークの人の言葉に、愕然とした表情を浮かべる少年だが、彼が仲間だとでも思っていたのだろうか。
だが、わざわざこちらに向き直ったオークの人も、その目線はちらちらとパスタに向かっている辺り、食欲を捨ててまではいられないらしい。
その点、私はと言えば完璧だ。
「くそっ、わかったよ!なら、さっさとリーダー決めようじゃないか!」
「おっと、その前にせめて名前くらい教えてくれないかな?いつまでも君だのオークの人だの言ってたんじゃ話がまとまらないからね」
何故なら……私のパスタはもう冷めているのだから。
いくらでも時間をかけてやる。そう、いくらでも、だ。
「お前、本当にこの……俺はアルト!赤毛のアルトと呼んでくれ!」
「赤毛の……」
私とオークの人は、顔を見合わせた。
彼の顔付きは明らかに人の物とは違っていて、ひたすらわかりにくい。
しかし、この時だけは私ははっきりと彼の考えている事が理解出来た。
すなわち、
"そっとしておこう"
である。
爺のように(自分で言うには)武勇轟く武将には、自然と二つ名が付けられるらしい。
そう、自然にだ。
間違っても自称する物ではない。
しかし、爺の二つ名が親指て。
親指て(笑)
まぁ親指(笑)に比べれば、赤毛の方がよほど恰好いいではないか。
歴史書を紐解けば、赤毛と呼ばれた武将は結構いたはずだ。
元は金髪だったのに血に塗れ過ぎて赤く見えた、とか物騒な逸話の"赤毛"のクリフトだの、そういうのばかりだった気がするけど。
「俺、オーギュスト。オーク」
「おいおい、なんだよ。俺みたいになんつーかこう……偉大なる夢?みたいな?そういうのを掲げる勇気っていうの?そういうのあれよ。ここから始まる……なんかあれがさ。わかるだろ?でも、オーギュストって名前かっけーな」
なんだろう、アルトくんが一周回って可愛く見えてきた。
彼はもう少し語彙を増やしてもいいと思う。
「では改めて。私は」
「いいよ、お前は。さっき言ったろ」
このいちいち突っかかってくる感じも、慣れてきたら悪くない気がしてくる。
「ではリーダーを決めるわけだけど……まぁ多数決はないよね。みんな、自分に入れるでしょ?」
「当たり前だろ!」
「そうだな」
二人とも、どこの誰だかわからない相手に自分の運命を預けるタイプとはまったく思えないし、私も目的がある以上、ここで譲ろうという気はない。
「ではまずどうやってリーダー決めるかだけど」
「殴り合う。俺、勝つ」
「反対反対!そんな決め方をしたら、確実にあんたが勝つだろ!絶対反対!」
「そうだね、私も反対だ」
オークであるオーギュストは体格が違い過ぎて、何かもう存在が卑怯とすら思えてくるレベルだ。
このごつい拳で殴られたら、なんて考えたくもない。
「しかし、手っ取り早い」
「君は私達を率いるリーダーになりたいのだろう?今ここで殴られても、私もアルトくんも絶対に従わないよ。その時、どうやって君は"自分はリーダーに相応しい器です"と言うつもりなんだい?」
「む……」
「私達に必要なのは納得だと思うね。"こいつがリーダーに相応しい"という納得ではなく、"こういう決め方でなら、まぁとりあえずはリーダーにしておいても納得出来る"という程度の納得だ」
「ふむ、わかった」
「……んー?」
オーギュストは一定の理解の色はあるようだが、アルトくんは明らかに理解出来てなさそう。
思い切り首を傾げているが、そんなにわかりにくかっただろうか、私の話。
「とりあえず喧嘩とか一人が絶対に勝っちゃう決め方じゃなくて、全員に勝ち目のある決め方をしようって話でね?」
「あー、なるほど……いやいやいや、わかってたから!わかってたから!」
「そうだね、うん。わかってるよ」
オーギュストも深く突っ込んで来たりはしなかった。
そういう優しさが、ここにはあった。
「で、だ。二人とも早く決めて、さっさとご飯食べちゃいたいでしょ?」
「……うむ」
「うん……」
彼らが忘れていただろう食事に、目を向けてもらう。
(私のパスタとは違い)彼らの目の前にあるパスタは湯気の勢いこそ弱まってきたが、それでも如何にも美味しそうな匂いをむんむんとさせている。
バターとあさり、この美味しいに決まっている組み合わせが開いた貝の中で混然としている様子は、もう食べずにはいられないだろう。
私の死んだあさりと冷えたバターとは違い、とても……そう、とても美味しそうだ。
「全員に勝ち目のありそうな、気合と根性で何とかなりそうな勝負……長距離走で一番最初に目的地に着いたら、その人がリーダーという事でどうかな?」
まだ身体の出来上がっていない私がまともに出来る事なんて、せいぜいお勉強くらいだが間違いなく二人は納得しないだろう。
そうなると身体を使う事でしか決着を付けられないが、短距離なら恐らく体格差で負けるし、私がまともに勝負の土俵に乗ろうと思ったら、長距離走くらいしかないのだ。
「じゃあ、それで」
「俺もいいぞ!」
リーダーの決め方が決まった所で、彼らは即座にフォークを握った。
もう待ってはいられない、とばかりにパスタにかぶりつく彼らを見て、私は自然と笑顔になる。
昼食を食べた直後のマラソン、楽しみですね?