タイトル一文字。 同音異字から連想する物語、あいうえお順に書いてみた。
「え」 -絵・会・得-
あ行
休日に美術館などに行ってみた。退屈でつまらない所だけど行ってみた。
絵画の良し悪しが分かんないあたし、行く理由は不純だ。
名画を見ておこうとかいうミーハーな気持ちさえもない。
なんでも誰の絵でもいいから観にいきたかった。
ただ美術館行くことに意味があった。
テキトーに検索してとりあえず来てみた近場の美術館。
見たこと無い絵、ぜんぜん知らない画家。
たぶん絵を描く人には知られた人なんだろうけど、あたしには全く分かんなかった。
美術館に来るということは、負けを認めたからこそ赴いたある意味自虐的な行為だけど、
知らない人に「絵をわざわざ見に来る人」に思ってもらえるある種の自慰行為でもあった。
絵を見るのが好きなのと知的な芸術家ぶっている女に負けたから。
好きな絵の話をする彼女は素敵だよと彼は自慢げに微笑んだ。
負けたといっても取られたわけじゃなくて、彼があたしを選ばれなかっただけ。
もちろん「知的な芸術家ぶっている」のはあたしの主観でしかない。
誰が見ても、むこうの方がいい女かもしれない。
だけど、分からないから悔しかった。
「絵を見るのが好きなの」と言う人の思考回路、感覚神経。
あたしは絵なんか描けないし、絵を見たところで感動できない。
絵ってやつは描くだけじゃなくて見るのにも才能も必要らしい。
写真と見間違うほどの写実的な絵とか、ものすごく大きい絵や逆に緻密な小さな絵には、
ある種の驚きを覚えることはある。それは「技術」への賞賛であって絵を見て感じるのとは違う。
風景とか果物とかも「なんで描こうと思ったのかな」と思ってしまうほどつまらない。
いわゆる抽象画はもうあたしの脳みそじゃ処理できない。
あれを「いい絵」とか言っちゃう人って、絶対「分かっていると思われたい」だけなんじゃないかと
疑ってならない。何かを感じるといっている人の反応は、インチキ霊能者と変わらない。
その上、この絵の背景は~とか美術史まで切々と語れる人は、なんなんだと思う。
彼の選んだ女は、なんなんだ。
この感情は、僻みなんだということは知ってる。
だから、そういう人ぶってみることで最大限にバカにしたい気分なのかもしれない。
捻じ曲がった気持ち。
憧れて真似るとか言えない敗北者の強がり。
あたしが理解できない世界の領域をもった女への無駄な挑戦。
しかし、この挑戦は意外と体力を使うものだったのでバカにはできない。
絵を楽しむ人のための静寂空間は、ものすごい疲労感をつれてくるのだ。
出口付近のギャラリーショップで、あたしは一息ついた。
「そんなにつまらなかったかい?」
「え?」
ソファに座ると、既に座っていた隣の中年男が声を掛けてきた。
うちの父親とは違う、あたしが敵対する領域に住まう空気を漂わせる「画家風なおじさん」
声を掛けられてもそんなにウザイとは思わない、ちょっとダンディな「おじさま」
その洗練された装いから奥さんはずっと年下なんじゃないかと勝手に想像してしまう。
「君、社会科見学で無理やりつれてこられて退屈している小学生みたいで目立ってた」
「そうですか」
「大学の課題か何か?」
だいぶ前に大学を卒業したあたしは、学生に思われたのが少しうれしくなってしまった。
「いえ、ただ、なんでもいいから絵を見たかったんです。絵が好きな人の気持ちを理解したくて」
「へぇ、それで分かった?」
「全然」
「だろうね」
おじさまは、得意そうに笑った。
「難しく考えすぎなんじゃないのかな」
「え?」
「絵が本当に好きな人は、絵だから好きなわけじゃないと思うよ。好きな形が絵だった。それは人を好きになるのと同じじゃないかと、僕は思うよ」
「同じですか」
「そう。一目惚れが多いけどね。出会った瞬間に電流が流れるみたいな感覚似てると思うよ」
「絵に?」
「そう。それでもっと見ていたい、知りたいって思う。見返りなど求めずにね」
おじさまは不適に笑った。
「あなた!」
おじさまの企みを潰す勢いで後ろから小奇麗な奥さんらしき人が来た。やはり年下の美人。
「また、若い女の子に声掛けて。ごめんなさいね、ほら、行くわよ」
奥さんはおじさまをしかりつけ腕をひっぱりながら、あたしに軽く謝って去っていった。
振り向いたおじさまはお茶目に手を振る。
あたしは振られた腹いせで勘違いしていたかもしれない。
別に絵が好きじゃなくても、あの女は愛されていただろう。
愛し方に惚れられたから。
見返りを求めずに、あたしは誰かを、何かを愛すことができるだろうか。
つまらない美術館だけど得るものはあったかもしれない。