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後日談

 シラノは快男児である、と自分で心から思っている。

 鍛え抜かれた筋肉に、ぴしりと整えられた金髪は娘達の憧れの的に違いない。

 まぁ少しばかり金はなく、マントの裾が擦り切れていたのするが、そこはまぁハンサムなマスクでご勘弁いただこう。

 剣を取れば国士無双、これまで何度も行った決闘も負け知らずだ。

 そんなシラノも許せない事が、いくつかある。

 一つはシチューにカブを入れる事、これはとてもよろしくない。

 シチューの中に入ったカブの食感は、二十二歳になった今のシラノからしてもとても耐えられる物ではなかった。

 水分が多く、何だかはっきりしないカブの食感はとてもとてもよろしくなく、幼いシラノが目に涙をたたえ(恐らく、と言う必要もなく愛らしい子供だったはずだ。だというのに)絶対にやめてくれと言っても母親は絶対にやめてくれなかったものである。

 もう一つは高慢ちきな元上司だ、くだらない事でねちねちとシラノを責め立て、いざシラノが戦功を上げてみれば自分の物とするあの元上司だけはいつか絶対に殴ってやろうと固く心に誓っていた。

 あの貧相な顔によく似合っている貧相なチョビ髭を引っこ抜いてやれば、どれだけすっきりする事だろうか。

 そして、最後にもう一つ。


「よう、"十分の一"のシラノじゃないか。今日は非番じゃなかったのか?」


「……うむ、今日は見物よ」


 十分の一のシラノと呼ばれる事だ。

 ハラワタが煮えくり返りそうになりながら、シラノは顔見知りの兵士に返事を返した。

 にやにやと笑う目の前の兵士はと言えば、赤を主体にした軍服、緩み一つ見当たらない装具に長槍と、完全武装である。

 遠くの柵の向こうには、銃を担いだ連中三人一組で隙なく見物人達を監視していた。

 気付かれないように視界の端で数えてみれば、人の背丈よりも高い柵の向こうには百人ばかりの兵士達が完全武装で油断なく警戒している。

 ははあ、これは厄介な物だぞ、とシラノは内心唸った。

 シラノには目的がある。それはこの兵士達からすれば受け入れられない、というよりも彼らの目的からすれば真逆の代物だ。


「諸君、我々は勝利した!」


 その中央で、声を張り上げる一人の男がいた。


「この既得権益にしがみ付いていた豚は、我々に敗北した!何故か!それは我々に正義があったからである!彼が悪だったからである!国家の敵はこうして吊られる運命にあるのだ!」


 細い杖を振り上げ、"それ"にばしばしと叩きつける姿は如何にもわかりやすい。

 目を血走らせ、醜く唾をまき散らしながら怒鳴り声を上げる宣伝官の語り口はいかにも野蛮で、シラノの趣味からすれば話にならなかった。

 そこに美はないのだ。

 快男児にして美を知る者を自認するシラノからすれば、あの宣伝官のやり口は到底耐えられる物ではない。

 確かに集まっている民衆という愚かな羊達に、どんなバカでもわかるように語るのは確かに正しいのだろうが、それはそうとして気に食わん。


「なあ、貴様には貸しがあるだろう?」


「……いつの話だよ、ポーカーの貸しなら返しただろ」


 そんな切り出し方をしたシラノに、兵士は露骨に嫌な顔をした。

 彼は知っているのだ、シラノが軍を追い出され、今では女の家を転々としている事を。

 金を貸りに来たとでも思ったか、この大馬鹿者め。


「いや、そうじゃあないんだよ。我輩が言いたいのは」


 さて、ここから快男児にして美を知る者、それでいながら弁舌の冴え鮮やかなシラノの独壇場である。

 口先で何とか柵の内側に入り込み、さらりと目的を達成するのも、シラノほどの男であれば容易い事のはずだ。


「我輩達はジャン・ジャックに借りがある」


 おや?とシラノは思った。

 シラノが如何に反省し、大統領閣下にどれだけの忠誠を誓っているかを伝え、鮮やかな弁舌で騙くらかしてやろう、と考えていたはずが、どういうわけがシラノの口から洩れてきたのはまったく別な言葉だ。


「……おい、今なら聞かなかった事にしてやる。あの宣伝官殿はとんでもないサディストだ。聞かれたら無位無官のお前を庇ってはやれんぞ。あんたの元上官殿もいるんだからな」


