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「一を知って百を知る、って、できると思うかい。お前さんは」
カーペット敷きの廊下に男が2人いる。1人は白髪で1人は黒髪だ。前者はオールバック、後者は肩より下の長さの髪をひとまとめにしていた。
ハイルと左々田だ。
ハイルはドアノブの上にあるロックに繋いでいたコードを抜き取り、ゆっくりとドアを押す。手早くコードとナイフをポケットの中で交換すると、ドアの向こうに入っていった。
「無理、だと思いますが」
続きつつ、いう。
静かにドアを閉め電気をつけた。
「どうして?彼はそれができると俺は思っちゃうんだけどねぇ」
「無理ですよ。そりゃ彼の〈演算器〉は処理が速いでしょうよ、なにせJ&MのI.I960のカスタマイズなんですから。でも彼の脳自体はどうでしょうね」
「辛辣だねぇ」
部屋はまだほとんど使われていないようだ。キャリーケースも開けられておらず、ベッドに乱れはない。面倒だねぇと内心呟き、未開封のそれを手に取る。
〈演算器〉を使い、指紋、種類などをスキャンする。それを左々田と共有し、左々田も同じようにしてクローゼットの中身を眼に映した。
2人はこうした情報収集に出向くことが多い。故にスキャニングソフトをダウンロードしている、そしてそのソフトは警察の鑑識課からパクってきたもので、
「故に精度は文句のつけようなし、なんだけどなぁ」
そうぼやく。
理由は
「見えませんか」
「いんや?そりゃもうバッチリ見えるよ、改ざんされたデータが。しかもソフト使ってだぜ?ったく、用意周到だこって」
「なんですかそれ。くそウザい。ロクな連中じゃないですねきっとミジンコ以下ですよ主に知能が。いやでもスキャニングソフトですら中和できないのなら少しはまともかもしれませんがどうせクズですよ、クズで決定です」
「お前さんたまに顔に似合わない口調だよね、っと」
キャスター部分にポケットから取り出したライトをあて、接続部を探す。
2001年の対テロ超強化政策の折、トランクや大型バックに持ち主のデータを登録することが義務付けられた。
今では小型化、そして〈演算器〉の普及により〈記録媒体〉に情報は登録され、キャリーケースはキャスター部分やロック部分に、大型の布バックはカード型を収納している。最近ではそれにロック機能も付属させるのが主流だ。
故にハイルはキャスター部分にあるはずのそれを探すが、見つからない。持ち手部分も見るが見当たらなかった。仕方がない、とため息をついたハイルは左々田を手招きし
「回路作れるか?見たとこキャリケ自体は一般に出まわってるもんみてぇだし、多分〈記録媒体〉引っこ抜いただけだと思うんだわ。なら作れんだろ?入り口」
「…あんまり得意じゃないんですけどね」
ジャケットの内側からLANコードを幾本も取り出し、ズボンのポケットから柱状型の〈記録媒体〉を出す。ボタンを押し変形させ、中から配線を抜き取った。
「トランクを漁るのは得策かもしれませんがこれだと……15分はかかりますよ。本当に〈記録媒体〉の影も形もない。非常時用の〈記録媒体〉をあたりますが」
「まぁなんでもいいさ、中身がわかれば。さっきたっちゃんがくれた情報、あんまあてになんなさそうだし…」
それ漁んのだって苦し紛れだし、そう呟き髪をかきあげた。
…実際、石城が死んだのも絶対に坂東がらみ、ってわけでもないし。
石城の異常な外出回数。それが今ここにいる原因だ。日本陸軍では——陸軍だけではないだろうが——外出する際には必ず届を所属する隊の上官に提出せねばならない。
第4中隊ならばまず小枝に許可願いを出し、小枝が大隊の指揮官である桐山少佐へ、桐山少佐から第9連隊の長官であるクウェルフ大佐へ、こういう流れだ。
ここまでにスムーズにいったとしても2週間かかる。そして必ず許可が出るというわけでもない。
故に、1ヶ月に20数回も外に出るのは無理にも等しかった。
先ほど左々田が調べた情報によれば、届けはいきなり坂東へ提出されていたようだ。ということは
…何か握られてた、とか。
妥当なのはやはりそこだろう。
