婚約破棄してもなお俺を愛さない元婚約者を、狂う程に愛し続けている
リリアと最初に出会ったのは、父に連れられて嫌々参加したフーリエ家主催のパーティーだった。
表面的な美辞麗句ばかりをあげ連ねたような会話にも、親に媚を売るように支持されて近づいて来る子どもたちのあしらいもうんざりした俺は、一人で会場から抜け出して屋敷内を探索していた。
勝手に扉を開けて入って回った部屋の一つに、リリアはいた。
一人ぼっちで、膝を抱えて泣いていた。
「わたしは、パーティーにいっちゃいけないのです。……もうすぐ、すてられるから」
「シャルロッテがうまれたから、わたしはもういらないって、おとうさまがいってました」
「おとうさまも、おかあさまも、わたしがきらいだそうです。わたしが、みにくいあかいかみをしているから、いけないのです。……だれもわたしをあいしてくれません」
そう言って、涙を流すリリアは、とてもかわいそうで、愛らしくて。
守って、あげたくて。
「しんぱいするな。おまえは、おれがまもってやるから」
誰も愛してくれないと泣いたリリアを、俺が愛してやろうと思った。
たくさんの愛で包み込んで、幸せにしてやりたかった。
優しくしたかった。
大切にしたかった。
――だが。
「ルティアス様。ルティアス様。聞いてください。お父様が、私がルティアス様と結婚をすれば、フーリエ家の紋章が描かれた布を下さると言って下さいました!! 私はルティアス様と結婚すれば、正式にフーリエ家の一員として認められるのです‼」
「きっと、ルティアス様と結婚すれば、お義母様も私を娘と言って下さいますよね? 私の名前をちゃんと呼んで下さいますよね?」
「シャルロッテは、私の結婚の際は、ブーケ用の花を摘んでくれるでしょうか……いえ、きっと摘んで私を祝福してくれるわ。優しく微笑んでくれるわ……ああ。早くルティアス様と結婚したいです」
俺がいくら愛を囁いても、俺がどれほど宝物のように大切に扱っても、リリアの口から出る言葉は、いつだって家族のことばかりだった。
家族に認められ、愛される夢想ばかりだった。
「リリア……お前は、俺のことを愛しているか?」
思わず口から出た問いに、リリアはてらいのない笑みを浮かべて答えた。
「勿論です。ルティアス様。私を愛してくれるのは、ルティアス様だけですから。レドアルド家の跡取りであるルティアス様に愛されて、私はようやく皆に受け入れて貰えるのです」
俺の価値は、お前を愛していることと、高い身分、それだけなのか。
喉元まで出掛けた言葉は、音にならずに、どす黒い塊になって胸の中に落ちて沈んで行った。
愛してやりたい。
幸せにしたい。
優しくしたい。
大切にしたい。
――ああ、だけど、もっと。もっと俺を見て欲しい。
もっと俺のことを、俺だけのことを求めて欲しい。
どうして、俺を見ない? どうして、俺を求めない?
俺はお前を、こんなにも愛して、求めているのに……!!
胸の奥に沈んだ塊は、時が経てば経つほど肥大し、一層その色を濃くしていった。
リリアといると胸が苦しくて仕方がなくて、もういっそ他の女に心を移してしまおうかと思ったこともあった。
だけど、誰といても、誰と言葉を交わしても、俺が想うのはリリアだけで。
ただ、リリアだけが、愛おしくて。
日に日に俺の中で何かが、壊れて行くのを感じていた。
「リリア――お前との婚約は、今日かぎりで破棄する」
そう告げたのは、一種の賭けのつもりだった。
俺が婚約破棄をすればフーリエ家の屑どもは、すぐにリリアを放り出すだろう。
家も家族も失ったリリアが、俺を縋ろうとするかが、知りたかった。
もし、リリアが俺に縋って来たら、捨てないで欲しいと泣きついてきたら、俺は謝るつもりだった。
婚約破棄なんて嘘だと。お前を傷つけるフーリエ家から、完全に引き離したかっただけなのだと、正直に白状して許しを請うつもりだった。
そして、傷つけた分、めいっぱい幸せにしてやるつもりだった、のに。
リリアは俺に縋るどころか、あろうことか行きずりの男に身を任せようとしていた。
その瞬間、俺の中で決定的に何かが壊れたのが分かった。
その程度、なのか。
結局お前にとって俺は、今までずっとお前だけを愛し続けた俺は、ただ一度の拒絶だけで諦められてしまうような、その程度の男だったのか…!?
お前を愛することをやめた俺は、泣いて縋る価値もないというのか…!?
俺はずっと…初めて会った時からずっと、ただ一度も俺のことを愛したことがないお前を、愛し続けたというのに…!!
知っていた。
分かっていた。
リリアは、俺を本当の意味で愛したことなど、一度もないなんてこと、とっくに気が付いていた。
俺はただ、リリアにとっては自分を愛してくれる都合が良い男に過ぎなかった。
リリアは、他人に愛を求めるばかりで、自分から人を愛することを知らない。愛そうともしない。そのことに自分で気が付いてすらいない。
結局リリアが愛し求めているのは、自分を愛し求めてくれる人達で、詰まる所は愛されている自分自身でしかなかった。俺という個人なんて、見てもいなかった。
愛を知らない、哀れで残酷な、俺のリリア。
俺はお前が悲しくて、愛おしくて、憎らしくて堪らない。
それでもいいと、思っていた。
リリアが俺を愛してくれないのなら、その分俺がリリアを愛せばいいと。
そして唯一リリアを愛す俺だけに、リリアが愛を求めればそれでいいと、そう思っていた。
そう思って愛されることなんて、とおの昔に諦めていた。
だけどリリアは俺がどれほど愛を注ぎ続けても、リリアをけして愛さない家族の愛を求めることをやめない。
俺が心から告げた真実の愛の言葉よりも、家族から与えられる虚実に溢れた偽りの愛の言葉を求める。それが本物ではないことなど、自分が一番知っているだろうに。
――ならば、もういい。
お前が俺だけに愛を求めることがないというのならば、俺はお前の周りから、お前が愛を求める人間を全て排除する。
暗い地下室に閉じ込めて、もう俺以外誰にも会わせない。
俺しかいなければ、お前は俺しか見られないだろう?
俺だけにしか愛を求めないだろう?
愛してやる。
幸せにしてやる。
優しくしてやる。
大切にしてやる。
俺だけしか入れない部屋の中で、いつか死が分かつその瞬間まで、永遠に……‼
お前の世界の中には、ただ一人、俺だけがいればいい。
「愛してください。私が、死ぬまでずっと、愛して下さい。そうして頂ければずっと、私はルティアス様だけを愛し続けます。ただルティアス様だけのものとして生きていきます」
必死に俺を求め、しがみつくその腕の感触に歓喜する。
――ああ。愛しいリリア。
これでお前は俺だけのものだ。
ようやく、俺だけのものだ。
「愛しい、リリア。……これでお前は、俺だけのものだ。お前は一生、ただ俺だけのことを思っていればいいんだ」
そう口にした瞬間、頬に伝ったものは、一体なにだったのだろうか。