第1話『穏やかな日常』
『お兄ちゃん、起きて!ねぇ、ご飯ができたからうちに来て!』
『うぅん・・・』
俺は不機嫌そうな声を出して寝返りをうつ。だが、ガバッという音と共に毛布をはぎ取られ床に転げ落ちる。
『痛ててて・・・なにすんだよ!イリア!』
『なにすんだじゃないわよ!もうこんな時間よ。早くしないと学校に遅れちゃうわよ』
俺の目の前に立っている少女が頬を膨らませながら時計を突き出す。
なるほど、確かにゆっくりとはしていられないようだ。
『わかった。わかった今制服に着替える』
『5分以内でね!じゃ、待ってるからね』
ビッと言い放ち去っていく。
今の少女の名前はイリア。俺のことをお兄ちゃんと呼ぶが血縁関係があるわけではなく、家が向かえ同士で、たまたま俺が一つ年上だったのでお兄ちゃん的存在となり、その名残で未だに
「お兄ちゃん」と呼ばれ続けている。
アレックスにいわせると美少女の部類に入るらしいが俺にとっては口やかましいだけだ。
着替え終わると向かえのイリアが住んでるローリー家へとむかう。
とある事情で俺の家には親がいないので大抵の朝夕はここでお世話になる。
『おはようございます』
『あら、おはよう。アーサー。夕べはどうしたの?あなたのご飯も用意してたのに』
『おはようございます。マージさん。すみません、昨日はアレックスのバイト先で済ませてきてしまいました』
申し訳なさそうに頭を下げる。この人はイリアの母親のマージさん。いい年のはずなのに未だに女学生のような外見を保っている奇跡の人だ。因みに、普段は優しいが、うっかり、
「おばさん」と呼んだとき夕飯が明らかに減らされたことがある、取り扱い注意の人でもある。
『あらそうだったの?遅くなるなら連絡をくれればいいのに。あんまり遅いからあなたの分も私がたべちゃったのよ?太ったらどうしてくれるの?』
イタズラっぽく微笑みながら言う。どうやら怒ってはいないようだ。少しホッとする。
『いやー、そんな。全然スタイル変わってないですよ。実はイリアのお姉さんなんじゃないですか?』
『嬉しいこといってくれるわね。ベーコン二枚追加ね!』
よし!これで昨日の無礼は帳消しだな。いや、プラスがついたみたいだ。
『もうお兄ちゃん。お母さんにおべっか使ってないで早く食べなさいよ!』
イリアがぷりぷりしながらこっちを睨み付けている。
『なんだ妬いてんのか?お前?』
『ちっ、違っ・・・』
顔を赤くして否定しようとするが俺は反論の隙を与えない。
『よしよし、お兄ちゃんが悪かった。イリアもかわいい、かわいい。大きなお目目も腰まであるロングヘアーもお人形さんみたいですねー。特にその胸、まるで小学生みたいでかわい・・・』
ぐさり。手の甲にフォークが突き刺さっている。
『ぎにゃーーー!!』
フォークが抜けピューと血が吹き出る。床を転げながら上をみると鬼の形相をしたイリアが今度はナイフをもって立っている。
こ・殺される・・・そう思ったその時、
『うーん、朝から騒がしいね。どうしたんだい?』
『カ、カイおじさん!助けてくれ!イリアに殺される!』
俺はおじさんの背中に隠れる。
『ええ!イリアに!あぁ、アーサー血がでてるじゃないか!マージ救急箱を。イリア、アーサーは食べ物じゃないんだぞ?ナイフとフォークをしまいなさい』
『だってだって、お兄ちゃんが・・・』
泣きそうな目で俺を訴える。それをカイおじさんが諭している。
その間に俺はマージさんに手当てを受ける。因みにこの人は俺が襲われている間ずっと眺めて笑っていた。おじさんありがとう。マジで。
『さぁ、何があったかしらないけど朝ご飯にしよう』
この人はカイおじさん。イリアの父親だ。何でも小説家をしているらしく、不規則な生活になりがちで朝見かけることはまずない。この騒ぎがなければ起きてこなかっただろう。
小説は結構売れてるらしく、ローリー家の暮らしは上の下といったところで、うちの生活費まで払ってくれるばかりか、学費まで負担してくれているのにまだまだ余裕あるみたいだった。
『アーサー、イリア。もう時間なんじゃないの?』
『ええ!本当だ!お兄ちゃんもういくよ!』
『ま、待て、まだ一口も・・・』
『うるさい!行くよ!』
俺の手を掴み玄関まで引っ張っていく。結局朝飯を食べることはできなかった。
『なぁ、まだ怒ってんのか?』
家をでてから一言も口を聞かないイリアに恐る恐る声をかける。
『ふんだ!わたしだってちょっとは育ってるんだから』
『そうか?変わってないように見えるぞ?』
今は9月、新学期が始まって間もなく、まだ残暑が厳しいため制服は薄着の夏服だが、それでも体のラインは目立たず、その容姿は身長も相まって、その手の人向けに見える。
『育ってるもん!だったら今ここで見せてあげる!』
そういって脱ぎだそうとする。
『ば・馬鹿・・・外だぞ!』
必死で押さえつけなんとか落ち着かせる。幸い人は見てなかったようだ。
『だって、だって。お兄ちゃんがずっとバカにするから・・・9月から同じクラスになったのに…』