「いいや、黙っていられるものか」


 口を開いてみれば、どうにも具合が上手くない。

 言われて視線を動かしてみれば、あの貧相なちょび髭の姿があったが、それはもう気にならなかった。

 シラノほどの大人物であれば、あのような小物に思い煩っている無駄な時間は存在すべきではないのだ。

 もっと大事な物が、シラノにはある。

 腹の底に溜まった熱い物に気付けば、こそこそと声を潜めるのも馬鹿らしい。


「我輩達はこんなちんけな物のために戦ったのではないはずだ!」


「おい、シラノ……!」


「我輩は正々堂々と戦ったはずだ!ジャン・ジャックという偉大なる敵を相手に!」


 そう、あの偉大なるジャン・ジャックとシラノは戦ったのだ。

 地獄のような黒馬にまたがり、颯爽と戦場を駆けるジャン・ジャックは敵ながらまさに天晴れであった。

 どれだけの銃士隊の戦士達が彼の前に散って行ったか。

 ジャン・ジャックを討った最後の決戦、近代化された四十万の革命軍を前に威風堂々とした単騎駆けはまるで英雄譚の中から現れたかのように見事だった。

 いっそ敵ながら見事と言うしかなかったほどである。


「百万の貴族の雑兵どもを恐れずとも、我々はジャン・ジャックを!そして、ドワイトだけを恐れた!」


 革命軍の前に立ちはだかったのは、いつだってジャン・ジャックだ。

 ジャン・ジャックがいなければ、そう思った事のない者は革命軍には一人もいなかったはずである。


「貴様、王権派か!よくも負け犬がおめおめと顔を出せたものよ!」


「何をぬかすか、宣伝官!我輩は誇り高き大統領付き銃士隊シラノである!貴様のように戦場の後ろで金貨を数えていた臆病者とは踏んだ場数が違うわ!駆けた戦場は数知れず、大統領閣下と共に飯を食った事とて何度もある革命軍の中の革命軍よ!」