第4中隊が警察の真似事をし始めて以来、”そういうの”の依頼が途切れなかった。意外と部下に秘密を握られている上司は少なくない。
「さて、俺ちゃんは盗聴でも始めますかねぇ…左々っちゃん、ここ回線何使ってんの」
「一般回線を装った軍用回線」
「…めんどっ」
「ハイルよりは楽かと」
「それをいうなら中佐よりも、だろうが」
苦笑しつつサングラスをかける。だがもちろん普通のサングラスではない。むしろ普通だったら怖いよねと思うが、普通であってほしいとも思う。
…ま、軍に入った時点でやばいけど、主に脳味噌。
ツル部分に青字で〈SE〉と書かれたそれは、キースの持っていた〈拡張視〉の両眼版だ。左側にある端子と〈演算器〉をウイルス検出が可能なコードでつなぐ。
さて、と一息つく。そしてすぐに電子の海へと潜っていった。
□
あった。
目端に映る時計はさっきよりも15分先を表示している。
「意外と薄かったな、と」
見つけた回線は坂東付きのSPが使用しているものだ。すぐに印をつけ悟られないよう傍受する。そして〈記録媒体〉を接続、通信を保存、さらに小枝と同期しリアルタイムで内容を送るように設定した。
しかし、と
「こんくらいの侵入に気がつかないとか、大丈夫かねぇ、このSP」
呟く。
SP、それも軍のお偉いさん付きのだ。防壁や〈壊壁〉はもちろんかけてあって、ハイルはそれを中和して傍受しているのだが、
…いくらなんでも弱いよな
少し違和感を覚える。どのレベルの壁を使っているのか見てみれば、数字は1と表示されている。ということは、ここの情報規制障壁よりも低い数値ということで。
そしてそれが意味するのは、SPの回線に誰でも入れるということだ。
ハイルはすぐさま他のSPの回線レベルを調べた。
一般回線、つまり一般人が日常で使う回線の保護レベルは3だ。レベル5から上が主に軍用回線で使用され、政治家の間で使われたりもする。これらは障壁のレベルとはまた違い障壁の方が堅く、防壁などもこれと同じレベルで表す。
故に、ハイルはこれが障壁のレベルであることをある意味願った。
が。
全ての回線を洗い、SPの回線をスキャンしたところ。
「嘘だろ…ていうか、マジ…?」
「どうしました?」
ハイルの呟きに左々田が反応し、尋ねる。無言でデータを左々田に見せれば
「何かの間違いでは?」
「なわけあるかよ。俺がハッキングしたんだぜ?偽物つかまされるかよってんだ」
「ですが、これでは、一般人だって回線に侵入できますよ…」
左々田はデータを見ながらそういう。ハイルが見つけたSP全員の回線は全て保護レベルがレベル1だった。
障壁の中だからといって、これは心もとないというレベルの話ではない。多少ハッキングに詳しければ、いや、少しでもネットがわかっていれば誰でも侵入できる状態だ、いつウイルスに感染してもおかしくない状態だ。
「中佐、今の話、聞こえてたかい」
『ああ、聞こえてたわ。その話、本当なんでしょうね』
「嘘つかないよ。俺は」
『そう、ならいいわ。あなたたちは引き続き部屋を捜索して。私は坂東にまだつく。キース、達也!応答!』
『なんすかぁ、中佐』
『今からハイルにデータを送らせるわ。それに目を通しておきなさい。あと、いつでも動けるように準備しときなさい』
『『了解』』
「ついでに中佐、坂東は今どこにいる?」
『会場よ。食っちゃ飲んで喋って、の繰り返し。変な動きはないわ』
「オーケー。くれぐれも気をつけて、なんかいろいろおかしいからさ」
当たり前だ、と一方的に通信をきられる。
さて、とまた息をつく。
SPの保護レベルは故意なのかそれとも第三者なのか。多分故意だろうなぁと思うが、もう1つの可能性に気がつく。
…第4中隊の誰か、とか。
ありえない話ではない。第4中隊の面々はほぼ全員ネットに強い。ハイルと小枝は桁外れだがその他の隊員だって水準以上の技術を持っている。
だが達也だけ、わからない。
見せられた情報では、ネットよりも実戦の方が得意そうだったが、あの浅義の息子だ。わからない。だが
…仲間は疑いたくないよね
それに達也がそれをする理由はない。ハイルは〈拡張視〉を外した。ほぼそれと同時に、左々田がトランクの入り口を完成させた。