目にうっすらと涙を浮かべている。今にも泣きだしそうだ。
マズイ、からかいすぎたかな。
『ゴメン、ゴメン。俺が悪かったよ!な?お前はマージさんに似て将来絶対グラマー美人だ!』
そこまで言ってようやく破顔の笑顔で頷いてくれた。
俺たちの通うウエストミンター学園は4つのキー・ステージに分かれていて、ステージ1は6〜8歳
ステージ2は9〜11歳
ステージ3は12〜14歳ステージ4は15〜16歳となっていて、俺は今月から最終学年となる(イギリスは9月から新学年になる)。俺とイリアが一つ違いなのに同じクラスなのはこういった制度のおかげだ。
校門を通り抜け中庭にでると眼鏡をかけた背の高い少年がベンチで読書をしていた。
『よう。ギル。』
『ああ。おはようアーサー。それとイリアちゃん。ん、どうしたの?目が赤いけど』
『え?あぁ、な、なんでもないの!おはようギルさん』
イリアは目をこすり、顔を赤らめている。その様子が可笑しくて俺はクスリと笑う。
『それより!昨日の夜アーサーと何してたんですか?悪いことはしてないですよね?』
イリアは人前ではお兄ちゃんではなくアーサーと呼び捨てにする。それにしてもまだ疑ってたのか・・・
『何もしてないよ昨日は。ヒルダさんの店でくつろいでただけだよ』
『昨日は?じゃあその前はまたケンカしたのね?』
ギルは失言だったかと顔をしかめる。
『もういいだろ!イリア。早く教室にいくぞ』
俺はギルに執拗に問い詰めるイリアを強引に教室まで引っ張っていく。
『よくないわよ!ケガしてからじゃ遅いんだよ!』
教室の前にきてもまだわめいている。
そこに二人の女子が寄ってくる。
『あはは。またやってるの?あんたたち。イリアちゃんもこんな奴が幼なじみだと大変だねぇ』
俺と同じ位の身長がある赤毛のショートヘアの女が笑っている。
こいつはサンディー。バレー部のキャプテンで俺たちの遊び仲間の一人だ。
『アーサーくんとギルくんもちゃんと連絡をしないと駄目だよ?心配してる人がいるんだから』
もう一人はブロンドの髪を肩まで伸ばしているサンディーとは対照的におとなしいオードリーだ。一応生徒会副会長でもある。
『もうそのことはわかったって』
俺は不満そうにいう。
『どうだかねぇ。あんたスイッチはいると見境ないからねぇ』
『俺だって見境なしにやってるわけじゃねえよ・・・』
『そうだよね。アーサーくんは弱い人をみると放っておけないんだよね』
『オードリーの言う通りだよ。イリアちゃん!僕もアーサーに助けられたんだよ』
眼鏡をしたひ弱そうな少年が話しに割って入ってくる。
『なんだ、イスカリオット。いたのか?』
『ずっといたよ。ひどいなアーサー』
こいつはイスカリオット去年いじめに遭っていたのを助けた縁で俺に妙になついている。
『まぁ、相手は全治1ヶ月の大ケガをしたけどな』
『うるせぇぞギル。そんだけで済んだんだからいいだろ』
『いーや!俺とアレックスが止めに入ってなかったら相手は確実に二度と立てなくなってたな』
『もう、だから嫌なのよ。昔みたいなのはもう嫌だから・・・』
一瞬、重い空気が流れる。だが、イリアが自分でその空気を明るくしようとする。
『あ、そうだアレックスさんは?今日も遅刻?』
『あー、あいつは、まーたきてないのか』
サンディーが呆れたような口調で言う
『これで今週2回目ですね・・・何かあったんでしょうか?』
『オードリー、心配しなくていいぞ。昨日ヒルダさんにこき使われてたからな、まだねてるだけだろ』
『そんなとこだろうな』
『あ、先生来たよ』
イスカリオットのその声でみんな各々の席に着く。
『よし!昼だ!』
俺たちは中庭の一番日当たりのいい場所を陣取ろうと俺とギルは先に中庭に降りていくと、その場所には既に先客がいた。
『おい、あれ・・・』
『うん?アレックスじゃないか。』
『よう。いい朝だな!』
『もう昼だ馬鹿!』
『細かいことは気にするな!それより他のやつらは?』
『女の子はトイレ。イスカはコインで負けてパシリ』
ギルが答える。
アレックスは身体がでかく金髪を刈り込んでいるため見た目はいかついが中身はいいやつだ。バカだが。
たわいない会話をしていると女子3人がやってくる。
『あれーアレックスいんじゃん』
『おはようございますアレックスくん』
『こんにちはじゃないですか?オードリーさん』
『おお今来た。なんだ俺がいなくて寂しかったのか?みんな』
『いっぺん、死んでみる?あんたのことなんか待ってないわよ』
みんなで話しをしているとイスカリオットが大量の食料を手に下げてフラフラしながらやってくる。
『買って来たよ全員分・・・』
『おい、イスカ。俺の分あるか?』
『あるよ。昼にはくると思ってたからね。それよりもこれからは二人で買い出しに行くかお弁当をもってくることにしない?一人は辛いよ、この量・・・』
こうして昼も過ぎていく、この時、こんな穏やかな日常が続いていくことを誰もうたがってはいなかっただろう。
だが、運命の足音はもうすぐ側まで近づいていた。