 と、いつの間にか集まっていた民衆が、シラノの周りから少しばかり距離を置いていた。

 柵の向こうではいつの間にやら銃士達が弾込めを始めており、こいつは少しばかり不味い事になりそうだと気付いたが、これで止めるのなら快男児の看板は下ろさねばなるまい。

 元上司殿は火にかけた鉄鍋のように赤く染まり、宣伝官殿も控え目に言って仲間を見る目では無くなっている。

 まぁこのような小物どもを仲間とした事は、快男児にして美を知る者、弁舌鮮やかなシラノの人生で一度として無いのだが。


「ジャン・ジャックは卑怯をなさなかった。それどころか、国の盾としてあり続けたのだ。それは諸君らも知っているだろう」


 シラノはここでさらりと作戦を変えた。

 相手をやり込める議論とは、あまり上手くない。

 何故ならば、相手の脳みそに理解出来るように話を並べなくてはいけないため、相手が小物であるのならばひどく見苦しい物になるのだ。

 今、語りかけるべきは小物の宣伝官でも貧相なチョビ髭の元上司殿でもなく、無力で哀れな民衆達である。

 だが、彼らが規律と誇りを学べば、シラノほどではなくとも勇士として立つ事はシラノはよく知っていた。

 シラノが語りかけるべきは、民衆であり、兵士達である。


「確かにジャン・ジャックは志を間違えた。我々革命軍の崇高な志に賛同してくれれば、どれだけ流れる血が少なくなっただろうか。だが……だがな」


「おい、シラノ!貴様よくもワシの前に顔を出せたものだな、こっちを向かんか!」


 シラノは柵に背を向けた。

 すでに弾込めは終わっているだろう銃口の前に、背を向けた。


「我々は、正々堂々と戦った!あのジャン・ジャックと!」


 殺意は、無い。

 宣伝官と上司を除けば、銃口から伝わる殺気は感じられなかった。


「ジャン・ジャックは正々堂々と戦った、この我々と!」


 最後の瞬間、ジャン・ジャックは笑っていたのだ。

 本陣だけでも万を数える敵の中、たった一人で大統領の喉元までその刃を突き付けてみせた恐るべしジャン・ジャック。

 彼がシラノの刃を避け切れず、どうと地面に落ちる瞬間、確かにジャン・ジャックは笑っていた。

 事ならずとも、力一杯戦い抜いたとばかりに笑い、ジャン・ジャックはシラノに討たれたのだ。


「我輩は十分の一のシラノだ!あのジャン・ジャックを倒した一人だ!」


 大統領は、ジャン・ジャックに金貨十万枚を賭けた。

 ちんけな小物がいくら遊んで暮らそうと、一生かけても使い切れないような大金である。

 そして、戦後シラノに渡された金貨は一万枚だった。

 シラノがジャン・ジャックを仕留めた後、群がるようにして襲いかかってきた九人と、シラノは同列と思われたのだ。

 この人ならば、とシラノが信じた大統領閣下は、どうやらシラノと、シラノの力を信じてくれなかったらしい。

 疲れ切ったジャン・ジャックを十人がかりでようやく倒せる程度でしかなかったのだと、その程度の価値しかシラノは認められていなかったのだ。

 いやはや、何と情けない話か。だがしかし、万全のジャン・ジャックをたった一人で倒せるとは、如何にシラノという稀代の快男児でも言い切れぬ。

 だから、ぐちぐちと訴える事なく、その場で軍を辞め、その足で歓楽街にもらった金貨を全て投げ捨ててきた。

 文字通り浴びるようにして飲んだ酒はひどく不味く、シラノを十分の一と呼んだ連中をことごとくぶちのめしてきたのだ。

 だが、この場でそんな小さな事に思い悩むのは、シラノではない。

 このゴミのような二つ名とて、十全に使ってみせようではないか。

 それこそが快男児シラノがこだわるべき、成すべき事だ!


「十分の一のシラノが保証する!ジャン・ジャックは卑怯者ではない!死んだ敵を辱め、自分は勝ったのだと誇るような小物ではなかった!」


 ああ、そうだ。

 ジャン・ジャックはいつだって颯爽としていた。

 革命軍が現れる前、ジャン・ジャックはいつだって国の盾としてあったのだ。

 たった五千の、ジャン・ジャック率いるドワイト軍が現れれば、卑怯な共和国も帝国軍もフライパンで炙られるバターのようにあっという間に溶けて行った。

 男として志を抱いたのなら、ドワイト軍か当時は公爵だった大統領の下に行くべきだった。

 選んだ先は公爵親衛隊。選んだ理由に優劣はなく、あえて言えばシラノの故郷から近かった程度の差でしかない。

 正義とは、男とはかくあるべし、とシラノはジャン・ジャックに憧れていたのだ!

 大統領に、シラノは憧れていたのだ。


「見よ、諸君!我々の偉大なる好敵手の今の姿を!あの颯爽たるジャン・ジャックはどこにいる!」


 それは、磔にされた死体だった。

 服は剝ぎ取られ、無数の弾痕の残る肉体に人の皮は見当たらない。

 指先に爪は一本もなく、そのすべてがおかしな方向に曲がっている。

 むき出しになった眼窩、ちょん切られた男のシンボル、どれだけの残酷性が発揮されたのか、シラノは考えたくもない。

 考えたくもなかった。それを成したのが革命軍なのだと。

 シラノが青春と情熱を賭けた、あの素晴らしき革命軍はどこにもないのだと、信じたくはなかった。


「我輩が討ち取ったジャン・ジャックはこんな事にはなっていなかった。我々は……革命軍は死体となったジャン・ジャックをこんなにも無残な姿にしてしまった。あの偉大なる好敵手を貶めたのだ。……それはあまりにも情けないじゃないか。

 我々を苦しめた悪徳貴族なら我輩とて憎さのあまりに石の一つでも投げ付けよう。だが、ジャン・ジャックが何をしたというのだ!」


 彼はただ、戦い続けた。

 どんな戦場でも、ただ国の盾として。

 護国卿ジャン・ジャック・ドワイトとして。

 シラノは、すでに語りかけるべき民衆を見ていなかった。

 ただ懇願していた。


「だから、兵士諸君。あの恐るべしジャン・ジャックを忘れていないなら道を開けてくれ。我々が戦ったジャン・ジャックを素晴らしい敵だと覚えているのなら、せめてこの一枚の服を彼に与えさせてくれ」




















 かくして道は開かれ、その報告を受けた大統領ソウジ・クラウドは無言を貫いたと伝えられている。

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